1-4 老人とそよ風


     × × ×     


 老人が杖を振るうたびに羊皮紙が浮き上がり、シャンデリアの周りを花びらが飛び散る。

 老人の舞いに合わせて、更紗の布切れがダンスのような動きを見せる。


 俺が人生で初めて見た魔法は素晴らしいショーだった。

 そして、あくまでそれだけのものだった。

 我々の科学では説明できそうにないという点は興味深いものの、ヨハンが言うように、世界の「破滅」を引き起こせるほどの迫力は感じられない。


「あれが全力なのかしら」

「知らん」

「周りの人たちにケガをさせないように力を抑えているのかもしれませんわ」

「話を聞きたいなら本人に聞いてみたらいい」


 ヨハンは余興を終えた老人を「おい」と呼び寄せる。


「これは坊ちゃん。何でございましょう」


 老人はかなり流暢な同盟語を話した。手持ちの杖を革鞘に戻し、床に跪いて礼を示す。まるで在地の騎士のようだ。

 ヨハンはそれにおざなりに応え、


「こちらのマリー公女がお前の話を聞きたいそうだ」

「左様でございますか。では、何なりとお訊ねくださいませ」


 老人の黄ばんだ目が自分に向けられる。

 充血ぶりが苦労を偲ばせる、されど不幸には見えない形をしていた。


「……おじいさん、お名前をお訊ねしても?」

「マックスとお呼びください。本名はこちらの方々には覚えられないでしょう」

「では、マックスさん。先ほどの風があなたの全力なのかしら?」

「ええ、ええ。あれが己の全力でございます。あらゆる風をそよ風に変える。ただそれだけが取り柄でございますから」


 老人は立ち上がると、杖を取り出して小さな風を起こした。

 およそ扇風機の弱に近いくらいの風だ。

 あらゆる風をこれに変えられるなら、例えば外洋航行船で役に立つかもしれない。嵐が起きても何のその。

 あるいは砲兵。風を抑えることで命中率が上がりそう。


「……なるほど。道理で我が海軍と砲兵隊が引き合いをしているわけだ」


 似たようなことはキーファー家でも考えられているようで、ヨハンがウンウンとうなづいている。

 個人的には甲子園で浜風を抑える係をやってもらいたい。左打者の本塁打が増える。


「おいマックス。新大陸にはお前のような魔法使いが多くいるのか?」


 今度はヨハンが質問を飛ばす。

 すると、老人は人好きのする笑みを浮かべ、


「とんでもございません。ごくたまにです。己の村では引き合う杖と出会ったものだけが魔法使いとして族長に仕えます」

「その中にお前より強い力を持つ者は? 世界を破滅に追い込めるような力だ」

「お坊ちゃん。目を閉じて想像してくださいまし。仮にそれほど強力な魔法を扱える者がおれば、我々が奴隷として同盟に連れてこられることはなかったでしょう」

「……なるほど」

「こんなものはせいぜいが氏族同士の争いで役に立つくらいです。小銃の隊列や金品には勝てません」


 老人は目を伏せる。

 そして杖を革鞘に戻し、また床に跪く。

 やけに気を遣ってくれるなと思いきや、どうも彼が礼を向けた相手は自分やヨハンではないらしい。


 当のヨハンは「その人」に思いっきり頭を叩かれていた。


「いてえっ!」


 一発目はゲンコツだった。


「おいヨハン! つまらない話を女の子に聞かせるんじゃない。もっとお花の話とか、流行りの服の話をしてさしあげろ!」

「すみません父上! しかしマリーがマックスから話を聞きたいと!」

「お前に話を合わせるために気を遣っているのだ! 本当はお花が大好きなはずだ! 女の子だから! それがなぜわからぬ!」

「すみません! オレが未熟でした!」


 ごめんなさい。この世界のお花なんてエーデルワイスくらいしかわかりません。あとヨハンは嘘を言ってません。

 その人――キーファー公ヨハン二世は息子のヨハンから五回のすみませんを受け取ると、ようやく満足したのか、彼の頭を平手で叩くのをやめた。

 やりすぎに見えるけど、この世界では子供をしつけるのに平気でむちを使うので、理不尽な殴打なんて序の口だったりする。

 うちの父親やイングリッドおばさんは例外で助かった。


 ちなみにその二人やカミルも近くに来ていて、キーファー公の傍らには奥さんと娘さんの姿があった。

 いつの間にか公女おれとヨハンは、さながら両家に挟まれる形でいたらしい。

 急に恥ずかしくなってきた。


「いやあキーファー公。新大陸の魔法使いとは。さぞお高いことでしょう」

「なんのなんのヒューゲル公。溜め込んだ茶道具を売れば良いだけの話ですぞ」

「うちにはそもそも茶道具がございませんからな」

「あの有名な先代がみんな売られましたか! わはは!」


 バシバシと右腕を叩かれる我が父。酒の酔いも相まって倒れそうになっている。

 会話から察するに、同じ公爵でもキーファー公のほうが格上のようだ。

 それが彼我の年齢差によるものなのか、あるいは家格の差なのかはさておき……二人は見た目の上でも大人と子供くらいの体格差があった。

 もちろん大きいのはキーファー公だ。ほんとデカい。


「おっと。忘れておった。もう下がってよいぞ、マックス。力を使ったぶんだけ飯を食ってこい」

「仰せのままに」


 主君の命を受けて、老人はきびきびと立ち去る。

 使ったぶんだけ食べろということは、ひょっとしてあの魔法の源は食べ物なのか。

 追いかけて本人に訊ねたかったけど、周りの目があるのでそうともいかなかった。


 ふと、ヨハンと目が合う。


「……今度、父上から詳しく話を聞いておいてやる。お前も破滅についてわかったことがあれば、オレに伝えろ」

「……ありがとうございます、ヨハン様」

「ああ。せいぜいありがたく思え」


 ヨハンは前を向いた。

 その横顔は妙に頼もしく、一方で殴られた痕が生々しかった。


 やがて広間の中央に、新たな余興が列を為してやってくる。

 チンドン屋と曲芸師を混ぜたような芸、騎士と騎士の戦いを大げさに演じた芸など。

 エンターテイメントに目の肥えた現代人としては未熟すぎて見るに堪えないものばかりだけど、周りの老若男女の貴族たちは大いに盛り上がっていた。

 何となく乗せられてしまい、みんなで一緒に歓声を浴びせたところで――気づく。


 自分で思っている以上に、井納純一おれは周りに流されやすい性格なんじゃないか、と。

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