第11 話死者に捧げられた絵画

ー夢想するために書かれた絵画は歴史を動かしたー


「死の島」

さざ波1つない粘り着くような海。

小舟に揺られている白い服の人物。

ずっと見ていると、

絵の中の小舟がゆっくりと動き出す。

そんな感覚にさえ陥りそうになります。


作者はアルノルト・ベックリン。

スイス出身の画家です。

彼は、この絵と同じ構図のものを5枚描いています。

そのうちの1つは、歴史上のある人物の手に渡りました。


その人物の名前は…。

アドルフ・ヒトラー。

第二次世界大戦中のドイツの政治家であり独裁者。

彼もまた…。

死に魅入られたかのように、ベックリンの絵画を収集しています。


なぜこのような絵を描いたのでしょう?

なぜこの絵は人を引き付けるのでしょう?

そして、魅了された人々が辿った結末とは?


「亡き人を思い夢想するための絵画」


もともとこの絵は依頼されて描いたもの。

若くして大切な人を失った未亡人からの依頼だったと言います。


「夫の喪に服し、夫との思い出を夢想するための絵が欲しい。」


つまり、この絵は「死者に捧げられた絵画」。

そのためなのでしょうか。

この絵には死をイメージさせるモチーフが多く描かれています。


中央の真っ直ぐな木は糸杉。

これは、冥界の王プルトンに捧げられたものとされています。

そして、不慮の死を司る女神の聖なる木とも言われています。

小舟に乗せられているのは棺のようなもの。

白い服をまとった人物は死神のようにも見えます。

岸壁には、棺を納めるようないくつもの穴。

静寂と重苦しさの漂う世界観。


夢想するための絵ならば、

あえて「死」を連想させるモチーフを選ばなくても、

亡き人との思い出や品物をモチーフに選んでも良さそうなものです。

しかし、この絵を見た依頼主はとても満足していたと言われています。

そのためベックリンは、

白装束の人物を依頼主に似せて描きなおしたそうです。


ベックリンは同時進行で、まったく同じ絵を2枚描いています。

1枚は依頼主のために。

もう1枚は自分自身の手元に置くために。

この絵を描いている最中、ベックリンの幼い娘が亡くなっています。

その子に捧げたものだったのでしょうか。


「死者に捧げられた絵」

「死者のための絵画」

まるで、人の生命力を奪っていくようにも見えてきます。

船に乗せて運んでいるのはもしかしたら…。

見ている人間の生命力なのかもしれません。


「海辺のヴィラ」

この絵にも「死」をイメージさせるモチーフが描かれています。

糸杉と礼拝所。

しかし、この絵には女性が描かれています。

大切な人との思い出を夢想する女性のようにも見えます。

それとも、ベックリンの亡くなった娘が成長した姿なのでしょうか?

誰かを待っているようにも見えます。

彼女が待っているのは、ベックリン自身なのかもしれません。


この島のモデルになったと言われている島は、地中海にあります。

ポンディコニシと呼ばれる小さな島。

この島には、やはり糸杉と小さな礼拝堂があります。

夜に見ると不気味かもしれませんが、

昼間の風景は風光明媚なのんびりした感じが伝わる島です。

ベックリンが実際にこの島を訪れたのかは分かっていません。

この島以外にも、色々な島がモデルだと言われています。

一番似ているのはやっぱりこの島のように思えます。


「死の島に魅了された人々」


1872年に描かれたベックリンの自画像。


自分自身の後ろに、バイオリンを鳴らす死神。

1880年に「死の島」を描く前のものです。

ベックリンはアルコール中毒を患っていたと言われています。

自分自身に忍び寄る「死の影」。

そんな不安が、この絵には隠されているのかもしれません。

「死の島」の複製画が増え始めたのが19世紀末から20世紀前半。

ドイツ国内や周辺国で爆発的に広まりました。

一家に1枚。

そんな状態だったと言われています。


「死」をイメージさせる絵画がいたる所にある。

よく考えると不気味さが倍増します。

それほど「死」が身近にあった時代だったということなのでしょうか。

ベックリン絵画のほとんどは、伝説や神話のモチーフが多いことで知られています。

そんなベックリン絵画に魅了されたのがヒトラーです。


ヒトラーが画家を目指して挫折したのは有名な話しです。

彼が落第した前年に、エゴン・シーレが同じ美術学校に合格しています。

エゴン・シーレの描いた絵画。

題名は「死と乙女」。

エゴン・シーレは28歳という若さで亡くなっています。


美術学校に提出したという描いたヒトラーの絵画が残されています。

この絵は意外と上手に描けてます。

もしヒトラーが画家として成功していたら、

時代は変わっていたのかもしれません。

ヒトラーは、自分自身でも数多くの絵画をコレクションしていました。

コレクションの中には、フェルメール絵画も多くあります。

このフェルメール絵画が、後に大事件を巻き起こしていますが、

それは別の機会に…。


ヒトラーには不思議な力があったと言われています。

爆発寸前で「声が聞こえた」と言って命拾いをしたり、

助けた犬を追いかけて外に出たら、数分前まで自分がいた場所が爆撃されたり。

そんな彼がベックリン絵画をコレクションしていたのです。

1940年にソ連側の重要人物と写した写真の背後には…。

「死の島」。

この写真が撮られたのちに、ソ連とドイツは戦乱に突入します。

彼は、自分がコレクションした絵画を、

自分の美術館に飾ろうとしたと言われています。

敗戦後に発見された多くの絵画は、

もともとの持ち主に返還され、現代でも鑑賞することが出来ます。


余談ですが、

SF映画「エイリアン」を作った美術家ギーガー。

彼も「死の島」のオマージュ作品を残しています。

静まり返ったベックリンの「死の島」とは違い、

エイリアンの内部にでも入り込むような不気味な雰囲気があります。


「死の島」

小舟に乗せられているのは…。

あなた?…それとも…私?









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る