第10話 私たちの住むセカイ

 夏期講習を終えた予備校『暁』は10日間近くのお盆休みに入っていた。しかし、当然ながら受験生には盆も正月も存在しない。それぐらいの気持ちでそれぞれ自宅で勉強している。


 和島美宇もその一人だ。普段は『ギャルギャルしい』彼女もさすがに家ではすっぴんにジャージ姿だ。ふと気休めにSNSを見るとあのカメタクが稚内のサッカー教室に参加した際の写真を投稿していた。


「遊んでる場合じゃないっつーの。ま、美宇も人のこと言えないけどねー。」


 そういってスマホの画面をLINEに切り替えて昨日高校の友人の一人、春乃から届いたメッセージを見返していた。仲間の美冬ととも旭川に帰省するから3人で遊ぼうとのことだった。この仲間がいなければ自分の高校生活はなかった。そう思いながら、美宇は自分の半生を回想していた。


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 美宇は母と2つ上の姉・麻由と3つ下の妹・睦の三姉妹の次女として生まれた。名前をマ行で統一しており、もし4人目がいたら「メイちゃん」にしようと思ってたという話を母からよく聞いていた。父親は美宇が小学校に上がる少し前に離婚しており、母が女手一つで三姉妹を育てた。

 そんな母に苦労をかけまいと美宇たち三姉妹は極力自分のことは自分でやり、家のことも手伝った。美宇はその中で料理を手伝ううちに覚えていき、気が付けば台所が家庭内での主戦場になっていった。


 進路面でも母への気遣いは顕著に表れ、姉は公立高校、しかも商業高校に合格した。卒業後は旭川の携帯ショップに就職し、一家の経済を支えている。


「お金出せるように私は就職先見つけて頑張るから、あんたたちはやりたいことやりな。でも、高校はできれば公立にして♪」


 姉はよく美宇と睦にはこう言っていた。美宇も期待に応えるべく、高校は公立を目指した。しかし当時は勉強が得意ではなく、市内の中堅校でも厳しいと言われていた。行くとしたら隣町の公立高校か、私立なら家の近くにあった私立か、当時の担任と母と何度も三者面談を繰り返した。そして隣町の公立高校は通学のリスクが大きかったため、泣く泣く歩いて行ける私立の旭川百合丘女子高校にした。最後の三者面談を終え、帰宅すると、美宇は抑えきれない様々な思いが涙としてあふれ出した。


「こんなことになるなら、もっとちゃんと勉強したらよかった。お母さん、麻由…美宇がバカだから迷惑かけちゃった…。ごめん…うっ…ごめんね…。」


 母はそっと美宇の震える肩に両手を添えた。


 百合丘女子に入学後は公立に行けなかったことの家族に対する後ろめたさ、自分の能力不足ゆえの将来への悲観、『私立専願』という事実に対する周りの目への恐れ(地方では公立優勢なため、私立専願は勉強ができないことのレッテル張りになっていた。)、様々な闇が美宇を包み込み、すっかり無気力になってしまった。中学までは元気と明るさが売りだったにも関わらず高校では入学当初は誰とも口を利かない日々が続き、決して学校の話は家の中ではしなかった。


 入学してから2週間ぐらいたったある日のことだった。ある女子2人組が声をかけた。


「ねえ、一緒にお昼食べても、いいかな?」

「う…うん。」


 ぎこちなかったのは決してクラスメートと話したことがなかったからだけではない。その2人の出で立ちに圧倒されたからだ。折りに折り曲げたであろうミニスカート、ばっちりメイクにパーマのかかった髪、髪に隠れてはっきり見えなかったが耳に光るピアス、完全によく雑誌で見るギャルそのものだった。

 何をしに来たんだ…。ぼっちの自分をバカにしに来たのか…。美宇ははじめはあまりにも住んでいる世界の違う2人に心を開かなかった。それでもギャル2人組は来る日も来る日も美宇と昼食をとり続けた。会話はギャル側からするのが基本で、それに対して美宇が一言二言程度で答えるものばかりだった。

 そんな日が続いたある日、美宇はとうとう耐え切れなくなったのか、2人にこんなことを聞いた。


「2人はさ…どうして美宇のところに来るわけ?一緒にいたって楽しくないと思うんだけど…。」


 ギャルの2人、春乃と美冬は一瞬互いに目を合わせてからこう答えた。


「うちらってさ…中学のときからこんなのだから浮いてたんだよね。」

「いや、見た目じゃなくてね。うちらうるさいし、バカだし、先生の言うこと聞いてなかったからさ。人と違うって、結構しんどいの知ってるから。」

「だから、あんたを一人にしちゃいけないと思ったわけ。だから、友達になんない?」

「あんた、今更それ言う?何日目だよ。」


 2人のやり取りがおかしくて、うれしくて、美宇は涙が止まらなかった。この日、クラスではこの2人が美宇を泣かしたと誤解され、放課後に担任から呼び出しを食らったのは、後に笑い話になった。

