1-2 マリーとエミリア


     × × ×     


 ラミーヘルム城から目的地のヘレノポリスまでは二十五日間の長旅となった。

 俺たちを乗せた馬車の列は街道沿いの貴族の館や教会を「はしご」する形で進み、当然のように各地で酒宴が開かれた。

 酒好きの父親は毎晩酔いつぶれていた。

 馬車の揺れも相まって、ほとんど一日中グロッキーになっており、時折車列を止めては、まるで自分の縄張りを誇示する犬のように胃袋の内容物を吐いていた。

 もし自分が歴史家なら「嘔吐公」とあだ名をつけて差し上げたいところだ。カミルも同じくらい吐いていたので、こちらはさしずめ「小嘔吐公」かな。


 ちなみに俺は下級貴族の館を訪れるたびに本棚を探し回っていたけど、残念ながらここでも「破滅」について知ることはできなかった。

 ある男爵は本棚に鉄格子と鎖をかけており、それほど大切にしている本なら――と望みをかけてみたものの、本人に訊ねてみたら貧乏性で盗まれたくないだけのようだった。活版印刷が普及していても、まだまだ本は高価な世界らしい。

 他の貴族も、古い羊皮紙の本などはみんな防犯用の鎖を巻いていた。公女としてのお願いで外してもらったけど。


 これが旅の終わりの頃ともなると、下級貴族の間で早馬でも走らせていたのか、その日の館に到着した途端に、自分だけ本棚や書斎に招待される……なんてこともあった。

 いつしか周りから「本好きのマリー様」などと呼ばれるようにもなり、旅に同行していた家庭教師のイングリッドおばさんはしばしば喜んでいた。

 曰く「知識や教養のある女性は領主たる夫の留守を預かるに相応しいと見なされます。つまりモテます」とのこと。どうでもいい。男にモテても何の得にもならないし。


 モテるといえば、彼女もまた各地の館で貴族たちと楽しそうに詩や古典について話し合っていた。ビールやりんご酒を飲み交わし、互いにしょっぱい肉を食いちぎっていた。嘔吐公ちちおやが気分悪そうに酒を飲んでいるぶん、おばさんのほうが主役のようだった。

 今回は妊娠中で同行していないけれど、公女の母親は城の晩餐会などでああいう振る舞いができない人なので、おばさんの交遊は参考になりそうだ。

 いや、本当にモテるとかどうでもいいんだけどね。世渡りの勉強になるから。


 そんなこんなで──四月末日、馬車の列は目的地のヘレノポリスに到着する。



     × × ×     



 多くの街がそうであるように、ヘレノポリスもまた川沿いの都市だった。

 近世の城郭都市らしく、川岸の南部分を除いて鋭角状の堡塁バスタイと堀で囲まれており、俯瞰すると半星形の地形を作り出している。

 馬車の列はそれらの防御施設を通り過ぎた先、市街地中央の大聖堂近くで停車した。

 父親と廷臣数名がそこで降りる。


「私は大君や諸侯にお会いしてくる。お前たちは城外の宿で夜の支度をしていなさい。差配はイングリッドに任せよう」


 前日に酒を抜いたのが功を奏したようで、比較的確かな足取りで父親たちは大聖堂の中に入っていった。

 あそこで大君議会が開催されるのか。


 俺とカミルは馬車に乗ったまま、再び城の外に出る。

 おばさんの話では、城内の宿場だけでは全国各地の諸侯や家族の寝床を到底賄えないそうで、大半の者は城外に宿を取っているらしい。

 城外にも市街地は広がっており、特に北通りは千客万来の大賑わいとなっていた。

 街角の酒場には身なりの良し悪しを問わず人があふれ、酒を飲みかわす男女の足元を子供が走り回っている。

 何となく前世の居酒屋の光景を思い出し、俺も自然と笑みがこぼれた。こちらの酒場だと『とん平焼き』は売ってないだろうなあ。久しぶりに食べたい。


 街には印刷工場もあった。女性の親方が丁稚の子供に仕事を教えている。品揃えを見に行きたいところだけど、見知らぬ土地で単独行動はやめておこう。

 ぶっちゃけ、どの通りも治安はよろしくないように感じる。


「このあたりで停まりなさい。あとは旦那様の使いが来るまでクッヒェ家の厩舎で待っていなさいな」


 おばさんの指示で御者が馬車を止める。


 弟と共に馬車を降りると、ちょうど近くの女の子と目が合った。

 ずいぶんとめかしこんでおり、ゆったりとしたデザインの緑色のワンピースからは所々に強烈なこだわりを感じる。レースなりボタンなり襟なり。ただ大人向けの服を子供でも着られるように作り替えたためか、相当に着ぶくれしているように見えた。

