第5話 夏の紡織部

 夏休み中の紡織部は空き教室をひとつ丸々占領する。クラブハウスに設置されていた高機を二つ。普段は使っていない機が五つ、計七つが空き教室に据えられる。一年生も含めて部員全員に機が行き渡ることになるわけだ。

 合宿で一年生に課せられるのは浴衣作りだった。八月の半ばには山の麓にある小さな神社で秋祭りが開かれ、合宿の最終日と重なる。そのお祭りに着ていく浴衣を織り上げるのが一年生に与えられた課題だ。もちろん、帯も自作となる。

 浴衣の織りに使う糸は昨年収穫した綿花から一学期のうちに紡いであった。茜は織り上げてから絞り染めをするのだと、染めない糸を用意していたけれど、わたしは茜より仕事の手が遅い。すでにストックのあった染め糸を使うことにした。カモミールで染めた卵色の糸。ハーブティを作ってみようと寄宿舎の裏手に播いてみたら大豊作となってしまったもので、みょうばん媒染ばいせんした色合いが気に入って大量に染めてしまった。

 七台の織機を詰め込んだ教室はさすがに狭い。機音のリズムが違う七人が並ぶとその音も「心地良い」などと言っていられなくなる。女工哀史と部員達は軽口を叩きつつ、廊下も校庭側も窓を開け放った教室には笑い声が絶えない。手仕事に励む少女たちは陽気だった。

 ――わたしは百円工女だけどね。

 『あゝ野麦峠』で有名になった言葉だ。戦前の製糸工場で働いていた少女たちの話で、優秀な娘は実家に家を建てさせるほどの稼ぎを得たらしい。それが百円工女だ。もっともわたしの場合は先輩たちから百円玉を渡されて、寄宿舎の自動販売機まで飲み物を買いに走らされるという安い百円工女だったけれど。

 合宿も浴衣の準備ばかりしていられるわけでもない。夏は織りも染めも素材集めの季節だ。部の桑畑にも青葉が繁り、本校舎の時計塔にある蚕部屋では四齢の幼虫が驚くような速度で桑の葉を食べ始めている。部の仕事でわたしが一番気に入っているのがこの蚕の世話だった。単に真っ白いだけの芋虫なのだけれど、自分の手で育てたためか、見慣れたのか、妙に可愛く見える。

「見る間に大きくなっていきますわね」

 蚕の話をしただけで悲鳴を上げていた茜も今では手のひらに乗せた幼虫の柔らかでひいやりとした感触に目を細めるまでになっていた。

「明後日はまた二みんの幼虫が届くんだっけ」

「ええ。北海道の夏は短いですもの」

 紡織部ではその短い夏に二回、繭を取る。一回では生糸が不足するし、三回は部員の手が足りない。使われなくなった時計塔を借りて蚕棚を並べていた。屋根裏のない部屋は熱気とさなぎの臭いがこもっていた。夏中汗だくになって世話をして、部屋いっぱいの蚕から取れるのがせいぜい数反分にしかならないと聞けば溜息も出る。

「……この子たち、茹でてしまうのね」

 茜がマスクの下でぽつりと呟いた。

 繭を取るためには繭の中にいる蛹を殺さねばならない。蛹が羽化した後の繭でも生糸は取れるが、糸が寸断されてしまうために品質が落ちてしまう。茜の言い様は残酷な響きを含んでいたが、それが養蚕の事実だ。

「辛い?」

「そうね――いいえ。手をかけて育んだ命を摘み取って紡ぐのですもの。きっと織り上げた布が心から愛しく感じられるようになりますわ」

 夏休みが明けると繭から糸を取る作業が始まるはずだった。二回の生糸収穫を終えれば次は綿花の収穫が待っている。冬に向けては羊毛や綿から糸を紡ぎ、機を織る紡織部本来のシーズンが訪れる。

「わたしたちも再来年には絹で作品を作るんだよね。茜は織りたい物決まってる?」

「憧れているものはありますけれど、実際に織れるかどうかは……」

「なになに?」

 蚕棚を掃除する手を休めずに茜がはにかみつつ答える。蚕を山ほど載せた籠を手にマスクをつけたまま頬を染める姿は少しシュールだ。服装もしっかり除菌した割烹着かっぽうぎで。

