第4話 ≪術式展開≫

 先ほどまで少女をガッチリと拘束していたコンクリート塀の上部を少年の放った魔術が轟音と粉塵をまき散らしながら、少女の体僅か数センチ上を粉々に粉砕した。

 ふーっ、と一仕事を終えたような様子で、彼はさわやかな笑顔とともに軽く息を吐いた。

「…………」

 そんなスッキリとした表情の彼とは対照的に少女は何も言わずにゆっくりと身を起こす。

 肩ほどまである黒い髪を手でとかし、彼女は自らの青いブレザーを無言のまま両手でパンパンと埃を払う。

 そのままツカツカと男に詰め寄り、先ほどまでは見ることができなかった顔を、二人の身長差からグイッと見上げる形で男の顔に近づけた。

 そして、

「ふっっっざけるな!ホントに死ぬかと思ったわ!」

 中学生二年生ぐらいだろうか、男は想像よりも幼く、かわいらしい少女の唐突の非難にたじろぎつつ、男はなんとか事を収めようと試みる。

「まぁそうカッカすんなって、それに俺は一応命の恩人だぜ?むしろ感謝される立場だと思うんだが、そこんとこどうなのさ?」

「そりゃあ…まぁ…感謝はしてるけど……」

「だろ?まあお礼とかは別にいらないからさ、困ったときはお互い様だよな、うんうん」

「う~~ん、なにか、こう、釈然としない……」

 しゃがみ込み、頭を抱えながらウンウンとわかりやすく考え込む少女。

 なかなか義理堅い彼女の感謝の念を悪用するべく、少年はうなり続ける彼女に畳みかけるように続ける。

「なあ、そろそろソレ、直してくれないか?」

 彼が指を指した方には先ほど男が粉々にした、コンクリート塀の残骸があった。

「あ……あぁ……うん、そうだね」

 いわれるがまま少女立ち上がり、くるりと反転し自らの魔術礼装が入ったカバンに近づいていく。

 よしチョロい、いろいろ流されやすいと確信した少年はそのままこの場を立ち去ろうとカバンを拾い直し、ゆっくりとあとずさりを始めた。

 しかし、

「ちょっと!逃げようとしてません⁉」

 いきなり勢いよく振り返った少女が徐々に自分から離れていく少年を捕捉した。

「イヤダナー、ソンナワケナイジャナイカー」

「すっごい棒読みですけど。私一人だけ見つかって補導なんてイヤですよ。」

 この少女どうにも流されやすいが、勘はいいようである。

 その後、少年は隙を見て正面突破を試みたが、少女に超反応で追いつかれた挙句、満面の笑みの、しかし目が一切笑っていない彼女が逃がすまいと彼のカバンを掴み、しばらく二人見つめあい、片や逃げたい片や逃がすまいと無言の攻防を続けた。

「わかった!わかったよ、もう逃げないって!」

 結局少年が観念し静かな路地裏の攻防は彼の逃走失敗という形で終幕となった。

「そもそも壊した犯人はあなたなんですから、逃げて警察とか軍に怒られるのもあなただけですよ?」

「うぐっ………はぁ……」

 少女に逃げないように釘を刺され、いろいろ諦めた少年は渋々カバンを下ろし、彼女がハマっていたのとは反対側の壁に腕を組み、もたれかかる。

 ようやく少女が、少年が粉々にした壁を修理すべく自らのカバンをごそごそと漁る。

「え……っと……あれ?あ、そうか」

 おもむろにそう呟いた少女は軽やかに、少年が派手に壊したコンクリート塀を乗り越え住宅の庭に入っていった。

「不法侵入」

「あなたが壁をこわしちゃってるからこれはセーフ。悪いのはあなた」

「………………」

 ビシッ!と少年を指さす少女の謎の理屈によって悪者にされてしまっているが、実際やってしまっていることとして彼の方がだいぶやらかしてしまっているので、彼は何も言い返せない。

「これこれ」

 キョロキョロと庭の中を見渡し、すぐに目当ての物をみつけた少女が拾い上げたものは一枚のカードであった。

「なんだそれ?カード?」

「そうよ。私の魔術礼装」

 ぴょんと明るい庭から暗い路地にもどってきた少女は残りのカードもケースから取り出した。

「さて…と、やりますか。≪術式展開オープン≫」

 少女の声とともに彼女の手に中にあったカードがふわりと浮き上がり、彼女の周りを淡い赤い光を放ちながら飛び回る。

 だんだんと回転が速くなり、淡かった光も回転の速さに比例して増していく。

「≪命令オーダー審判ジャッジメント≫!」

 少女は空を舞うカードの一枚を右手で勢いよくつかみ取り、上部が大きく欠損した壁におもいきりたたきつける。

 しかしカードは壁に激突することなく、壁のすぐ手前の空中で停止しカードから放たれている赤い光が徐々に壁全体に広がっていった。

「へえ…タロット、大アルカナか」

「ムムム……今、ちょっと、集中してる、ので、あんまり、はなし、かけないで」

 クルクルと彼女の周りを舞い続けるタロットを左手で制しつつ、右手は壁に、正確には壁の前のカードの前にかざし続けている。

 するとまるで動画の逆再生のように、少しづつ、周りに散らばっているコンクリートの欠片が元の位置に戻っていく。

(なるほど、審判のカードの『復活』の意味を抽出して『元に戻す』ことに特化させて壁の壊れた部分を『復活』させてるのか)