 対照的に顔立ちはほっそりとしていて、そのくせ「ほっぺ」の赤みは子供っぽく、とても愛らしい。俗っぽい表現をするなら人形みたいな子だ。

 都会の子なのかな。それとも地方から来た貴族の娘か。周りに衛兵がいるあたり後者っぽいな。

 イングリッドおばさんが無言で促してきたので、こちらから挨拶させてもらう。


「こんにちは。わたしはヒューゲル家の娘、マリーです」

「ヒューゲルぅ? はあぁ? どこの田舎娘かと思ったら、領地のくっそ小さい自称公爵さんところの娘じゃないの。相変わらず領民は川で溺れてるの?」


 すごい。めちゃくちゃ煽られた。

 自分としては(井納純一にとって)他人事なので、さほど怒りを覚えたりしないけど……隣ではカミルが両手を握りしめている。可愛い。


「あたしは由緒正しき譜代の家柄、初代大君ルドルフ・デア・グローセの異母弟・キーファー公爵家の嫡流にして、今の大君陛下の姪、エミリア・フォン・キーファー。あなたとは格が格段に違うわ!」


 その口上は何度も練習したんだろうか。

 俺の脳からは可愛いという感想しか浮かんでこないものの、相変わらずカミルは悔しそうにしているし、イングリッドおばさんも「譜代の家柄はヒューゲルも同じだわよ」と小声で呟いていた。

 それにしても……キーファー公の娘か。


「ところでマリーとかいう田舎者のあなた、年はいくつなの。あたしは恐れ多くも七つになったばかりだけど」

「八つになります」

「はん! 新教徒は年を重ねられないから! ノーカンね!」


 本当にめちゃくちゃ言うなあ。家でどんな教育を受けているんだろう。


 ちなみにこの世界でも宗教改革は起きているようで、自分マリーが生まれる十年前まで「十五年戦争」という非常に苛烈な宗教戦争があったらしい。

 十年前にこの街で結ばれた条約と勅令により領邦ごとの信教の自由が認められ、今は各地の領主が自分の信じる考え方を守ってよいことになっている。領民はそれに従う決まりだけど、他の土地や自由都市に逃げられると困るのであまり徹底されていない。


 こうして制度的・体制的には宗派の対立関係が一定の解体をみせた。だけど、今も人間の心理的には対立を残しているみたいだ。

 こんな街角の小さな二人でも起きてしまうくらいには、まだまだ。

 もっともエミリアの場合は、ただ因縁をつけるために新教徒と旧教徒の対立を利用しているように見えるけど。


 彼女は上目遣いでこちらの顔を覗き込みながら、また唇を開く。


「はーあ。ほんと可哀そうで情けない田舎者の顔だわ。みんなの前に出てきても、たっぷり恥をかくだけだから、お宿でおねんねしていたほうがよろしくてよ?」

「善処させていただきます」

「田舎者のくせに非常に賢明ね! ぜひそうしてちょうだい!」


 それから三つほどいらん言葉を続けて、彼女は衛兵たちと共に颯爽と去っていった。

 そして近くを歩いていた別の少女に噛みついていた。狂犬かよ。


 ともあれ、嵐は去った。

 ずっと我慢していたカミルはイングリッドおばさんに抱きつき、おばさんはその頭を撫でてやっている。

 領主の子供同士でケンカしたら大事になるかもしれないからなあ。特に相手が相手だけに。


 何となく自分もカミルの頭を撫でてやると、弟は「マリーお姉ちゃん」と今度はこちらに抱きついてきた。

 おかげで、自分の服が涙と鼻水でべちょべちょになってしまう。


 イングリッドおばさんが小さく笑った。


「大丈夫ですよ。夜のための着替えは用意してあります。それこそ、さっきの子に負けないお召し物ですからね!」


 その隣では女中たちがバッグを抱えている。

 俺は気合の入ったドレスならではの、非常に面倒くさいお色直しが待っていることを悟り、とても湿っぽい気分になった。どの世界でも女の子は大変だ。

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