女房装束にょうぼうしょうぞくですの」

十二単じゅうにひとえ?」

 平安時代の女性の正装だ。今は十二単と呼ばれているけれどそれは正式名称ではないし、重ね着も十二枚と決まっていたわけではない。唐から輸入された宮廷文化が日本の風土に定着したものがそれだ。

「京都御所で展示されてるよね。復元されたのが。国立博物館にもあるんだっけ?」

「ええ。あれは日本伝統種の蚕を使い、灰汁あくや泥を使った伝統的な媒染ばいせんで、染料もすべて草木染めの可能な限り当時の技法を再現したものなのだそうです。でも、うちの部でもそっくりそのままとは言えないけれど近い環境は再現できているんじゃないかしら」

 蚕種は業者から買っていたし、媒染剤は化学薬品も使ってはいたけれど、草木染めで手紡ぎで手織りでと基本要素は押さえている。手間がかかりすぎて商業的に染織を行っている人たちでは為し得ないことを、北国の高校生が行っていた。

「染料植物も学校の近くで賄えてしまうのは強みかしら」

 キハダも紫も茜もエンジュも大青も、近くの山に自生しているのだ。

「でも十二単って全部で二十キロくらいになるんだよね? うちの部じゃ生糸を生産しきれないよ」

 繭から得られる糸は精練すると半分近い重さになってしまう。四十キロの繭を収穫するには本格的な設備が必要だろう。紡ぎ手も織り手も一人では間に合わない。宮廷人の衣装なのだ。小さな農村ひとつの生産量を丸ごと注ぎ込んでようやく一揃えが作れるような代物ではないだろうか。

「そうなの。妥協して糸を買うにしても高校生に買える金額では無くなってしまいますし」

「地道にやるのはどうかな。後進に期待してさ」

 意味をはかりかねたらしく茜は首を傾げている。

「毎年一枚ずつ小袖こそではかまひとえうちぎ打衣うちぎぬ表衣おもてぎぬ唐衣からぎぬと仕上げていって何年か後の世代で完成。一揃いできたところで何とか言うコンテストに出せばいいんじゃないかな」

 十二単を構成する一通りの衣装の名を並べることができてわたしは少し得意だった。が、茜は難しい顔を見せる。

「それは……素敵なアイデアですけれど、後に続いてくださる人がいないと寂しくなってしまいますわ。それに――」と茜はいたずらっぽ笑みを浮かべる。「――なによりわたしが着たいんですもの」

 わたしと茜は顔を見合わせる。わずかに沈黙が続いたがどちらともなく笑いがこぼれた。

「茜ってば意外とわがまま」

「あら、ご存じありませんでした?」

 合宿が始まってわたしは、茜との距離がまた一歩縮まったのを感じた。どうということのない日常の会話の中からも茜の感情の襞を読み取れるようになっていた――とこの時は感じていた。


 機織りには性格が反映される。

 腰機の時から明らかではあったけれど、高機を使い始めてはっきりとした。わたしの織った布は織り目が不揃いなのだ。どうやらわたしは集中力にむらがあるようで、比較的織り目が整う部分と乱れる部分との落差が大きかった。それは周りにも明らからしい。

「高野は機音を聞いていると調子が丸わかりだな」

 機音の響く教室で額の汗を拭い京子部長が笑う。

「調子が良い時の浅葱さんは本当に楽しそうな機音で織りますわ」

「それが十五分も続けばいい方だけれどね」

 真夏の教室に笑い声が満ちる。冷房のない教室は暑くはあっても風の通りは良い。額に浮かぶ汗も不快ではなかった。

「リズムが乱れるとこっちもつられて調子を崩しそうになるよね」

「そうそう。あんまりはっきりしているから釣られてしまう」

「本当に機は性格をよく映す。高野はいつも笑顔でいるようでいて、絶好調の時と不調な時とで落差の大きな子だもんな」

 それがわたしの性格に対する評価であるらしい。言われてみればわたしは勉強でも集中できている時間は短い。受験ではその集中の波をうまくコントロールできるようになったつもりだったけれど、機織りではまだまだなのだろう。