 なるべく少女の集中を乱さないように静かにしつつ、少年は目の前の魔術現象を考察する。

 そして、ものの十分ほどで少年が粉々にした部分だけでなく元々壁に空いていた少女がハマっていた穴の部分までもすっかり直してしまった。

「ふぅ~、疲れたましたぁ」

 壁を直し終わり、すべてのカードを回収し終わった少女はその場にへたり込んだ。

「いやーお疲れさん、にしてもすごいな最近の中学生は」

「は?」

「ん?いや、俺もタロットはかじったことがある程度だけど、こんなにいろいろ器用な魔術ができるならもっとまじめにやればよかったかなって思って」

「えへへ~~~それほどでも~~」

 少女は照れ笑いを浮かべながら頭をかく。

 が、

「いや、そこじゃなくて」

「?」

 少女はおもむろに立ち上がり不満げな表情を浮かべ、こう言い放った。

「私は今日かられっきとした高校生なんですけど?」

 少年の思考が一瞬完全にフリーズする。

 どう見ても140㎝ほどしかないこの目の前のチンチクリンが自分と同学年?

 そんなわけはないだろう。

 どう見てもいいとこ中二だろう、マーおませさんな子だなぁ、少年はそんなことを考えだしていた。

 しかし、よくよくこの目の前の仁王立ちの少女を観察すると、彼はあることに気が付いた。

 この少女が着ている青いブレザーは自分が今着ているものと大変よく似ていないか?

 おそるおそる彼は尋ねる。

「高校って、どこの?」

 少女はふふんと鼻をならし、自慢するかのように、

「あの名門の帝立・東雲しののめ学園です!」

 はぁ…、とため息をつく男など眼中にないかのように矢継ぎ早に少女が続ける。

「あの東雲ですよ!生徒数約三千人!軍出身の先生も多い!常に最新の設備!敷地内には天然の森があるほどの広大な敷地!もはや高校というよりは大学のソレ!」

「あのー…」

「なんといっても!」

 熱く語りだした少女に話しかけようとするも遮られてしまった。

「卒業生がすごい!いまの軍の上位ランカー、特に三桁トリプルより上に東雲の人間がとっても多いんです!」

 鼻息荒く語り続ける少女に、彼がさりげなく袖をいじってみたりと自分の制服をアピールする。

 すると、

「しかもしかも!今の一位……の………ひ……と…………も……………」

 夢中に話していた少女が何かに気づき、彼女の声が尻すぼみになっていく。

 そして刹那の、しかししっかりと重い空気を作り出した沈黙後、少女はややためらいつつも口を開く。

「あの~…もしかして~……?」

 彼はゆっくりと無言で頷いた。

 少女の顔が、暗い路地でも彼から見てもはっきりわかるほどみるみる真っ赤に染まっていく。

 そのまま少女が座り込んで俯いてしまった。

 そして震える声で、

「あんな痴態を同級生にみられた…。もうだめだ…同級生にいいふらされて後ろ指を指されながら三年間憧れだった学校でボッチで生きていくんだ……」

「想像力豊かなのは大変結構だが、普通はそんなことしねぇよ……」

 すると彼はギョッとしてしまった。

 バッ!と勢いよく顔を上げた少女の真っ赤に充血した目元には大粒の涙がたまっていたのだ。

「ほ……ほんどに?」

「ああ」

「ほ、んどに……ほん……と?」

「だからホントって言ってんだろ?それに俺も人の家の壁壊してお前に直してもらってるし、それでおあいこだろ?な?」

 男がなるべく優しくなだめるように、いまだに涙目の少女に語りかける。

「でも………それじゃ…助けてもらった分は……」

 まだもじもじとする少女。やはり変なところで義理堅いというか頑固である。

 そこへパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。近隣住民の誰かが男が壁を壊した時の爆音を聞き通報したのであろう。

(マズイ、来やがったか…)

 もしバレたら補導待ったなしである。早くここから離れなければならない。

「わかった!わかった!このことは貸しにしといてやるから!ほら、逃げるぞ!」

 少年は少女のか細い腕をつかみ強引に立たせた。カバンを拾い、とりあえず近づくサイレンから逃げるように少女の小さな手を握り走り出す。どうせ二人の目的地は同じである。

 問題はない。

 問題があるとしたら入学式に遅刻することが確定的であることだけである。

 少女の手を引きながら少年が大変いまさらな質問をした。

「そういえばお前名前は?」

「……メイ」

「そっか俺は長波七輝ながなみかずき。これから三年間よろしくな」

「ん…」

 暗い路地から明るい道へと二人で飛び出した。そこには鮮やかな、まるで二人の未来に待ち受ける波瀾を予見させるような桜吹雪が舞っていた。

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