2-2 マリーとアルフレッド
× × ×
「大変光栄なお話ですが、辞退させていただきたく存じます」
イングリッドおばさんの友人、アルフレッド・フォン・タオン男爵は落ちついた雰囲気の、実直そうな初老の男性だった。
実際、おばさんが旅先から出した手紙に対し、こうして迅速に――わざわざ俺たちの帰国に合わせて会いに来てくれたあたり、礼節と常識を備えた人物なのだろう。
同時にその佇まいからは、控えめな遊び心が感じられた。
ロマンスグレーの頭髪を背中でくくっていたり、服装も地味な配色ながら東方の遊牧民を思わせるデザインだったり。
老いてなお端正な顔立ちといい、きっと若い頃は同盟の社交界で遊びまわり、男たちと
まさに自分が求めていた人材に合致している。
あっさり就任を断られてしまったけど。
「アルフレッド。どうしてもダメなの?」
イングリッドおばさんが困った様子で話しかける。
すると、タオンさんは申し訳なさそうに頭を下げてくださった。
「すまない。もう私は隠居の身だ。家督は息子に譲ったし、今は領地で友人たちと鹿狩りができれば幸せなのだよ」
「公女様はあなたの見識を求めてらっしゃるのよ」
「錆びた老人です。どうか代わりをお探しください」
タオンさんは
年配の方からのこういう扱いには未だに馴染めない。敬われているのは自分自身ではなく家柄だとわかっていても、どうにも釈然としないんだよね。
日本にいた頃に年上の人をアゴで使うような経験があれば良かったのかもしれないけど、俺の場合は下っ端のフリーターだったからなあ。
むしろ年配の方がここまでしてくれているのだから、なるべくその意に沿いたいとさえ思ってしまう。
つまり、俺はタオンさんの就任を半ば諦めていた。
「ではタオン卿、よければ代わりとなる人材を紹介していただけますか?」
「かしこまりました、公女様。さしずめボルン家の当主などは……」
「ボルン家の当主なら先日亡くなりましたわ」
タオンさんの発言をおばさんが遮る。
「それは本当かね、イングリッド」
「近いうちに遠方から親族を招いて葬儀が開かれるそうよ」
「惜しい男を亡くした……」
「死者をこき使うわけにはいかないでしょう。ところでアルフレッドは生きてるわよね」
おばさんはあくまでタオンさんを推しているようだ。
ところで、死者なのにこき使われている例が身近にある気がするけど、気のせいということにしておく。
タオンさんは「むう」と唸った。
「では、◯◯家の若造は?」
「若すぎるわよ。公女様が手を出されたらどうするの」
「××家の未亡人はどうだね?」
「公女様に男漁りを覚えられたら困るでしょう!」
「△△家の次男なら」
「去年死んだじゃないの!」
出てくる名前が次々に切り捨てられていく。
おばさんもそうだけど、タオンさんは交友関係がかなり広いようだ。でないとこんなにすぐに候補なんて出てこない。
ますます身近に居て欲しくなってきた。
「むう、むう。他家の者なら他にも名前を出せるが、ヒューゲル領内の新教徒となるともはや」
「あなたしかいないのよ、アルフレッド。神の思し召しだわ」
「しかし、だな……」
悩んでいる様子のタオンさん。
おばさんがちらりと俺に目配せしてくる。
トドメを刺せということかな。
だとして、どう説き伏せたものか。前世で女性を口説いたこともないのに、おじさんなんてどうすればいいのやら。
自分がタオンさんを必要としている理由を懇々と説明するのが正攻法だろうけど、おばさんが同席しているからには正直に「ヨハンとの婚姻を中止させてほしい」と告げるわけにもいかないし──否。おばさんに出ていってもらえばいいんだ。
「おばさま、タオン卿と二人きりにしてもらえませんか」
「ええっ」
おばさんが目を丸くしている。
そういえば、この世界の人たちってわりと集団主義的なきらいがあって、あんまり一人になるのを良しとしないんだよね。
今までしてきた話も「マリー」と「アルフレッド」の契約の話というよりは、ヒューゲル家とタオン家の結びつきを扱っている面が強い。
だからヒューゲル家の一門であるおばさんは、単なる紹介者というよりは紛れもない当事者のつもりなんだろう。
でも、出て行ってもらいます。
「これから師弟となるかもしれない、お互いの相性を知りたいのです。よければ席を……いえ。タオン卿のためにりんご酒を持ってきていただけませんか」
「……そういうことでしたら。アルフレッド、アプフェルヴァインでいいわね」
「お得意のスパイスたっぷりのグリューヴァインにしてくれ」
「わかったわ」
タオンさんの注文を受けて、おばさんは渋々ながら勉強部屋から席を外してくれる。
後には八歳児と老人だけが残った。
「さて、公女様のお話を伺えますか」
タオンさんは子供向けの穏やかな表情を保っている。
俺は一呼吸おいてから、彼の灰色の目を見つめた。
「タオン卿」
「はい、公女様」
「率直に申し上げます。わたしはキーファー公の嫡子・ヨハン様とは結ばれたくありません」
「おやおや」
まるでワガママをこぼす子供を見るかのような目つきだった。
いや、おそらくこの世界においては百パーセントそのとおりなのだけど、もうちょっとまともに受け止めてもらいたい。
「なので、タオン卿から父上を説得してもらえませんか」
「婚約を取り止めるべきだ、と?」
「はい」
「ふむ。公女様の年でもわかりやすいようにお話しさせていただきますと、そんなことをしたらお父上から怒られてしまいます」
