2-4 出兵


     × × ×     


 二ヶ月後。

 ヘレノポリスに残っていた嘔吐公ちちおやがようやく帰ってきた。

 行列には土産物や恩賜品を積み込んだ四頭立ての荷馬車が並び、各々に兵士たちが随伴している。

 こうしたパレードは領主としての権威を示すものだけど、ほとんどの領民はカラクリに気づいていた。

 ──ケチで有名な領主様があんなにたくさん買い込むはずがない。きっと荷車の大半は空っぽだ。

 これは紛れもない真実だった。

 武門のベルゲブーク卿が国境沿いに待機させていた車列や兵士たちと合流するまで、我が父はたった三両の馬車と数名の廷臣だけを供にしていたのだから。


 江戸時代の参勤交代を彷彿とさせるカラクリはさておいて、とにかく父親はラミーヘルム城に戻ってきた。

 沿道の市民の声には相変わらず目もくれぬ父だったが、出迎える兵士たちの列にタオン卿の姿を見つけると、すぐに馬車を降りて、老臣の手を取った。


「アルフレッド! わざわざ出迎えてくれるとは!」

「久しくお会いしておりませんでしたからな。それに話すべきこともあります」


 タオンさんは隣にいる教え子に目を向ける。

 我が父の目が初めて自分マリーを捉えた。


「おお。マリーまで。城内で待っていれば良いものを」

「寂しかったですわ、お父様」

「そうかそうか」


 父の右手が自分の頭に添えられる。

 懐かしい。匂いからして昨夜は酒を飲んでいないみたいだ。


「ところでアルフレッド、話というのは?」

「実は先月より城内に出入りさせていただいておりましてな。城主のパウル公に筋を通していなかったことをお詫びさせていただきたく」

「先代からの忠臣が城に来ることを誰が咎めるものか。いくらでも来てくれ、あれはお前が守った城だ」

「ありがたきお言葉です。といいますのも、先月よりマリー様の家庭教師を務めさせていただいておりましてな」

「アルフレッドが!?」


 嘔吐公ちちおやは喜色満面、老臣の手を力強く握り直した。


「お前が付いてくれるなら、子供たちの今後を心配せずに済む。こんなにありがたいことはない! 神に感謝せねば!」

「褒めすぎですぞ、パウル公」

「ぜひカミルのこともよろしくお願いする! ヒューゲル家の未来のために!」


 こんなにテンションの上がった父親を初めて見たかもしれない。

 それにしても……やっぱり弟の名前が出てくるのか。

 何だか気分がモヤモヤしてくるのは、おそらく肉体マリーが子供だからだろう。

 赤ん坊の頃には泣きたくてたまらなかったように、どれだけ気をつけても肉体の影響からは大なり小なり逃れられそうにない。

 遠くない未来、思春期を迎えることを思うと怖いなあ。また中二病を患ったりしないよね。


「ところでパウル公。今年の大君議会は如何でした」


 タオンさんが話を変える。


「ん。いつもどおり退屈だったな。忙しい我が身を呼び出しておいて、答えのない争いが過ぎていくばかり。席に座っているのが苦痛でたまらん」

「左様でございますか」

「この頃は有力諸侯だけの枢密院が運営の中心になっているから、余計に上下が揉めてなあ……例の問題児が来てないだけマシではあるが……」

「あそこはまた異教徒に囲まれているそうですな」

「他所の話に首を突っ込むから本国の守りが疎かになってあのような目にあう。黙って防波堤としての役目だけを果たしていればよいのだ。我々にも迷惑をかけよって」

「ライム王国との小競合いの件は、やはりウビオル大司教に一任されるのでしょうか?」

「増援の話は出なかったから、多分そうなるだろう。正直どこの領邦もそれどころではないだろうしな」


 ライム王国とは大君同盟の西隣にある国で、昔から度々同盟領に攻め込んできているらしい。

 歴史書の記述によると、ライム王国の初代国王は大君同盟の初代大君ラウルマーニュの孫だそうで、大君同盟とは従弟のような関係にあたる。そのつながりから歴代のライム王は「正統」を称して大君の座を狙っているとのこと。

 タオンさんの話に出てきたウビオル大司教は、先日ラミーヘルム城まで大君からの招待状を持ってきていたあの人だ。教会領を任された領主でもある。大君の縁者であり、同盟の首相のような役目を担っている。

