1-3 舞踏会
× × ×
夕方。ヘレノポリス近郊の宮殿には多数の貴族が集まっていた。
神聖大君同盟の議会開催を記念した舞踏会。長旅を終えたばかりの貴族たちにとっては「お疲れ会」的な扱いだ。
天井から床まで贅沢を尽くした大広間には、地元料理(しょっぱい肉、川魚、ソーセージ)と酒と楽団が並べられ、さながら立食パーティの様相となっている。
催しの中心となるのは若い貴族たちの踊りだ。
楽器の演奏に合わせて大勢でぞろぞろとダンスをしている。
男女が入れ替わり立ち代わりペアを組んでいるのは、お見合いのようなものだとイングリッドおばさんが教えてくれた。
家督を継ぐ長男や結婚相手が決まっている女性はともかく、次男坊以下やそうでない女性たちにとっては舞踏会は大切な出会いの場なのだとか。
よく見ると、かなり気合を入れた格好の子女が多くいた。すごいな。あんなにダルダルな袖の服でまともに踊れるなんて。
まあ、気合の入り方でいえば、どこぞのマリー様のドレスも大差ないけれど。
広間から視線を下げれば、緑基調のワンピースが映る。レース状の飾りがたくさん付いており、例によって袖がやたらと膨らんだデザインになっている。
スカートの膨らみは針金で支えられているのでけっこう重たい。すごく動きにくい。
「マリー様はまだ幼いですから、壁の花でけっこうですけれど、例の方に誘われたら行ってあげてくださいね」
イングリッドおばさんはダンスに興じる子女たちを微笑ましく見つめている。
「おばさんは行かないのですか?」
「私も誘われたら行きますよ。天国の夫になら」
おばさんは上品に口元を抑えてから、さあさあと俺の背中を押してきた。
何のつもりかと思えば、広間の向かい側から三人の少年少女が近づいてきているのが見える。
年長の少年が自信たっぷりの笑みを浮かべている一方で、他の二人は彼の後ろにくっついているばかりで表情が窺えない。
「初めまして。お前がマリーだな」
年長の少年は床に跪くと、こちらの手を取って指先にキスをした。
定型的な挨拶なので仕方ない……できればやめてほしいけど。男にされても寒気がするだけだ。
だからといってイヤな顔をするわけにはいかないので、必死で品を作るようにした。
愛想よく返事もさせてもらう。
「こちらこそ初めまして。お名前を伺ってもよろしいかしら?」
「ヨハン。キーファー家のヨハン」
少年は力強く胸を張ってみせる。その名は
年齢は三つ上のはずだけど、それよりも大人びて見えた。
他の貴族たちと同じく『燕尾服とガウンを混ぜてカラフルにしたような服』に身を包んでおり、首元にはハリセンみたいな襟巻を付けている。低地地方で流行りの服装だとおばさんから説明された覚えがある。
顔つきは精悍だった。シャンデリアのロウソクだけでは薄暗いのでわかりづらいものの……おそらく格好良い部類だろう。
「父上から将来のことは聞いている。いずれオレの国に来るんだろう」
「そのようですね」
「前に見せてもらった絵画より美人で良かった。このまま成長して、もっと美しくなってくれたら、ひょっとすると気に入るかもしれないな」
「そうなることを切に願いますわ」
「願うよりも努力してくれ。オレに相応しい女になれるように。努力すればおのずと成果は出るはずだ」
なんだこいつ。
そんな態度だと日本の婚活市場では連絡先すら交換してもらえないぞ。完全に地雷扱いされてしまうぞ。
思わず言い返したくなる気持ちを抑えて、柔和な微笑みを保っていると、ヨハンの後ろからひょっこり見たことのある顔が出てきた。
エミリア・フォン・キーファー。狂犬だ。
さっきは居丈高に公然とヒューゲル家をバカにしてくれた彼女だったけど、今はヨハンがいるせいか大人しくしていた。
むしろ大人しいを通り越して、怯えているようにも見える。
目が泳いでいるし、口の端がヒクヒクとしている。身体の震えはドレスまで波及していて、足なんて生まれたてのカモシカのようだ。
「お姉様、ごきげんうるわしゅう……」
しかも新教徒の年齢を数えられるようになっている。
「なんだエミリア。マリーとはもう知り合いなのか」
