2-3 英雄故事


     × × ×     


 窓の向こうで夕日が落ちる。

 半日をかけて入念に焼き目を付けられた雲たちは嘘のような立体感を得ていて、彼方の星空を後ろ盾に地上の人々を恐怖かんどうさせていた。


 ラミーヘルム城の大広間ではタオンさんの家庭教師就任を祝して、ささやかな晩餐会が催されている。

 今朝、長旅から戻ってきたばかりだというのに、イングリッドおばさんの段取りの良さには恐れ入る。ゼネコンの施工管理者とか向いてそう。


「城の料理人の方、腕を上げましたな」


 お客のタオンさんはしょっぱい肉と赤ワインを交互に楽しんでいた。同席しているおばさんとカミルも舌鼓を打っている。

 ヒューゲル公領は内陸の領邦なので、海産船や交易商が来ないかぎりは海産物を得られない。なので必然的に穀物と肉を中心に食べることになる。


 これが──どうも俺の舌には合わなかった。

 元々が日本人だから魚が恋しいとかいうレベルの話ではなくて(ここでも川魚は釣れるし)、単純に料理が文化としてまだ完成に至っていないからだ。

 大君同盟における伝統料理『しょっぱい肉』――牛肉または豚肉を熱湯に入れて脂抜き(!)してから、岩塩をかけて焼いたもの――を噛むたびに、近代の競争社会がいかに料理人の技術を切磋琢磨させてきたかを如実に体感させられてしまう。

 付け合わせのパンもコンビニで売ってるような、ふわふわもちもちしているものではない。スープに浸して、たくさん噛まないと飲み込めない。あと、なんか小麦以外のものが混ざっている。


 ここで生まれてからの八年間で慣れてきたとはいえ、たまにはもっと美味しい肉とパンを食べたいところだ。

 俺は目の前の川魚をフォークで突いた。

 川魚は良い。焼くだけでそれなりに美味しいから。


 テーブルの向こうでは、弟カミルがタオンさんに話しかけていた。


「おじ様は、馬に乗って戦ったことがありますか」

「もちろんありますとも。カミル様のお祖父様と共に旧教派の陣地に突っ込んだ日が懐かしいものです」

「すごーい!」

「アルフレッド。食事中に血生臭い話はやめてもらえるかしら」

「おっと失礼、男の話は後の楽しみといたしましょう」


 他の面々が楽しげに談笑しているのを尻目に──俺は密かに席を立つ。


 大広間から三日月湖沿いの城壁までは遠くない。

 自分の身長の四倍はありそうな石造りの城壁の足元に、俺は丸太小屋を作ってもらっていた。

 何を隠そう便所だ。


 この世界は昔の欧州と似ているけど、衛生観念についてはそれなりに発達している。

 古代文明が残した上下水道技術がある程度温存されている上に、三百年前の大君が疫病時代に『清潔令』を出したおかげもあり、少なくともヒューゲルにおいては道端にうんこを捨てるような真似は行われていない(馬のうんこは落ちてるけど)。

 城下の市民はみんな自宅のトイレや公衆便所を利用しており、日本の江戸時代のように汲み取り業者が肥料として買い取っていく姿を目にすることもある。


 俺が城壁沿いに便所を作ってもらった理由の一つは小遣い稼ぎだ。

 衛兵たちが利用しやすいのでうんこが溜まりやすく、汲み取り業者からも運びやすいと好評。先日の舞踏会で貴族の子供に手法を教えてもらって良かった。

 そして、何より近くの三日月湖の水で手を洗えるのがいい。


 便所近くの城壁には欠けた部分があった。

 おばさんから聞いた話では、嘔吐公ちちおやの父にあたる先代公が爆破したらしい。


 暇そうな衛兵に油灯を持ってもらい、夕暮れの三日月湖で手を洗ってから……何となく城壁を眺めていると、不意にその割れ目から初老の男性が顔を出した。

 彼はこちらに近づいてくると、衛兵から油灯を受け取る。そして紳士的に人払いをしてみせた。

 また二人きりになる。

 何の用で来たのだろう。


「……この割れ目は公女様のお祖父様が壊されたものです。もう三十年前になりますかな。十五年戦争の頃です」

「よくご存知ですね、タオン卿」

「火薬を仕掛けたのは私ですから」


 タオンさんはいたずらっぽく笑った。

 まさかの自白だった。


「あの時、ラミーヘルム城は旧教派のトーア侯に占領されておりました」

「え……この城にそんなことがあったのですか」

「お祖父様は各地を転戦されてましたからな。不在を突かれた形でした。ご存知のとおり、この城は力攻めでは然う然う落とせません。そこでお祖父様は兵たちと夜霧に紛れて三日月湖を泳いで渡り、こちらの城壁を崩して奇襲をかけたのです」

