第10話 日本の未発見財宝伝説
〇ー日本にはまだまだ未発見の財宝が眠っている?!ー
昭和32年 銀座の真ん中である物が発見されました。
工事現場で発見されたそれは…。
200枚以上の慶長(けいちょう)小判。
昭和36年 山形。
川遊びをしていた少年たちが小判を発見。
天保(てんぽう)元年のものだと分かりました。
当時、小判を運んでいた男が川に転落。
運ばれていた小判は80枚。
当時の記録帳に残されていました。
そして、発見された小判は72枚。
残り8枚はまだ未発見のまま。
この小判は現在、山形県白鷹(しらたか)町に保管されています。
2002年には、埼玉県のお寺の境内から38枚の小判が発見されています。
同じく2002年、富山県では豪農の屋敷跡から小判や銀貨が。
日本にはまだまだ発見されていない財宝が眠っているのです。
未発見の財宝。
その謎とミステリーを紹介したいと思います。
〇「帰雲城に眠る財宝」
岐阜県白川郷。
世界遺産にも認定されている風光明媚な土地。
この地に、かつて「帰雲城(かえりくもじょう)」と呼ばれる城がありました。
この城は、「きうんじょう」と呼ばれることもあります。
城主は「内ケ島氏理(うちがしまうじまさ)」。
周囲に7つの金や銀の鉱山を所有し、莫大な利益を上げていました。
現在の価値に換算すると数兆円。
現在残されている「帰雲城埋没地」とする石碑や、
帰雲(かえりくも)神社は、ここにあったかもしれないというだけのもの。
なぜなら、実際の「帰雲城」や城下町は、
一夜にして消えてしまったからです。
原因は「天正大地震」。
1585年 深夜に起きたこの地震で、「帰雲城」の後ろにそびえる山が崩壊。
城と城下町にいた人々を巻き込みました。
生存者は、たまたま村を離れていた住民が数人のみ。
あまりにも変わり果てた景色のせいで、
城下町の場所も城の場所も分からなくなったと言われています。
戦後の地質調査で、山体崩壊の痕跡と土砂災害の痕跡が発見されました。
しかし、当時の詳細な文献は未発見のまま。
「帰雲城」のおおよその場所と、
土砂災害の規模や土石流の方向が分かれば、
時価数兆円とも言われる財宝が見つかる可能性も…。
〇「北海道に隠された義経の財宝」
鎌倉幕府を作った源頼朝の弟 源義経。
天才的な戦術で、源氏を勝利に導いた武将です。
兄である頼朝に追われ岩手県平泉で亡くなったと言われています。
しかし、当時から義経生存説はささやかれていました。
原因とされるのが、頼朝の元に運ばれた義経の首です。
1か月以上もかかって運ばれたその首は、
義経本人のものとは断定できないような状態だったそうです。
義経が逃げたと言われる北の地には、
言い伝えや義経の家紋が刻まれた石などの痕跡が残されています。
その1つが財宝伝説。
奥州藤原氏から逃走資金として、砂金や黄金を託された義経。
自らの死を偽装し、そのまま北海道へ渡ったというのです。
その時に持っていた砂金や黄金の一部を隠し、義経はそのまま北へ。
この先の伝説は、義経がモンゴルへ渡ったというものや、
アイヌの娘との悲恋物語などに繋がっていきます。
この逃走資金の隠し場所とされるのが、
「ラルマナイ川」の上流と言われています。
他にも「熊の沢」に隠されているという言い伝えも残されています。
戦後の大規模な調査では発見されていませんが、
広大な北海道の地に、
義経の隠し財宝が眠っている可能性は…まだ残されています。
〇「横須賀沖に沈んだ幕府御用金」
幕末の混乱の中で、徳川家の御用金が埋蔵された話は有名です。
しかし、もう1つ。
大阪に隠されていた軍用金の行方が分かっていません。
大阪から函館に運ばれる予定だったと言われています。
この軍資金を載せていた船は、出航後まもなく横須賀沖で座礁(ざしょう)。
そのまま沈んだと言われています。
何度かテレビ番組などでも捜索されていますが、
いまだに発見されたという話は聞こえてきません。
江戸城が開城されたときに、蔵の中が空だったのは事実。
江戸城御用金の行方も、埋蔵された。海外へ運ばれた。
など色々ささやかれています。
横須賀沖の海底には、他にも多くの沈没船が。
その中には、貿易品を積んだ外国の船もあります。
しかし、複雑な海底の地形と海流によって、
沈没した場所から移動してしまったり、海溝(かいこう)に沈んでしまった船もあります。
貿易品の方が見つかる可能性は高いかもしれませんが、
もしかしたら…その中には莫大な財宝が…。
〇「バルチック艦隊軍資金はどこに?」
明治38年。
日露戦争中の日本海で沈んだロシアのバルチック艦隊は約21隻。
この中に、数百億円分の軍資金が積まれていたと言われています。
バルチック艦隊は、日本海の対馬沖で日本海軍と遭遇。
東郷平八郎率いる連合艦隊と衝突し敗北しています。
長距離の航海に必要な軍用金と、日本軍と戦うための遠征費用。
それらの全てを金塊に変えて運んでいたとされる船は4隻。
このうちの3隻が、日本海に沈んでいます。
運送船イルティッシュ号は島根県沖で沈没。
装甲巡洋艦(そうこうじゅんようかん)ドミトリー・ドンスコイ号は竹島沖に。
同じく装甲巡洋艦アドミラル・ナヒモフ号が対馬沖に。
軍資金を積んだとされる船は4隻。
沈没した3隻のうち、アドミラル・ナヒモフ号からは、
プラチナや金塊のような形に偽装した鉛が発見されています。
残りの2隻はいまだ海底に沈んだまま。
そして、名前も分かっていない謎の1隻。
この船については記録も残されていないのです。
謎の1隻が運んでいたのでしょうか?
それとも、日本海に沈む残りの船に積まれていたのでしょうか?
それは、今も謎のまま…。
〇「カリブの財宝が日本に隠されている」
カリブの海賊の宝が日本に隠されているとしたら?
それは…。
海賊キッドの財宝と言われています。
場所は、奄美大島近海の宝島(たからじま)と横当島(よこあてじま)。
この場所が財宝の隠し場所と言われる理由は、
17世紀に発見されたウィリアム・キッドの地図です。
そこには、東シナ海という単語に島の形が書かれていました。
その島の形と一致するのが、宝島と横当島と言われています。
しかし、この話は海賊キッドが命乞いのためにした作り話とする説もあります。
もし作り話だったとしても…。
日本近海に実在していた海賊「倭寇(わこう)」の財宝が残っている可能性はあります。
日本各地に残されている財宝伝説。
そのうちのいくつかは、実際に発見されています。
ここで紹介した財宝伝説も発見されるかもしれません。
発見者があなただったら…?
日本の法律では、落し物は警察へ。
例えそれが財宝だったとしても…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます