第17話 向き合う命

 12月に入り、共通テストまでは残り1ヶ月近くとなっていた。当然ながら浪人生たちは予備校でも家でも、移動中のバスや電車内でも時間と場所さえあれば勉強の日々である。


 そんな中、中松健太郎は予備校のある旭川とは反対方向の宗谷本線に乗っていた。彼は士別にどうしても会いに行きたい人物がいたのだ。


その人物のいる病院につくと、慣れた足取りで3階の病室に向かった。健太郎なりに趣向を凝らした入場をしようとするが、実直すぎる性格からかすぐにばれてしまう。


「ふふっ。健太郎君でしょ。」

「ばれたか。やっぱり宝児にはかなわないな。」


 この倉光宝児は健太郎の5歳下で、先天性の重い心疾患のため人生の半分以上を病院で過ごしている。幼少期に同じく小児ぜんそくで入退院を繰り返していた健太郎とは病院で知り合った幼馴染も同然の存在だった。


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 剣淵町で生まれた中松健太郎は看護師の父と医療事務の母と3つ年下の弟の4人家族の長男だった。生まれつき小児ぜんそくで体の弱かった健太郎は幼稚園も、小学校も休みがちでそのたびに父の勤務する病院の小児科に連れていかれた。


 小学5年生のある日、発作がひどくなり入院することになった。3週間ほどの入院期間に交流を深めたのが当時6歳の宝児だった。

 2人は院内学級でも本当の兄弟のように接していた。ある日、同じ小児病棟の子どもが集中治療室に行ったきり”戻ってこなかった”。宝児は友達がいなくなった寂しさで、健太郎は”死”を身近に感じた恐怖から2人で泣いたこともあった。こうして楽しい時だけではなく、辛く悲しい時も一緒だった。


 健太郎が退院後も2人の交流は続いた。自身は成長とともに体力もついていき、通院することもめっきり減ったが宝児が入院した時には必ずと言っていいほど週1回のペースでお見舞いには行っていた。この時の入院の経験が健太郎が医療の道を目指すきっかけとなった。


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 2人と宝児の母親の3人で談笑をしていたところ、1人の男性が病室のドアをノックした。理学療法士の熊谷さんだ。宝児はリハビリに向かった。


 心臓が弱い宝児のリハビリはいつも心拍数や血圧、心電図で体のチェックをするところから始まる。それから立ったり座ったり、手すりにつかまりながらの歩行練習が始まる。


 頻繁にお見舞いに行っているため、健太郎は熊谷さんにも顔を覚えられていた。宝児の歩行訓練を見守りながら2人は話していた。


「宝児の奴、頑張ってますね。」

「ああ。今度こそちゃんと学校行くんだ、って言ってたよ。」

「今度こそ…。」

「ああ。学校に行く。僕たちにとっては当たり前のことも、彼にとっては大きな夢なんだ。」

「夢…。」

「そう、夢。ただ身体機能を回復させるだけじゃない、その先の目標を達成させる後押しをするのも僕たちの仕事なんだ。」


 感銘を受けた健太郎に熊谷さんは一つ問いかけた。


「君は看護師を目指してるんだよね?」

「そうです。」

「なら一つだけわかってほしいことがある。病院は病気やけがを治すところであると同時人が最期を迎える場所だってことを。やるなら命と向き合う覚悟をしてほしい。」


 これだけ妙に険しい表情で健太郎に話した。熊谷さんなりの新しい仲間になるかもしれない健太郎へのエールだったのかもしれない。何か返そうとしたが、不思議とできなかった。そうしているうちに宝児が手を振ったのでその場で返すことでやり過ごした。


 リハビリが終わった後、健太郎は共通テストを来月に控えているため来週を最後にしばらくお見舞いに行けないことを宝児に告げた。宝児はすごく寂しがっていたが、健太郎の夢を奪うまいと感情を押し殺した。


「…わかったよ。じゃあ、来週待ってるから。もしかしたら退院するかもしれないけどね。」

「こいつー。」


と最後は軽妙なやり取りをして病院を後にした。病室を出ると宝児の母親に声を掛けられた。


「健太郎君、いつもいつもごめんなさいね。」

「いえ、好きでやってることなんで。気にしないでください。」

「宝児、学校にはほとんど行ってないから健太郎君とお話しするのが本当に嬉しくて…。受験勉強、大詰めなのよね。頑張ってね。」

「はい…ありがとうございます。来週、また来ますね。」


 宝児の気持ちを汲みつつも、いつかいい報告をして元気づけてやろう。健太郎は受験に向けて気持ちを新たにした。


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 それから数日後、健太郎はいつものように予備校から帰ってきた。先に帰宅していた両親が沈痛な面持ちで向かい合って座っていたのが、健太郎には不思議でたまらなかった。しかし、夕食の時間まで勉強をするため2階に上がろうとしたとき、父が静かに健太郎を呼び止めた。


