3-2 ふわふわブラウンヘア商人


「えーと……あなた、低地地方では名の知れた大商人だったはずじゃ……?」

「いやいや。そんなにビックリしないでくださいまし。ちょっとチューリップの価格崩壊で身銭を失っただけでございますから」

「チューリップの価格……ですか、シャルロッテ女史」

「はい。マリー様はご存知ないようで。かるーくお話いたしますね」


 シャルロッテの説明は簡潔だった。

 二年前から始まった例の同盟諸侯による逆侵攻の過程で、近年戦地の特産物が兵士や従軍商人たちの手で同盟内に持ち込まれることが多くなっているらしい。

 中でも異教徒が心から愛してやまないチューリップは同盟市民の目から見ても美しく、球根は高値で取引されているそうだ。


 シャルロッテのスネル商会もチューリップの球根を扱っていた。めざとい彼女はまだまだ相場が上がると踏んで、同業者から借金までして莫大な数の球根を仕入れた。

 ところが、別の商会がまだら模様の花を咲かせる球根を異教徒の土地から仕入れてくると、途端に既存のチューリップは値崩れしてしまったらしい。

 それどころかほとんど売れなくなってしまい、売れたところで差し引きすれば赤字が出てしまう始末。


「まだいけるわ! この値下がりは一時的なもの、また上がるから返済を待ってちょうだい! と訴えたのですけれど、向こうはわたくしが返済した金でモザイクチューリップを仕入れる算段だったみたいで、取り合ってくれませんでした。何もかもみんな差し押さえられてしまいました……」


 シャルロッテは悔しそうに唇を曲げる。

 あまり話とは関係ないけど、この人は容姿からして二十代半ばくらいかな。その割には落ち着きがないように見える。この世界には若くして老成している人が多いのに……単に商人だから、かもしれない。


「それで内陸まで逃げてきたのか。家族は大丈夫なのか?」

「あら。アルフレッドが心配してくれるの。家族なら平気よ。弟は飛び火を払えるくらいには独立しているし、あいにくわたくし独り身だもの。だから今ならお買い得よ」

「けっこうだ」


 タオンさんは手を放した。

 ようやく解放された形のシャルロッテは、またもや俺の足元に跪いてきた。紺色のドレスが床の土でどんどん汚れていく。高そうなのに。


「そう。今ならお買い得なのでございます、マリー様。今なら大出血。お城に匿っていただくだけで海事から商作法まで万事に通じた教師が手に入っちゃいます! こんなチャンスはめったにありませんよ」


 彼女は立膝になり、片目をつぶって、指を鳴らす。

 商作法には通じているのかもしれないけど、あまり公的な礼儀作法は知らないみたい……そんなことより。


「……新大陸のことも詳しいのですか?」

「ええ。もちろん。不肖シャロはあちらに渡ったこともありますので」

「では……魔法使いについて知っていることを話してくださるかしら?」

「あはははは! まさに専門でございますれば! なにせヒューゲル家に魔法使いを売ったのはわたくしですもの!」

「なっ!?」


 思わず変な声が出た。

 いや、だって。ほら。考えたこともなかったから。

 我が家に……魔法使いを売ったって?

 あのケチな嘔吐公ちちおやが買ったって?