 異教徒に囲まれているらしい「問題児」は同盟東南部の領主だと予想できる。詳しいことはまだ知らない。


 小難しい話が続いたけれど──二ヶ月間、タオンさんからみっちり(週に二回)国際情勢や歴史を教えてもらったおかげで何とか理解できた。

 これ、〇〇ゼミでやったところだ! とテスト中に叫んでしまう少年に共感したのは初めてかもしれない。


「……おっと。込み入った話は夜にしよう。二人とも私の馬車に乗るといい」


 父の誘いに、タオンさんは頭を下げる。


「大変ありがたいお誘いですが、今からベーケ商店までお嬢様の本を引き取りに行かねばなりません」

「そうか。晩餐会には間に合うようにしてやってくれ」


 父が馬車に乗り込み、停まっていた行列がまた動き出す。

 荷馬車の御者が咳を堪えられないほどに砂ぼこりが立ち込める中で、ふと俺は──荷馬車の荷台から視線を感じた。

 空っぽのはずのほろの向こうに、歩き疲れた兵士でも隠れているのかな。

 何となく気になるけど、他人のサボリを指摘するのはヤボなので見逃しておく。公女の身分を乱用したくもないし。


「けほっ」

「公女様、本を取りに行きましょう」

「そうですね」


 タオンさんから手ぬぐいを受け取り、口を抑えながら大通りを後にする。

 こんな時だけは石で舗装されたヘレノポリスの道が恋しくなるなあ。前世のアスファルトなんて考えるだけでヨダレが出る。嘘。さすがに出ない。



     × × ×     



 帰城してからの父親の動きは迅速だった。

 普段から落ち着きがなくて城内を歩き回っているだけに(?)、何かをする時の父親の行動力は目を見張るものがある。

 対面したばかりの己の末子にマクシミリアンという仰々しい名前をつけたことに始まり、大君からの恩賜品の大半をその日のうちに御用商人に売却。

 夜にはタオンさんを含めた領内の貴族や有力商人・地主・聖職者たちを招いて、背伸びしない程度の晩餐会を催し、自らの旅の無事を祝った。


 翌日、朝から「評定ひょうじょう」と呼ばれる、前夜の客を参加者とした身分制議会を開催。

 大君議会で決まった方針や法律の中身を父自ら説明し、また領内での新たな徴税の是非を語り合った。

 お金の話で揉めるのはどこの世界も変わりない。

 前夜には和やかに会話していた父親と臣下たちが互いに「忠誠心に欠ける」「主君の形をした泥棒」と罵り合う姿はまるで演劇のようだった。

 参加者の中にはタオン家の現当主、つまりタオンさんの息子の姿もあり、親譲りの眉目秀麗ぶりで臣下たちの先陣を切っていた。


「なぜ理由もなく主君に金を捧げなければならぬのです。これ以上徴税されては自領内で五公五民を守れなくなりますぞ!」

「タオン卿は誤解しているようだ。アルフレッドなら言わずともわかってくれるだろうに」

「なんと!」


 若きタオン卿は拳を握りしめて立ち上がると、大広間の後方で臨席している老タオンを見やる。

 父親と比べられて悔しいのかな……と思いきや、息子さんの表情は明らかにパパに助けを求めているものだった。


 当のタオンさんはシッシと追い払うような手ぶりをしてから、ため息をつく。


「……なぜあそこで私を頼ろうとするのやら。格好の攻め時ではないか」

「息子さんを助けて差しあげないのですか?」


 隣の席から何気なく訊ねてみると、タオンさんは困ったように笑みを浮かべて、


「あのようなところに隠居の身がしゃしゃり出るのはお門違いです。それに──はっきり申し上げて、アルフレッドでも言われなければわかりません」

「そういうものですか」

「私は魔法使いではありませんからな。ただ収穫を終えた時期の臨時徴税となれば、多少の予想はつくものですぞ」


 タオンさんは大広間の中央を見つめる。

 勢いを削がれた若いタオン卿を尻目に、嘔吐公ちちおやが衛兵の掲げる地図を指差していた。


「──来たる来月。大君陛下の内命により我々は出兵する。目的地はエーデルシュタット城。異教徒に囲まれている、クソったれのヒンターラント大公を救援するのだ」


 同盟南東部を父親の指がかすめる。

 ヒューゲルの数十倍もの広さを持つ大公領の片隅に目的地エーデルシュタットの名が刻まれていた。


「これは聖都におわす教皇猊下の提案でもある。そしてヒューゲル公たる私の命でもある。異論あるか」

「…………」


 臣下たちはそれぞれなりに困惑と納得の入り混じった表情を浮かべた後、全員が立ち上がって大広間を出ていった。

 タオンさんはしみじみと語り始める。


「先代の頃からの伝統です。命令となれば何も言わずに戦の用意をするのですよ。それで勝ててからずっとです。無邪気に引き継がれております」

「商人やお坊さんも戦うのですか?」

「ええ。彼らの私兵も出ますし、御用商人は進軍中の糧食補給を請け負いますからな。死者が出れば教会の出番でしょう」

「死者……タオン卿は人を殺したことがありましたね」

「はい。僭越ながら多くの手柄を立てさせてもらいました」


 その答えに何ともいえないアンニュイな気分にさせられていると、大広間の中央から嘔吐公ちちおやが近づいてきた。

 満足そうにしながらも、どこか残念そうでもある口元と共に。


「アルフレッド。いくら私の娘とはいえ、マリーのワガママを全て許すことはないのだぞ。むしろ叱ってやってほしい」

「承知しております、パウル公」

「年端もいかぬ娘が評定に出るなど前例にない。世間を学びたい気持ちは大切にしてやるが、少しは弁えるべきだ。肝心のカミルが眠っているのも気に食わん」


 父親の言葉に、タオンさんの足にしがみつくようにして眠っていた弟が「吐きそう」と寝言を漏らす。

 自分と弟はタオンさんの計らいで臨席させてもらっていた。

 おかげで色々と知ることができた。


「お父様、ご武運をお祈り申し上げます」

「……私は行かんぞ」

「えっ」

「ベルゲブークの奴に五百ほど与えて向かわせる。掛かる金を思えば勿体ないが、形だけは出しておかねばならん。あのヒンターラントの問題児のために金と命を支払うのはつくづく勿体ないが」

「で、ですが、それだけで勝てるのですか」

「実際にはお前の旦那の父、キーファー公の兵だけで十分だろう。報告によれば異教徒の主力はすでに打ち砕かれているそうだからな」


 嘔吐公はタオンさんに目をやると、なにやら思わせぶりに両目を閉じてみせた。

 そして、そのまま何も言わずに去っていく。


「……もちろん、アルフレッドには何もわかりませんぞ」


 タオンさんに笑わせてもらってから、俺は戦争について思いを馳せる。

 この世界の──この時代の戦争ってどんな形をしているんだろう。

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