第19話 決戦前夜

 正月もあっという間に通り過ぎて気が付けば共通テストの前日になった。最後の授業は三津屋先生の現代文だった。


「皆さん、明日からいよいよ共通テストです。君たちにとっては2回目なので愚門かもしれませんが一つだけ聞きます。明日からの2日間、大事なことはなんだと思いますか。じゃあ…前島君。」


 白羽の矢が立った前島弘は驚きながらもこう答えた。


「えっと…万全の体調で臨むことかな?前日は勉強もほどほどにして早く寝るとか。」

「うーん…間違っているとは言いませんが、早寝は無理にしなくてもいいですね。じゃあ…和島さん。」

「荷物をまとめること?ほら、受験票忘れたらやばいし。」

「もちろんそれもありますね。ただ、最悪受験票を忘れても当日の会場で仮受験票を発行してもらえます。」


 教室が少しざわついた。それを見かねて三津屋先生がしたり顔で発表した正解は想像以上に『当たり前』過ぎて誰も思いつかないことだった。


「意外に皆さんわからないんですね。もっと単純なことですよ。それは…『試験会場に行くこと』です。」


 また教室がざわついた。


「せっかく勉強しても、当日体調が万全でも、試験会場に行けなかったらまったく意味がありません。だから、最初の試験の時間とそれぞれの受験会場は絶対に確認してください。あとは今晩どう過ごすかは、皆さん次第です。とにかく今日はまっすぐ帰ってください。自己採点は月曜にまとめて行うのでそれまではしないこと。じゃあ、解散!」


 先生がそういうと浪人生たちは三々五々に散っていった。


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 高知萌果が富良野駅を降りると今日は彼女の母が待っていた。農家である萌果は家が郊外にあるため、両親が交代で駅まで車で送り迎えをしていた。


「明日の試験、旭川まで送ってこうか。」

「いいよ。ウチは10:40開始でそんなに早くないから、JRで行く。」

「そうかい。」


 助手席の萌果が膝に握り拳をつくって運転中の母の横顔に自分の言葉をぶつけた。


「お、お母さん。私が獣医になりたいってわがまま言ったから、仕事も、お金も大変な思いさせて、ごめんなさい。あの、ウチ…ウチ…。」


 母は運転中のた萌果の顔は見れていないが、泣いているのは一瞬で分かった。


「ハハハハハ。なんで誤るのよ。むしろ母さんはうれしいのよ。なんとなく生きていたあんたから将来の夢が出てきたんだから。あんたが本当にやりたいことやってるように私たちも応援したいと思ってるからやってるの。だからあんたは何も気にせず、まずは自分のために明日の試験頑張んな!」

「うん…ありがとう。ありがとう…。」


 萌果はそう言いながらヒックヒックと家に着くまで泣いていた。


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 和島美宇は家族のために料理を作っていた。ちょうど妹の睦も学校から帰ってきていた。


「みう姉、明日試験でしょ?こんなことしてる場合じゃないよ。」

「睦、『こんなこと』じゃないよ。美宇にとってこれは受験と同じぐらい大事。それに何かしてないと、試験意識しちゃう。」

「そっか…じゃあせめて手伝わせてよ。姉ちゃんいなくなったら、やる人いなくなっちゃうから覚えないと。」

「お、よくできた妹だ~。まず、制服着替えてきな。」


 2人が料理をしていると、母と姉の麻由も帰ってきた。夕食の匂いと家族の団らんが試験前でガチガチになりそうな美宇の心を優しくほぐした。


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 松江麗が帰宅すると食卓には父が腕をふるったフィリピン料理の数々が並んでいた。


「これ、父さんが作ったの?」

「ああ、エミリオ君に色々教えてもらって作ってみたんだ。クックパッド見ながらね。」

「エミリオが…。」

「年上なんだから、一応『さん』付けはしなきゃだめだよ。」

「わかってる。」

「それにしても、麗はすっかりエミリオ君が気に入ったみたいだね。」

「うん。私の夢のきっかけになった人だから。」

「そうか…。今日は試験の前日だから君が喜びそうなものにしたんだけど、僕は間違ってなかったね。」

「…お父さん、ありがとう。エミリオにもお礼言っておいてね。」

「ああ。でも、『さん』は付けろよ。」


 その後母も帰ってきて、松江家では和やかな晩餐が始まった。


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 根本俊彦は今のテレビを占拠していた。見たい番組があるわけではない。試験当日見れない番組の録画のためだ。


「明後日の番組だろ、その『太陽剣士イーグル』。」

「イーグルは終わった。今は『太陽剣士イーグレッド』。明日ガチガチに緊張するから今日録画しないと。」


 すべての作業を終えると、俊彦はなぜか一仕事終えたような顔をした。


「ふう。これで明日の共通テストに集中できる。俺、この戦い(試験)が終わったら家でゆっくり見るんだ。」

「呆れた。それ見逃し配信とかないのか?」

「は、つい…。緊張して忘れてた。」

「あんなに勉強しなかったお前がそこまで試験のこと考えるなんてな…。」

「二浪はごめんだからな。俺は寝るよ。」


 父にそういって2階の自室に入った。緊張はしていたが、この日は日付が変わる前には就寝できた。


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「夏路ちゃん、いいよこんな日ぐらい。」

「いいの。こんな日だから、やりたいんだよ。」


 夏路はそう言いながら叔母の後片付けを手伝っていた。片付けが一段落したタイミングで、父が風呂から上がってきた。冷蔵庫からビールを取り出し、茶の間に座ると夏路を呼んだ。


「いいか、夏路。お前はこれから分野は違えど俺と同じものづくりの道に進む。」

「まだ、大学受験もしてないけどね。」

「いいんだよそんなこと。今から俺が大事にしてることを3つ言う。」

「え?あ、はい…。」


 夏路がキョトンとしている間に父はゆっくりと述べた。


「まず『やるべきことはやりきる』。とにかく全力を出し切れ。」

「うん。」

「そして『真剣になれ』。勉強してきたんだろ。考えてできないことはない。せめてできたところまでは書くんだ。」

「明日はマーク式だよ。」

「ん?そうなのか?」

「そうだよ。でも2次は記述だから。ありがとう。で、3つ目は?」

「3つ目は常に『自分を持て』。意思のない奴は、何も成し遂げられない。以上。」

「わかった。頑張るね。」

「終わったらジンギスカンだぞ!」


 そう言って父は手酌酒をしようとしたが、夏路に注いでもらっていた。


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 松本圭祐は円城寺先生と電話をしていた。不登校から救われたあの時以来、圭祐は何かあると真っ先に彼女に連絡していた。それは試験前日も例外ではなかった。


「松本君。私ね…教師やめようと思うの。」

「え!?ど、どうして…ですか?」

「他にやりたいことがあるの?」

「やりたいこと?」

「ええ、あなたがきっかけかもしれないわね…。」


 圭祐は突然の報せに驚いたこともあり、円城寺先生が何をしたいのか想像もつかなかった。


「不登校の子どもたちのためのフリースクールを作ろうと思うの。」

「フリースクール…。」

「そう。かつてのあなたみたいに学校にいけない子に居場所を作りたくてね。それで夫と相談して決めたのよ。ごめんなさいね、明日試験なのに驚かせちゃって。」

「いえ…。先生、が、頑張って下さい。」

「頑張らなきゃいけないのはあなたもでしょう?つかんでちょうだい。あなたの夢と、幸せを…。」

「はい。俺、先生みたいな先生になります。」

「ありがとうね。それじゃあおやすみ。」


 そういって円城寺先生は電話を切った。先生が新たな夢に向かうことにより一層圭祐は勇気をもらった。


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 犬山みどりのスマホにLINEの通知が来ていた。それに気づくとペンからスマホに持ち替えた。送り主はかつてのアイドル仲間、紅音だった。紅音はあるツーショット写真をLINEにあげていた。一緒に映っていたのはアイドル仲間の一人の蒼だった。札幌市内の大学に進学した彼女は地元のモデル事務所に入ったらしい。


『みんなと連絡ついてさ、みどりが試験終わったら5人で集まろうって話したんだ!」


 みどりは簡単にスタンプで返した。


『だから待ってる。みどりが次のステージに立つのを』


 何か言葉で返そうと思ったときに今度は紅音から動画が届いた。聞いたことのない曲だ。


『新曲?』


と聞くと。


『なんかみどりが頑張ってるって思うと、いてもたってもいられなくなって作った。』


 紅音が世界でたった一人に向けたメッセージソングを、みどりは大粒の涙を流しながら聞いた。


「これじゃあ、寝れないじゃん…。」


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 23時を過ぎても亀井卓丸は落ち着かなかったので、筋トレを始めた。しばらくして少し疲れたカメタクはベッドに仰向けになった。この緊張は中学校や高校時代のサッカーの試合前には味わったことのないものだった。


「俺、大丈夫かな…。」


 そう呟いていると、清水から電話が来ていた。


「もしもし。」

「明日明後日、大学のキャンパスが立ち入り禁止になって思い出して電話したんだ。迷惑だったかな。」

「そんなことないさ。むしろサンキューな。なんかホッとした。」

「お、柄にもなく緊張してるのか。」

「するさ。俺の人生が決まるかもしれないんだ。」

「ホイッスルもなってないのにびびんな!」

「えっ。」

「お前中学の時俺に言ってくれたよな。」

「そうだったっけ…。」

「そうだよ。」

「そうか…。」

「お前ならできるよ。何でもできる。なんたって『日本最北のファンタジスタ』だからな。」

「フッ、立場が逆転しちゃったな。まさか俺がパスをもらう側になるとは。」

「なんかあったら言ってくれよ。」

「ああ、ありがとう。」


 それから少しして電話を切ると、カメタクは真っ先に夢の中へ堕ちた。


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 中松健太郎もベッドの上で仰向けになっていた。目線の上に宝児とスマホで撮った写真を眺めていた。


「宝児、お前が最期まで懸命に生き抜いたように、俺も頑張るよ。」


 健太郎は少し疲れていた。そっとスマホを枕元に置くとついうたた寝してしまっていた。


『健太郎君、いい報告待ってるよ。』

「宝児!」


 何か聞こえた気がして目が覚めた。夢と確信した健太郎はしっかりとベッドに入り眠りについた。


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 丸岡虹子はスケッチブックを手に取り自分が描いた絵を見返してきた。家の近くの田園風景、美少女キャラのイラスト、猫のキャラクター、旅行先で見た海岸線、自分のスティック、そしてバンドのロゴ、よく使っていた楽器店のスタジオ、ベースを弾く麻里乃やキーボードを弾く菜月の姿、そして愛の屈託のない笑顔の似顔絵…後半は2次試験対策のデッサンばかりだったが、このすべてが虹子の青春だった。


「半年後か…。長いような、短いような。恋、麻里乃、菜月、待ってて。愛も、見守っててね。」


 そう呟きながらそっとスケッチブックを閉じて、眠りについた。


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 そして前島弘は日付が変わったあたりで目が覚めてしまった。トイレに行くと言う名目で部屋の外へ出た。トイレの前に着くとちょうど父が出てきた。


「うわっ!?」

「そんなに驚くことはないだろ。」

「いや…。」

「こんな時間まで起きてたのか。」

「違う。目が覚めただけだ。」

「…不安か。」

「そ、そんなこと。」

「不安なら、不安でいいんだ。」

「…やればやるほど不安だ。また北大落ちたら、とか考えるんだ。」

「お前は、勉強したんだろ。」

「…もちろん。」

「もう今更不安になってもしょうがないさ。とにかく明日、頑張りなさい。」

「おう。」


 いつも通り言葉の少ない父だったが、ハッキリと応援するようなことを言った。父は照れくさそうに寝室に戻り、弘も振り向くことなくトイレに入った。


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 こうしてそれぞれが思い思いの一夜を過ごし、そして朝が来た。予備校『暁』高卒部第1期生11人のこの1年の頑張りの答え合わせが、この日の共通テストを皮切りに始まるのだった。

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