 あれほど学校の話をしなかった美宇が友達ができ、なおかつ初めて遊びに行く話をしたときは母も喜んだ。母はその友人がギャルだと知ると、彼女らに釣り合うようにメイクを伝授してあげた。


 それ以来、美宇は本来の明るさを取り戻していった。同時に問題行動も少しずつ増えた。

制服の着崩しに始まり、リップにメイク、髪に隠れたピアスと少しずつ『カスタマイズ』されていき、高校1年の秋には現在の美宇に近いものが出来上がった。見た目だけではなくギャル仲間とともに遅刻の常習犯となり、進級も危ぶまれるほどだった。

 金土日は春乃や美冬と遊びに遊びまくった。今が楽しくてたまらない、今が良ければそれでいいじゃん。『今を全力で生き、楽しむ。』それが彼女たちのモットーであった。美宇の家族は見た目の劇的な変化に戸惑いつつも、青春を謳歌している彼女を激しく咎めることはしなかった。さすがに初めてできた彼氏の家に無断で泊まったときは母も姉も激怒したが。


 そのうち高校3年生になった。周りが就職や進学の準備を始めだした。周りから浮きながらも、自分を貫いていった美羽たちも自分の身の振りを考えざるを得なくなった。美宇はギャルに変貌してからも台所が家庭内での主戦場であることは変わっていなかったため、いつしか料理や食品にかかわる仕事がしたいと思うようになった。その中から、管理栄養士という仕事を目指すようになってから、美宇は一時的にギャルを辞めることにした。すっぴんできっちりした制服で登校し、春乃と美冬を驚かせた。


「誰…?」

「美羽だよ!」

「どうしたのその恰好。っていうか学校的にはそっちが普通か…。」

「美宇さ、管理栄養士になりたいから、大学行く。2人とも、ごめん…」


 きょとんとしながら春乃と美冬はお互いに見つめ合った後、何か納得したような表情で美宇にこう告げた。


「なんであんたが誤んの。やりたいことがあっていいじゃん。頑張んなよ。応援してるからさ。」

「そうそう。お店できたらうちらが常連になってあげる。」

「いや管理栄養士ってそういうのじゃないから。」

「違うの?」

「相変わらず美冬はバカなんだから~。」


 変わっていった美宇に2人は変わらず接してくれた。美宇は大粒の涙をこぼし、2人に抱き着いた。


「おいおい、大げさなんだよ~。」


 親友の応援を励みに受験勉強に励んだ。しかし、推薦入試で落ち、一般受験に挑んだものの、取り組みが遅かったため、合格には及ばなかった。


 すべての戦いが終わった後、美宇は浪人を決意した。卒業式の日、すべてが終わって3人で雑談しながら玄関を出ると、美宇の母が待っていた。春乃と美冬は逃げるようにそそくさと帰ろうとすると、母は2人に声をかけた。


「ちょっと…。」


 2人は足を止めて、母と美宇のいる方を向いた。2人はビビりながら、


「あ、あの…すいませんでした。あの…娘さんを、あの…。」


そうたじろむ2人に母は深々と頭を下げた。


「2人とも、ありがとうございました。美宇は本当はここに行きたくなくて、入学したころは学校の話なんて全くしなくて、続かないだろうなって思ったんです。でも、あなたたちに会ってから元の明るい子に戻ったの。まあ、ちょっと悪い子にはなったけど、きっとあなたたちがいなかったら今のあの子はなかったわ。本当にありがとう。こんなこと言うのもなんだけど、これからも友達でいてあげてください。」

「ちょ、お母さん、やめてよ!」


 恥ずかしくてつい大声を出してしまった。そんな美宇に2人は


「美宇、また会おうね。うちらズッ友だから。」

「あんたバカのくせにそんな死語だけは知ってるんだから…。ま、うちらは同じ世界の仲間だからさ、なんかあったら言いなよ。愚痴ぐらい聞いてやるよ。」


 美宇はやはり大粒の涙をこぼし、2人に抱き着いた。3人は抱き合いながら友情を確かめ合った。ほほえましく見てる母や、周りの視線が気にならないほどに。


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 3人が再会する当日、美宇はやはり遅刻した。いつものギャルをしっかり『作り上げた』美宇は春乃、美冬と合流した。感動の再会のあいさつもそこそこにショッピングに向かった。知人のコネで札幌のアパレルショップでアルバイトをしている美冬が美宇と春乃をコーディネートしてくれた。この夏の最先端のファッションを語る美冬はすっかり店員そのものだった。思えば高校時代はいつも春乃と美冬の言うとおりにしていて、自分の中では実際にほとんど間違いがなかった。そんなことを考えながら美宇はファッションモデルを演じた。

