3-3 嘔吐公
× × ×
歴史の話をしよう。
世界史の本によれば、大君同盟の住民の祖先は古代文明を滅ぼした「野蛮人」だとされている。
古代帝国から「東方のゲム民族」と呼ばれていた彼ら「野蛮人」は、他の遊牧民に追われる形で現在の同盟領に流れてきた。
彼ら「野蛮人」は古代帝国と深く交わった。彼らは古代帝国人から信仰と知恵を学び、時には荒々しい隣人として争い、時には帝国の兵力として用いられたと伝わる。
己の肉を切り分けて生き延びていた病人に止めを刺したのも「野蛮人」だった。野心家の族長が主犯である。
彼の手で古代帝国は滅び、古代文明の支配者であった大君は殺害され、文明の中心地・聖都コンパスは炎に焼かれた──もっとも全てが灰と帰したわけではない。文献には以後もコンパスの元老院が出てくるし、生き残った多くの旧帝国系住民は各地に勃興した「野蛮人」諸王朝の下で生活を続けた。知識人は諸王朝の官僚や学者として用いられた。信仰はすでに「野蛮人」たちにも受容されていた。
文明の死体から生まれた諸王朝と諸部族は様々な因果により抗争に明け暮れた。
諸王朝の時代が終わりを告げるのは八世紀末。初代大君ルドルフの登場を待たなければならない。
ゲム系アライン族の「半分王」だったルドルフは類まれな偉丈夫で、その肉体には一片の贅肉もなかったと伝わる。また頭脳は明晰であり、数人の声を一度に聞き分けられたという。
父の死により家督を継いだ彼は、革新的な戦術と勇猛な将軍たちの力でもう半分の王である弟を倒し、反乱を起こした諸部族を制圧、各地の諸王朝を打ち砕いた。攻め込んできた東方の遊牧民族も片手間に粉砕した。
往年の古代帝国を想起させるほどに支配域を拡大させた彼が、次に求めたのは大君の称号だった。
大君とはそもそも古代帝国の元老院から贈られる称号のうち征夷大将軍(軍司令官)、神祇伯(神祇官の長)、太政大臣(行政府の長)を兼ねる存在であり、国家全権委任者の意味合いを持っていた。
ルドルフにとって、部族社会のまとまりにすぎない己の支配地を「国」に変えるにはうってつけの称号だったのだろう。
だが、彼の時代には元老院は消滅していた。古代帝国は名残だけの存在となりつつあった。
ルドルフは側近たちと相談する。他に大君即位の正当性を示せる方法はないか。
悩んだ末に、彼は大君の称号と『冠』を聖都の教皇――古代文明の血脈を保つ、信仰の守護者から受け取ることにした。領地の寄進および教皇特権の追認と引き換えに。
かくして古代帝国の後継者となった
彼らが起こした内乱の末に、現在の大君同盟とライム王国が成立する。
伝説が終わり、歴史が始まる。
前世の世界史と似ているあたりはさすが「隣の世界」だ。高校の授業で『世界史B』を受けたきりだからあんまり覚えてないけど。
ちなみに初代大君の側近だったランゲという武将が、武勲の褒美としてヒューゲル辺境伯に封じられたことが我らがヒューゲル家の始まりらしい。
ヒューゲル家は時代の荒波に揉まれながら生き延びてきた。ある時には大君を選定する七頭に任じられ、その際に公爵に昇り……ある時には諸侯の介入で広大な領地を分割する羽目になり……ある時にはトーア侯に城を占領されたりした。
十五年戦争では先代公が旧領地の回収を目指して各地を暴れまわったけど、結局は大国に利用されただけで何も得られなかった。
そうした歴史の尻尾に、マリーの父・パウルは立っている。
× × ×
深酒することが多々あり、それでいてワインの瓶を飲み切るまでに一冊の本を読み終わってしまうからだ。
傍らには身の回りの世話をする使用人だけを残し、その使用人も呼ばれるまでは別の部屋に控えている。
父親は一人きりの時間を大切にしているようだった。それを取り上げてしまうのは仕方ないにしろ心苦しい。
エマの協力を取りつけるためには城主と交渉するしかないから。
「お父様」
「マリーか……なんだこんな夜に」
「眠れないのです。何の本を読んでらっしゃるのですか?」
「お前の好きそうな本ではないな」
父親は膝の上の本を閉じた。タイトルは『情念論』。読んだことのない本だ。流行の恋愛指南本かな。
若干気になるけど、今は忘れることにする。
目の前の城主が本を閉じた結果、ワイングラスに口をつけるだけの生き物と化しているし、変に話を引き延ばしてしまうと酔いが回って肝心の交渉を忘れられてしまいかねない。
俺は単刀直入にぶつけることにした。
「……ところで、お城の料理長の交代についてお話をさせていただきたいのですが」
「あれの件は前に話したとおりだ」
「わたしは納得していません。客人からの評判も芳しくありませんし、我が家の品位を守るためにも」
「お前如きが触れてくれるな。どうせアルフレッドあたりに促されたのだろう。お前たちの肥えた舌には合わないかもしれんが、あれはずっと仕えてくれている身内だぞ」
父は不快そうにワイングラスを飲み干す。
そして手酌でたっぷりの赤ワインを注いでみせた。少しこぼれている。もう赤くなっている顔がロウソクに照らされている。
「エマのことなら知っています」
「エマ? 何のことだ」
「お父様が低地地方のスネル商会から手に入れた新大陸の魔法使いです。料理長にあの子を隠させているのですよね」
「……マリーはずいぶんと景気の良い話をしてくれるものだな」
父の目が寂しさを帯びる。
こちらは秘密を突きつけたはずなのに、妙な反応をされてしまった。まるで正面から相手にされていないような、皮肉な作り話を聞かされた時にも似た。
どこかで俺の話が破綻してしまっているのだろうか。あるいは──。
「お父様は、本当にエマを知らないのですか?」
「知らん。お前の頭の中にいるのなら、ぜひ会わせてくれ。キーファー公に見せつけてやりたい」
エマは現実に存在する。
なのに父が彼女を知らないのは──なるほど。そういえば"そう"だった。俺は会いに行く相手を間違えていたんだ。
俺は卓上にあったワインボトルを手に取り、すでに半分になっていた父のグラスにたっぷりと継ぎ足した。
「眠くなってきたので戻りますわ、お父様。おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ。お互いに良い夢を見られるといいな」
父はまたグラスに口をつける。
あれだけ飲ませたら会話の内容なんて忘れてくれるだろう。きっと。
俺は部屋を後にしてから……ふと、父の読んでいる本をみんな盗みたくなった。
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