「お、お兄様が婚約の話を教えてくださらないから! あたし昼間に外で!」
「その調子だと、さてはまたやったな?」
ヨハンは彼女の背中をポンポンとあやすように叩いた。
「すまないマリー。こいつはオレの妹のエミリア。前にパーティで主役になれなかったのを根に持ってて、自分より目立つ女を見かけると執拗に嫌がらせをしやがるんだ。家柄をバカにしてケンカを売ったり、道端の馬のうんこをぶつけたりな。どうもキーファーの血が強いらしい」
「そういうことでしたの」
水に流すために納得したような態度を取ってみたものの、こちらとしては『わかってるなら躾をしましょうよ』と思わざるを得ない。血が強いって全く理由になってないし。
あと馬のうんこをぶつけられなくて本当に良かった。あれはやばい。狂犬というか半分テロリストじゃないか。
「まあ、いつかはお前の妹にもなるわけだから、仲良くやってくれ。オレは女のケンカがキライだ」
ヨハンは「エミリアも失礼のないようにな」とまた妹の背中を軽く叩いた。
叩かれたほうは反省しているのか、目を伏せている。まさか兄の結婚相手に噛みついていたとは思いもしなかったんだろうな。
俺が微笑みかけてやると、彼女は気まずそうに兄の後ろに戻っていった。
すると、押し出される形でもう一人の少年が表に出てくる。
小太りで背が低い少年。
「あっ」
彼はこちらを見るや否や、両手で自分の顔を隠してしまった。
恥ずかしがり屋さんなのかな。
「フランツ、失礼だ」
ヨハンの叱声を受けて、その手はゆっくりと解けていく。
なるほど。隠されたものには隠されるだけの理由があるのが世の常らしい。
暗がりなのでわかりづらいものの──彼の顔の左半分は酷く荒れていた。疱瘡のような病気なんだろう。ボロボロだ。
ヨハンはそんな彼の肩を抱いてみせる。若干しゃがみ込むような形で。
「こっちは弟のフランツだ。オレより二つ下。ああ、顔のことならもう治ってるから安心してくれ」
「そ、そうなのですか」
俺としては病気自体よりも肩を抱かれている弟さんがとても惨めそうな表情をしているのが気になった。
まるで生きていくための自信や力を全て取り上げられてしまったかのような目。
そんな小太りの次兄をエミリアは興味なさげに眺めている。
俺は無性に「破滅」のことを考えたくなった。
「ああ。もしフランツを気持ち悪いと思うなら、安心していいぞ。こいつは近いうちに別の家を……おっ。新しい曲が始まりそうだな」
休憩していた楽団がまた笛の音色を奏で始める。
広間の中央には他の貴族たちが寄ってきた。またダンスが始まる。男女が顔を合わせ、互いの品定めをするための踊り。
俺はヨハンに手を引かれた。
その力強さは紛うことなき男性で、ダンスに誘われたのかと思いきや──向かう先は広間の中央ではなくバルコニー。
「やだ、可愛いカップルだわ」
「ほどほどにしとけよ!」
周りの酔っ払い貴族たちに馴れ馴れしく応援されながら、光の下から外に出ると……川の方向から吹く風が気持ちよく髪を掻いてくれた。
眼下の森も暗闇の中で揺れている。軋む音、掻き分ける音、枝が転がる音。
見上げれば、夜空には満天の星々が浮かんでいた。天の川がしっかり見える。
あらゆる近代以前の者たちが眺めてきたであろう光のショー。
「お前と二人で話がしてみたくてな」
ヨハンは胸を張った。
その後ろに弟や妹の姿はない。どこかに行くように指示されたのかな。
俺は少し考えてから、おばさんから教えられた通りに会釈する。
「お誘いいただき光栄ですわ」
「おう。せっかく誘ってやったんだから、オレを楽しませてくれよ。オレに気に入ってもらえるように努力しろ」
「は?」
思わず生返事をしてしまったら、ヨハンからも「は?」と生返事が戻ってきた。
予想外だったみたいだ。
「……失礼、しゃっくりが」
俺は口元に手をやってごまかした。
ヨハンは何も言わず、こちらを見つめたまま。
別にマリーの姿に見惚れているわけではなく、ただ楽しませてもらえるのを待っている様子だ。
その期待に応える必要性が、はたしてあるのだろうか。