 それからカラオケではしゃぎまくった後に外に出ると、夏の西日が3人を刺した。スマホを見るとすでに18時を過ぎていた。思えばカラオケでポテトをつまんだだけだったことを思い出し、3人は夕食と休憩を兼ねてファミレスに行くことにした。


 やっと腰を据えることができ、落ち着いた美宇たちはそれぞれ近況を話し始めた。先述した通り美冬はアパレルショップのバイト、春乃は札幌の美容系の専門学校に通っている。フリーター、専門学校生、浪人生。あれほど一緒だった3人は確実に違う道を歩んでいた。


「美宇はどう?浪人生活。やっぱり勉強ばっかりしてるの?」

「そうだよ。」

「っていうか当たり前じゃん大学行くんだから。あんたの行ってる予備校はどうなの?」

「やっぱりガリ勉しかいないんじゃね?いやあ…ウチらには考えられない。」

「まあ、美冬の場合はテスト前日にならないと教科書開かないからな。」

「3日前には開いてます!あ、美宇、ごめん。で、どうなの?」

「まあガリ勉というよりは、割と個性的な人が多いかな?一番すごいのはさ、札幌でアイドルやってた子がいて、普通の女の子に戻りたくて浪人してる子はいるよ。」

「元アイドル?すごい!今度写メ撮って送ってよ!」

「いやあそんなに有名じゃないと思うよ。」


 さらっとみどりが『ディスられた』が、美宇は話を続けた。


「あとね、農家の子がいて…その子がものすごくかわいいの。それから市議会議員の息子もいるし、インターハイに出たチャラ男もいる。それに…。」


 美宇は今の仲間たちの話を出せるだけ出した。春乃と美冬は驚いていた。高校入学時、誰も寄せ付けなかった美宇が自ら仲間を作っていたのだ。しかも真性のギャルの2人が到底関わることでないであろうメンツだ。ただ2人は美宇のあまりにも自然な表情に彼女は変わったのではない、本来こういう人物だったのかもしれないと思うと、ほほえましかった。


「もっと勉強でしんどいもんだと思ってたけど…美宇、違う世界に行っちゃったね。」


春乃は不意に言葉に出してしまった。彼女にとってはなんでもない一言だった。美宇は「えっ」と言って思わず固まった。


「ちょっと…ドリンクバーおかわりしようかな。」


 予想外に空気が凍ったのを察した春乃はそういってそそくさと席を立った。さすがの美冬もこの空気に耐えられず


「ウチはちょっとトイレ~。」


ととぼけながらトイレに行った。ボックス席で一人になった美宇は天井を見上げ大きくため息をついた。


 春乃と美冬が戻った。3人はそれからいろんな話をしたが、先ほどの『住んでいる世界』については誰も触れなかった。ただ美宇の頭にはその言葉がだんだんと肥大化していった。世界が違えば当然言葉も文化も価値観も違う。2人の話が急に頭に入らなくなって、なんだか分からなくなってしまった。


 思えば、受験失敗を機にふさぎ込んだ美宇は孤立を深め、勝手に悲劇のヒロインになっていた。そこで春乃と美冬が手を差し伸べてくれた。再び孤立することを恐れた彼女は徹底的に同化することで所属感を得ようとしていた。この時の『今』はとっても楽しかった。

 ただ卒業し、浪人生活を送るうえで2人から『ギャル』という個性をもらった美宇はそれがアイデンティティとなった。この4か月受験勉強に励み『未来』を模索していく中で、予備校の生徒とも関わり友情が芽生え、本来の明るく活発な自分を取り戻したのだ。皮肉にも高校時代に作りあげてたものが3人の関係に違和感を覚えさせるきっかけとなってしまった。


 21時も過ぎ解散することにした。


「美宇、じゃあね!」

「うん…。バイちー。」


 反対方向へ行く2人を見送ったのち、振り返って夏の星座を見上げた。そしてすぐに地上に視線を下ろしスマホを取り出すと予備校の女子メンバーのLINEにこう送った。


『今度の土日、女子会しない?』

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