「説得の余地はないのですか」
「私ではお役に立てそうにありません」
タオンさんは断りを入れながらも平身低頭、態度で公女への敬意を示してくれる。
困ったなあ。そういうふうにされると何も言い返せなくなってしまう。いっそ子供のようにワガママをぶつけられるようになりたい。
子供のように──ちょっとだけ駄々をこねてみようか。
「何とかなりませんか、本当に結婚したくないんです。タオン卿、わたしを助けてもらえませんか」
「うーむ。私としても主君の娘君を助けて差し上げたいのはやまやまなのですが、いかんせん家同士の話ですからなあ」
「どうすれば婚約を取り下げられるのですか」
「現状ではどちらかが死なないかぎりは不可能でしょう。仮にお父上とお母上を説得できたとしても、キーファー公が面子を保つために公女様を連れていくでしょうから」
「わたしはお城から出ません!」
「キーファー公の五千の兵に囲まれたら出るしかありますまい。我が方は、我がタオン家などの私兵を含めても千六百がせいぜい。この城ならば半年は保つでしょうが、城内の市民は餓死を避けられないはずです。公女様はそのような凄惨な戦いを望まれますか」
「うう……」
今度こそ何も言い返せない。
我ながら泣きそうになってきた。
くそう。どうあがいてもヨハンと結婚するしかないなんて。井納純一としては絶対に承服できないぞ。もしヨハンと結ばれることで「破滅」を回避できるならともかく、それならそれで管理者に十分な説明をしてもらわないと。管理者はどこか。
うつむいて歯ぎしりをこらえていると、目の前で布がすれる音がした。
タオンさんが
「どうかご自重くださいませ、公女様。両家の結びつきは大君同盟の未来のためでもあります。お二人に子が生まれたならば、いずれは大君に推挙されることもありえますからな。あなたは大君の母になる方です」
「や、やめてください」
自分が子供を産むなんて考えたくない。
その前段階がまず耐えられない。舌を噛んで死にたくなる。
そんな気持ちが表に出ていたのだろうか。
「……失礼ながら、そもそも公女様は何ゆえに婚約をイヤがっておられるのです?」
「イヤなものはイヤなのです」
「私の目には似合いの夫婦に見えますが。二人とも非常に可愛らしい」
「ヨハン様が生理的にダメとしか申せません」
「それは……うーむ……そればかりは……」
目をつぶり、眉間にしわを寄せて、ぶつぶつと唸り始めるタオンさん。
その姿勢は自分に寄り添ってもらっているようで素直にありがたい。こういうところが社交界の人気者の秘訣なのかな。
自分以外の人が悩んでいると、ちょっと冷静になれるのは日本にいた頃から変わらない。
今のところ、どうあがいても結婚への道が続いているのはさておいて──やはりタオンさんには傍にいてほしい。
ヨハンと『破滅』の話をした時もそうだったけど、相談できる人がいるのはとても心強いから。何だかんだで八年やってきたものの、一人で戦い続けるのは辛い。
それにタオンさんの人脈は、いずれ絶対に役に立つ。
俺は目の前の老紳士の手を取った。
「タオン卿」
「はい、公女様」
「もう父上を説得をしてほしいとは申しません。ワガママを言ってごめんなさい。ただ、よければ先生の件は受けていただけませんか」
こちらの申し出に、タオンさんは口先の行方を迷わせる。
反応に詰まっているようだ。
ならば、押していこう。
「あまり公言したくありませんが……わたしの周りには頼れる大人がいません。父上は統治でいっぱいいっぱいですし、母上とは冷えきっています」
タオンさんの表情が神妙なものに変わる。
「ですから、どうかタオン卿。わたしの力になってください。わたしの迷い道を明るく照らしてください」
タオンさんの灰色の目を見つめる。
そして「ずっと私の傍にいていただけませんか」と語りかける。
「……ははは。女性からこんなに熱烈に求愛されたのは久しぶりです」
タオンさんは恥ずかしげに笑った。
たぶんマリーも赤くなっているはずだ。まさか初めて口説いた相手がおじいさんになるとは思いもよらなかった。
「──グリューヴァインを作ってあげたわよ、アルフレッド」
おばさんが戻ってくると、タオンさんはおどけたように笑ってみせる。
「おお。ありがとうイングリッド。手間をかけさせたね」
「何を赤くなってるの?」
「いやいや、なんでもないさ。ただ、ここまでしていただいた女性に恥をかかせるわけにもいきますまい」
タオンさんはこちらの手を取ると、馴れた仕草でキスをした。
まるで姫に忠誠を誓う騎士のように。
「今にも折れそうな老骨でございますが、折れるまでは公女様の支えになりましょう」
「受けてくださるのですね、タオン卿!」
ああ。
上手くいってよかった。
自分の人生を──ちょっとは動かせた。
喜びを分かち合うべく、イングリッドおばさんに目配せしてみると、彼女は口先を不満そうに尖らせていた。
なぜだろう?
「……信頼できない大人ですか」
あ、すみません。もし次があれば気をつけます。
というか、どこから話を聞かれていたのかな………………気になるけど、おばさんから何も言ってこないかぎりは口出ししないほうがよさそうだ。
やぶへびを避けるために真相は藪の中に放っておく。その行方はおばさんしか知らない。
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