「健太郎…ちょっと話があるんだ。」


 健太郎が父の向かいに座った。父が話した内容はあまりにも信じられなくて、健太郎の瞳孔は開いたままだった。宝児が容体が急変し亡くなったことを理解したとき、魂が抜かれたような表情で、鞄が肩から下がりかけているのもそのままに2階の自室に入った。この日、健太郎は部屋から出てくることはなかった。


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 日曜日、”最期”の対面のため父の車で士別に向かった。葬儀場にはすでに親族をはじめとする多くの人でいっぱいだった。あっという間に告別式が終わり、出棺前の別れ花で健太郎たちの家族の番になった。かける言葉なんて考えていなかったが、改めて安らかに眠る宝児の亡骸を見てつい気持ちがあふれ出てしまった。


「宝児…なんで待ってくれなかったんだよ。今日会う約束だっただろ。なんでだよ…。俺だって、ホントはいろんなこと話したかったんだよ。突然すぎるだろ…。あんまりだろ…。」


 マナーも何もない。このまとまりのないカオスな感情をすべて吐き出した。出棺も見届けることなく健太郎は葬儀場の外で一人沈み込んでいた。


「未成年の前で言うのもどうかと思うが、ここで一服していいかな。」


 そういって健太郎の横に座ったのは宝児のリハビリを担当していた熊谷さんだった。ちなみに、彼が喫煙者であることを健太郎は今知った。


「…来てたんですね。」

「今日は非番でね。」

「理学療法士の人ってこういうところに来るんですね。」

「こういうことはめったには無いさ。僕たちは感傷に浸ることは許されないからね。でも、患者が亡くなったらハイ終わりってわけじゃない。」


 煙を吹き上げると、熊谷さんは話を続けた。


「宝児君は亡くなる前日までリハビリには積極的でね。普通の生活を取り戻そうと頑張っていた。」

「…でも、死んだら、何も…。熊谷さんのやってきたことだって。」

「健太郎君、それ以上は言っちゃだめだ。僕、先週言ったよね。病院は病気やけがを治すところであると同時人が最期を迎える場所だって。患者は命を終えるその瞬間まで懸命に生きようとする。そしてその終わりは突然やってくるもんなんだ。」

「…。」

「彼はただ死んだんじゃない。最期まで生き抜いた。僕はそう思っている。」

「…」

「君は最期に彼に何て言ったんだ。」

「…どうしていなくなったんだって。」

「…そうか。僕はこう言ったよ。『ありがとう』って。」

「『ありがとう』…」

「僕は懸命に生きようとした彼を後押しすることができた。それがこの仕事に就いた時からの夢だったから。」

「だから、『ありがとう』。」

「そう。とてもつらく寂しいけど、僕は宝児君のことをずっと忘れない。心の中の彼と向き合っていくつもりだ。もちろん彼だけじゃなくて、他の患者も。」

「…。」

「健太郎君に最後に一言。」


 といって熊谷さんはすっくと立った。


「理学療法士はいいぞ。懸命に明日を生きようとする人たちと触れ合うことができる。それじゃあ。」


 そういって健太郎のもとを去った。


 気が付けば葬儀の一切が終了した。両親がいろんな人に挨拶をしている中、『勉強するから帰る』とだけ告げ、電車で先に剣淵の家に帰った。健太郎にとって、それは決して逃避ではなかった。


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 次の日、何事もなかったかのように健太郎は予備校に来た。昼休み、彼は三津屋先生に志望校の変更を告げた。


「旭川から札幌の医大の保健学部に…。旭川にも看護学科はあるのに、どうしてですか?」

「理学療法士になりたいんです。」

「うーん…まあ今の成績なら難しいわけではありませんが。でも、どうして?」

「本当に自分が目指したいもの、分かったんで。」


 三津屋先生はそれ以上聞かなかった。12月での志望校変更は一般的とは言い難い。ただ、健太郎の何かを乗り越えたかのような強いまなざしを見てそれ以上を言うのは野暮だと思った。

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