自分が何者であり、自分がここにいる理由を踏まえれば、何がなんでもヨハンに気に入ってもらわねばならない――なんてことはない。
井納純一としては男性と結婚する気はさらさらないし。
あえて婚姻のメリットを見出すとすれば、いざという時に大国・キーファー公領の力を借りられるかもしれない点くらいだ。
あるいは仲間にしてみるか。
「どうしたマリー。楽しく会話をさせてくれ」
「……ヨハン様は世界の「破滅」をご存知かしら?」
「聖書の話か?」
「今後の話ですわ」
俺は洪水や黙示録の話ではなく、いずれ来る危機の話をさせてもらう。
大貴族の嫡男なら何か知っているかもしれないという期待を込めて。
男性に気に入られたいのなら、本当はイングリッドおばさんのように過去の話をするべきなんだろう。
お互いにわかっていることは、安心、笑い、共感、尊敬を生み出してくれるから。
「……なるほど。空に浮かんだ五芒星が宇宙を飲み込むというわけか」
「はい」
「お前はまるで見てきたように自信たっぷりに語るが、にわかには信じられないな。今から十七年後に世界が破滅するなんて」
「小娘の未来予知だと思ってくだされば結構ですわ」
「……その未来は変えられないのか?」
ヨハンは己のあごに指を当てた。
信じてくれているというより、仮定の話として受け入れてくれているように見える。
ほんのりとした嬉しさが込み上げてきたのは、たぶん自分が楽になれたからだ。独りで抱えていたものを吐き出すことができた。
こんなボンボンのいけ好かない奴でも、素直に話を聞いてくれるのはありがたい。
「マリー。未来がわかっているなら今を変えればいい話だろ。なぜ破滅は起きる。何が原因だ?」
「わかりません。他には変な格好をした人たちが草原に立っていたことくらいしか」
「どこの草原だ。
「とても広い場所とだけ」
一応、例の流し込まれた映像を思い出そうとしてみたが、なにぶん八年前の話なので記憶がおぼろげだった。
「それではわからないな」
「具体性に欠ける話でごめんなさい」
「変な格好の連中というのは新大陸の魔法使いかもしれないが、しかし奴らにそこまでの力は……そもそもなぜそんなことを……」
「魔法使い」
俺は初めて耳にしたその単語に、顔が赤くなるのを感じた。
今まで読んだどの本にも記されていなかった「魔法」の存在。
この世界の科学力であんな破滅を引き起こすことは考えづらく、だからこそ本の中に追い求めていた「それ」が、ようやく尻尾を出してくれた。
やっぱりあるんだ、そういうの。
「マリーどうした。楽しい会話というのはお互いのリレーが肝要だぞ」
「失礼。ヨハン様は魔法使いに詳しいのですか?」
「詳しいも何も、低地地方の商人から奴隷として仕入れたばかりでよく知らん。ただ弱い風を起こせるくらいで兵士として役に立たないとは聞いたな。とても世界を滅ぼせるとは思えないが」
「わたし、その方とお会いしてみたいですわ」
「ほう。好奇心旺盛だな。ならもう少し待つといい。父上が宴の余興に連れてきている」
ヨハンは室内の男性に目を向けた。
おもちゃの兵隊の格好をした武蔵坊のような偉丈夫が、次男フランツの頭を撫でながら、他の貴族たちと歓談している。
傍らにはエミリアに似た女性の姿もあった。仮にヨハンの母だとしたら、俺は今日だけでキーファー家の大まかな面子の顔を知ったことになる。
一応挨拶しておくべきなのかな。でも別に結婚するつもりはないからなあ。
内心で対応を決めあぐねていると、不意に広間のほうから歓声が上がった。
「行くぞ」
ヨハンがまた手を引いてくる。
広間の中央には年老いた背の低い男が立っていた。
大君同盟の住民とは明らかに異なる風貌。
顔の皺に塗り込まれた赤い塗料は、往年の名画『捜索者』に出てくる新大陸の先住民を思わせる。伝統衣装と西洋的な帽子が妙に似合っている。
周りの貴族たちが、異民族への嘲笑と興味と恐怖を混ぜ合わせる中、彼はパチンと指を鳴らした。
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