「茜は安定してるよね。織り目が乱れると戻ってやり直すし」

 茜の織る布はほとんど完璧だった。二年生どころか三年生の織ったものと比べてみても引けを取らない。腰機で織った布を見せられて出来過ぎだと思っていたけれど、機を並べて織ってみて納得した。茜は気に入らない部分があると織る手順を逆にたどって布を解き、やり直してしまうのだ。糸には糊が付けてあるのでそんなことをしても癖が残るし、切れやすくなっているのに。湯気を当てて癖を抜き、時には糊を付け直しながら根気よく何度でも織り直す。その徹底したこだわりにわたしも上級生たちも呆れるばかりだった。そこまでの完璧主義だからこそ、上達も早いのかもしれない。

 もっとも集中が途切れた時の茜の失調振りはわたし以上だ。緯糸よこいとを引き過ぎて切ってしまったり、を遠くまで飛ばしてしまったり。おさを強く打ち込み、経糸たていとをまとめて引きちぎったこともあった。そんな失敗の度に泣きそうになりながら糸を継ぎ、やり直しを試みる茜を見るとこちらまで胸が苦しくなってくる。布きれ一枚に込めた思いは織機の前に座った者にしか共有できない。文化系の部活動にしては濃い連帯感が築かれいるのはそのせいかもしれない。

 高機にはすぐに馴染めた。腰機では綜絖そうこうを上下させるのにも苦労したのに高機はペダルを踏むだけで同じ作業ができた。「とんとんとんからり」と言う擬音の通りのリズムを自分で奏でていることに気づいた時は嬉しかったし、手ぬぐいの一枚くらいであれば半日で織り上がるのも新鮮だった。腰機を使っていた時にはリボンを一本織るのにも一日がかりだったのだ。

 高機――フレーム織機はとても単純な構造をしている。木の枠で直方体を作り、縦糸を張り渡す横木と綜絖そうこうおさを吊るす梁、綜絖を上下させるためのペダルがあれば良い。わたしに割り当てられた織機は数年前の部員が自作したものだと聞いたけれど、滑車や金具がDIY店で売られているような物であること以外に明治期に作られたというフレーム織機と違いはない。

 綜絖を上下させ、左右にを飛ばし、おさを打ち込む。この単純な作業を繰り返して糸を布へと織り上げていくのだ。自動織機ならば一瞬で済んでしまうようなちっぽけな布を時間をかけて織る。織り上がった布にしても機械とは比べ物にならないほど織り目が不揃いだし、化繊と自動織機の組み合わせでしか織れないような繊維だってある。有機オーガニックだのなんだのと言ってみたところで手織りの品質は機械には敵わない。

 けれど自分で織り上げた布は愛しい。綿花から紡いだ糸は太さも不揃いで糊もごてごてとしていたし、染めにもむらがあって美しい布にはなりそうもなかったけれど、間違いなくわたしの手が生み出したわたしの分身だった。今、織機に張られている糸は先輩たちの昨年の手仕事の成果で、織り出す布目も先輩たちとわたしの共同作業の結果となる。わたしの紡いだ糸は未来の後輩たちの手で織られることにもなるのだろう。

「手仕事って感動がありますね」

 織りかけの布を指で撫でながら誰にともなく呟くと上級生たちがにんまりとする。

「自分で織った布は愛着が湧くでしょう。ある程度の大きさの布は特に」

 二年生の一人がわたしの心を読んだかのようなことを言う。

「そうそう。不思議だよね。私たちも去年、夏合宿で似たようなことを言ってたし」

「うちらもそうだったな」と三年生の二人も頷き合う。

 糸を紡ぐところから始めてようやくわかる。衣服が膨大な労働の上に成り立っていることが。大量の肥料を要求する綿花の畑。恐るべき勢いで桑の葉を消費していく蚕たち。それらの命を奪うことで糸が生まれる。さらに糸をみ染め、機を織る地道な労働を重ねた末に一枚の布ができあがる。

 それに愛着を持たずにはいられないのが紡織部の部員と言うことなのだろう。

 雑談している間にも茜が織り上げた布を織機から外して端をかがっていく。茜の布はかがり方ひとつとってもおさげのようで可愛らしかった。

「布が愛しく感じられるようになるなんて、この春までは思ってもみなかったよ」

 手渡された布は織り上がったままで糊抜きがされていない。多少ごわごわとした感触であったけれど、それでも頬に当ててみるとしなやかに感じられた。

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