 知ってそうなタオンさんに目配せしてみると、彼も知らないとばかりに首をひねっていた。


 足元のふわふわしたブラウンヘアに目を戻せば、公女マリーの反応が理解できないのか、困惑気味の営業スマイルを浮かべている。

 たばかったわけではないとしたら。


「……わかりました。シャルロッテ女史、あなたにはわたしの先生になってもらいます。あなたのために城の部屋を貸しましょう」

「やった! ありがとうございます!」


 合わせた両手に頬ずりしてみせるシャルロッテ。あざとい。


「では取引成立です。わたしは今から城に戻りますから、シャルロッテ女史も来てもらえますか」

「話がはようございますね! わたくし早いのは好きです。ただ荷物をまとめるのも好きだったりします」

「……そうですね。わたしから城の方にはお話ししておきますので、来られる時に来てください。タオン卿、本日はお招きいただきありがとうございました」


 俺はきちんと公女らしく礼をしてから、足早に部屋を出る。

 自分の顔が赤くなっているのはすでに自覚していた。もちろん怒りじゃない。新たな家庭教師を得られた喜びでもない。

 魔法使いが身近にいたなんて。

 前世のクリスマスに「家に帰ったらプレゼントがあるからね」と母に言われていた日を思い出す、心の昂ぶりが、胸を熱くしていた。



     × × ×     



 幼少期の探検でラミーヘルム城内の作りは知り尽くしている。

 空き部屋を探り、迷路のような半地下回廊を踏破し、尖塔を登りきれば、残っているのは居住区の厨房だけだった。

 夕食の準備で忙しそうにしている料理人たちを避けながら、どこかに隠し部屋がないか探して回る。

 思えば、あれだけ俺とタオンさんが料理長の交代を訴えても、父親が応じてくれなかったのは、ここに何かを隠しているからだったのかもしれない。父は秘密の共有者を外に追い出せるような呑気な性格の人ではないし。


「公女様。このあたりは包丁やかまどの火が危のうございます。どうか料理ができあがるまで、広間の席でお待ちいただけませんか」


 その料理長が前に立ちふさがってくる。

 奥の空間には複数の食料保管室が並んでいた。それぞれ窃盗と鼠害を防ぐために扉がつけられている。もちろん立派な錠前も。

 もっとも調理中ともなれば、何度も立ち入ることになる主力の保管室は開け放たれているはずだ。

 逆に今使っていない部屋は南京錠がついたまま。


「料理長。でしたら、食料保管室を見せてもらえませんか。将来、ヨハン様のお嫁に行く身として城の食材には興味がありますの」

「わかりました。どうぞ自由にお入りください」

「ありがとう。よければ全ての部屋を見せてもらいたいのですけど、ダメですか?」

「それはご勘弁くださいませ。外気に触れると腐りやすい食材もあります。公女様のお父様にも食材を大切にするよう言いつけられておりますゆえ」


 料理長はにこやかに拒絶を示す。

 父の名を出されてしまうと(なるべく使いたくないけど)公女の権威で指示する手が使えなくなる。


「わかりました。倹約は美徳ですものね」


 俺は鍵のない保管室を見て回ることにした。どの部屋も当然ながら穀物の袋や野菜ばかりだ。

 南京錠付きの扉には耳を近づけてみたけど、特に人の声が聞こえてきたりはしなかった。呼びかけても反応はない。


 悔しいけど一旦は引くべきかな。別に必ずしもここにいるとは限らないし。城にいるのならきっと会えるチャンスはいくらでもある。

 ……もしかするとキーファー家のマックス老人も知らない、「破滅の魔法」についての情報を持っているかもしれない存在。

 井納純一がこの世界にいる理由であり、ここで何をするべきかを教えてくれるかもしれない存在。

 くそう。やっぱり今すぐ会いたい。

 会えば今度こそ「歯車」を動かせるだろうに。


「……お腹が空いてきた」


 厨房から小麦の焼けた良い匂いがしてくる。あの『しょっぱい肉』も空腹の時には恋しくなる。食べてから虚しい気分になるのを俺は内心で賢者タイムと呼んでいる。


 魔法使いもご飯を食べるのかな──たしかマックスは風の魔法を使ってから、ご飯を食べに行っていたっけ。

 あれが魔法で消費した分の回復だとしたら、普段はどうしているのだろう。

 まさか生きていく上ではカロリーが必要なかったりする?


 素朴な疑問が発想に変わるまで時間はかからなかった。

 俺は空き部屋にあった木箱を通路に持ってきて、その中に身を潜めた。

 子供だからこそできる芸当だ。後は待つだけ。


 案の定、料理長が皿を持ってきた。

 彼は最奥の保管室の錠前を外すと、右足で扉を蹴り開けて、部屋の中にいる誰かに皿を渡す。


「ほら。野菜を多めにしておいたからな……おおっ!?」

「ごめんあそばせ」


 俺はさも当然のように料理長の手の下をくぐり抜け、暗い部屋で料理がたっぷり入った皿を持っている少女に近づいた。


「……誰?」


 可愛らしい子だった。年齢はマリーと同じくらい。意志の強さを感じさせながらも若干眠たげな目元と、ぽっかりと開きっぱなしの口が対照的だった。頭の後ろでは黒い髪が丁寧に結われている。

 服装は城下町の子供たちと似たようなものが与えられていた。シンプルな緑色のワンピース。誰が用意したのやら。清潔そうで何より。


「……お姫様?」

「あ、はい。そうです。ヒューゲル公パウルの娘、マリーと申します。あなたは?」

「エマでいい」

「本名は別にあるのですね。キーファー家のマックス老人もそうでした」

「……あなた……変」


 彼女は皿をこちらに手渡してくると、なぜか両手の手首を掴んできた。

 抵抗したら料理がこぼれてしまうので、とりあえず俺は笑顔でやりすごすことにする。ひょっとしたら彼女の地元の挨拶なのかもしれないし。

 背後では料理長が頭を掻いていたが、やがて何も言わずに去っていった。ジャマが居なくなったのはありがたい。


「……お姫様……あなたは」


 舌足らずでちょっとハスキーな声が話しかけてくる。可愛い。


「なんでしょう?」

「……………………井納純一?」


 足元で皿が割れる音がする。

 彼女は手首を手放すと、今度はお互いのおでこをくっつけてきた。目と目がぴったり合う。

 通じ合う。


 俺は思わず相手を押し退けて、廊下に戻り、食料保管室の扉を閉めた。

 扉の向こうでは「井納、たこ焼きは美味しい食べ物なの」と訊ねてくる声がする。店によるかな。

 そんなことより。


「あの、エマはなぜその名前を……」

「あなたの心を読んだ。触った相手の記憶や心を読めるから」

「人の心を盗み聞きできるなんて、褒められたことではないわね」

「魔法はそういうもの」


 彼女は扉を開ける。

 その手がまたこちらに伸びてきたので、俺は反射的にはね除けた。

 すると、彼女は不思議そうに口を半開きにして、


「……井納の過去、もっと欲しい」

「いや、教えたくないし」

「世界の破滅を止めたくないの?」

「んなっ!」


 そこまで読まれていたとは。

 いったいどれだけの過去を知られたのやら。

 俺が漠然とした不安に頭を抱えていると、エマはまた手首を握ってきた。さらに左手でおでこにも触れてくる。まるで熱を測るように。


「……やっぱり。こんな過去は見たことない」

「そうだろうね」

「別の世界はこんなところなんだ。すごい。さぬきうどんもベビースターラーメンも美味しい。カールはうすあじのほうがいいね」


 目の前の少女がよだれを垂らす。

 井納が過去に味わった食べ物の記憶を読み取っているみたいだ。炭水化物ばかりだなあ。

 ふと目線を落とせば、足元には相変わらず割れた皿と料理が転がっている。


「おでこ、いい?」


 エマはまた互いのおでこをくっつけてきた。

 おでこのほうが伝達の効率が高いのだろうか。何だか気恥ずかしい。


「……井納は男の子なんだ」

「男の子って年でもないけどね」

「世界を救うためにお姫様になったのに、まだ何もできてなくて悔しい?」

「他人に言われると余計にそうだよ」

「だから井納はエマの魔法を使いたいと思ってるんだね」


 互いの前髪が混ざり合う。

 彼女の心や記憶は俺のほうには入ってこない。

 ただ、その黒い瞳は雄弁だった。


 エマ……この部屋から出してあげる代わりに手伝ってくれる?


 彼女はこちらから身を離すと、首を左右に振った。


「え、なんで?」

「この条件なら協力してくれるだろうって井納の打算が伝わってきたから」

「以心伝心って面倒くさいな……」

「保管室から出すだけじゃダメ。ここは故郷の洞窟と似てて居心地が良い。それに何もしなくてもご飯をもらえる」

「じゃあ、何を差し出せばいい?」

「井納の過去を全部。あと城の料理長の交代」


 エマは落ちていたパンを拾うと、いくつか噛んでから不味そうに唇を曲げた。

 結局のところ、全ての問題は「そこ」に行きつくらしい。


 厨房に目を向ければ、かまどの前で罪のない料理長がため息をついていた。

 罪はないけど……彼には別の仕事に就いてもらわねばならない。この世界を救うために。

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