その2

『は?』

 俺は彼が何を言ってるのか理解できずに、くわえたシナモンスティックを

危うく落としかけた。


『妻は・・・・とても出来た女です。俺・・・・いえ、僕みたいな男のために、実によく尽くしてくれます。』


 彼はそこでゾウが吐くようなため息を漏らした。


 彼女の名前は椿薫子つばき・かおるこという。

 

 こちらは芸名ではない。れっきとした本名・・・・あ、とすれば現在は田中薫子となるわけか。


 年齢は現在48歳。出身は愛知県の名古屋市で、早くから舞台女優を志し、東京の某私立大学芸術学部演劇学科に入学。学生時代は演劇活動の傍ら、舞台美術も学び、演劇一筋の生活を送る。


 卒業後は二~三の劇団を受験するも全て落ち、昔の演劇仲間とセミプロの劇団を結成してそこで活躍。


 当然、舞台女優だけでは生活できないから、色々なアルバイトをする内に、先輩の口利きで声の仕事に携わった。


 後は田中氏が語ってくれた通りである。


 彼女の写真を見せてくれたが、なかなかきりっとしていていい女だ。


 声の世界に行かず、舞台だけでも十分にやっていける表情をしている。


 それにしても、

『声だけで、十分メシが喰える』と言わしめたこの田中氏が、


 今自分の妻について語る時、さながら”青菜に塩”の例えどおりにしぼんでいるとはな。


『そんなこと、何も俺・・・・いや、私に頼まなくても、自分で聞けばいいでしょうに?』


 俺はシナモンスティックを齧りつくすと、もう一本取りだして咥え、からかうように言った。


『それが出来るくらいなら、とっくにやってますよ』


 印象的な目をぐりつかせながら、彼は俺に言った。


『僕はこんな顔をしてますが、どちらかというと気が小さい方なんです。特に相手が女性となると猶更なおさらなんです。』


 結婚生活は順調だ。


 お互いに似たような職場であるから、すれ違いもない。


 彼女は料理その他家事全般は得意中の得意で、何でも本当にそつなくこなしてくれ、それだけじゃない。


 田中氏の為ならどんなことでもやってくれる。


 こんなのはまず時代劇の中でしかお目といった具合なのだ。


『妻の事を調べるなんて、本当に嫌だし、出来ればはっきりさせたいんですが、でも自分で聞こうと思うと、どうしても二の足を踏んでしまうんです。それならいっそ・・・・と考え、昔なじみの弁護士をやっている男に相談をしましたら、貴方を紹介してくれましてね』


『・・・・』


 俺はため息をつき、シナモンスティックの尻でコーヒーカップをかき回した。


『基本的に私は結婚や離婚に関する調査は、個人的信条として引き受けないことにしてるんですがね。まあ、いいでしょう。その代わり料金はきっちり頂きます。一日6万円と必要経費。その他に危険手当として、4万円の割増し料金を頂くことになりますが』


 彼は『妻の事が分かるなら、幾らでも出します』と首を縦に何度も振った。


『よろしい、ではこちらの契約書にサインを下さい。あと、調査のやり方については、私に全面的に委任して頂く。それで宜しいですな?』


 

 





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