「へええ」


 まさか南北の城門ではなく、城の脇腹から攻められるとは敵も思わなかったのだろう。

 寝込みを襲われて混乱する敵兵の姿が目に浮かぶ。

 こういう軍功話はおばさんから教えてもらっていないから、新鮮な気分だ。


「我々は城を取り戻し、トーア侯の息子マティアスを生け捕りにしてやりました。あの時の身代金でお祖父様にはずいぶん遊ばせてもらったものです。商売女を抱きたいだけ抱き、美味しいものをたくさん食べさせてもらいました」

「どうして城壁を修理しなかったのですか?」

「お祖父様はそういう方でした」


 タオンさんの目が遠くの空を見つめる。

 それが急に公女おれに向けられたものだからビックリした。


「ところで公女様、イングリッドは食事のマナーにはうるさくないようですな」 

「……おばさまにはよく叱られておりますわ」

「いや。もっとも大切なマナーを教えていないようです。客人と食べる時は美味しそうに食べなければなりません」


 たしなめられてしまった。

 どうやら味への不満が表に出ていたみたいだ。

 うーん。タオンさんのように舌鼓を打てられたら良いのだけど。こればかりはなあ。


「まあ、たしかにヒューゲルの料理は不味いですよ」

「えっ」

「我が地元ながら、他の領邦のあらゆる料理よりも不味いことに疑いはありますまい。国外の料理とは比べることもおこがましい」

「あっ、はい」

「しかしながら、晩餐会というものは相手がありますからな。たとえ泥を出されても楽しんでみせねばなりません」


 タオンさんは両手を浮かせると、まるでナイフとフォークを扱っているかのような手ぶりをしてみせた。

 そして空中で切った空気を口に入れ、とても幸せそうにうなづく。

 さながらプロの技を見ているようだった。


「湖畔の空気は夕方に限りますな。さて、公女様は楽しげにパンをちぎっている者と、苦々しい顔でスープをすする者、どちらと食卓を共にしたいと思われます」

「楽しいほうがよろしいですね」

「わかっていただけて何よりです。──正直に申し上げますと、私が家庭教師の件を一度断ったのは城の料理が不味いのも一因なのですよ。さすがに毎日は耐えられそうになく」

「では、近いうちに料理長を更迭せねばなりませんね」

「ぜひ公女様からお父上にお伝えください。その際は国外から料理人を引っ張ってもらえると幸いです」


 タオンさんは目尻に期待をにじませる。

 この人は大君同盟の外にも交友関係があるから、国外の美味しいものを食べて舌が肥えているのだろうか。

 いっそ自分がタオンさんの館に出向く形で先生をやってもらえば、多少はマシなものを食べさせてもらえるのでは。

 そんなことを考えていると、いつのまにか湖畔から離れていたタオンさんから手招きを受けた。そろそろ城の広間に戻ろうという感じかな。


 引っ張ってくるといえば……あの件、タオンさんにもお願いしてみようか。

 おばさんの方はまだ見つかってないようだし。タオンさんの人脈なら期待できる。


「タオン卿」

「はい、公女様」

「あなたに新大陸関係の商人の知り合いはおりますか」

「ほほう。何か欲しいものでもございますか」

「新大陸の世相に詳しく、魔法使いのことをよく知る方であれば好都合です」


 こちらの注文に、タオンさんは目を丸くする。

 そして右手の指をいくつか立てたり、折ったり。

 なぜがちょっと困ったようにして。


「……一人、おりますが」

「よろしければ、その方を城に呼んでいただけませんこと。色々と教えてもらいたいことがありますの」

「わかりました。僭越ながら、我が甥が自由都市リューブルク港で新大陸向けの商売をしております。なるべく早くヒューゲルに戻ってくるように手紙を出しましょう」

「よろしくお願いします」

「いえ。それにしても、老体が見習うべき好奇心です。他にも会いたい者がいらっしゃれば、いつでもこのアルフレッドにお申し付けくださいませ」

「ありがとう。頼もしいですわ」

「ツテは奥州全土にありますからな。多少、縁が錆びついておるやもしれませんが!」


 タオンさんは自信にあふれた笑みをこぼすと、わざわざ衛兵ではなく自身の手で大広間の扉を開けてくださった。

 テーブルでは食事を終えたらしいイングリッドさんがカミルと楽しそうに話をしていた。そこにタオンさんも自然な形で加わっていく。


 俺は状況が上手く回り始めているのを感じた。

 婚約の件はともかくとして、密かにガッツポーズせざるをえない。よしよし。いいぞいいぞ。

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