第11話 夏の終わりに
美宇が発案した女子会はどんどん膨らみ、女子たちの勉強合宿になった。合宿場所は夏路の家に決まった。夏路の家は和室なら6人全員泊まれるそうだ。このとき、夏路が家具工場の一人娘であることを知り、驚きとともに一軒家の規模にも納得をした。ただ、昼から入りびたる申し訳なさと誘惑の断絶のため、常盤公園内の図書館で夕方まで勉強することにした。
当日、開館時間の9時に合わせて松江麗、犬山みどり、丸岡虹子の3人は来ていた。元アイドルのみどりは相変わらずグラサンにマスクと、週刊誌対策をしているタレントのようだった。少し経って叔母の車に乗せてもらった夏路は駅前で拾った高知萌果と一緒に来た。言い出しっぺの和島美宇は最後に到着した。
到着したメンバーから、宿泊道具と勉強道具でパンパンになったバッグを足元に置いて勉強を始めた。麗は英文法、みどりと虹子は英単語、美宇、萌果、夏路は数学に取り組んだ。ただ工学部志望の夏路は数学Ⅲだ。萌果の横に座っていた美宇は数学Ⅰのわからないところを小声で聞きまくった。
昼過ぎになり、6人中3人ぐらい同時にスマホのバイブレーションが鳴り、夏路以外の5人が一斉に自分の物の画面を見た。
『昼、どうする?』
その1行だけがLINEに入っていた。女三人寄れば姦(かしま)しいなんてことわざがあるし、今はその倍の人数が机を囲んでいる。ましてやそこが図書館であることを考えると妥当なコミュニケーション方法だろう。
『私は今朝コンビニで買った。』
『私も。』
『上に同じく。』
『お弁当持ってきたよ!』
美宇だけ返信がなかったので5人は彼女の方を見た。美宇は「持ってきてない…。」と小声でつぶやいた。
『とにかく、いったん出るか。』
夏路がそうLINEに送ると一同は午後、この席が座れなくなるのを覚悟したうえで荷物をまとめ一旦図書館を出た。この日の旭川は31度の夏日で快晴だったため、美宇がコンビニから戻り合流したところで、常盤公園内のベンチで昼食をとることにした。
「そういえばさー、今日うちら、っていうかちょっと下ぐらいの子たちがたくさんいたけど、あれってみんな受験生だよね。きっと。」
「たぶんね。」
美宇が話し始めると麗が返した。
「大学目指す子ってあんなにいるんだなーって、みんなすごく頭がよく見える。美宇の周りにそういう子がいなかったから。」
「私の行ってた二高は大学目指すのが当たり前だったから、1年生の頃から夏休みや冬休みは課題がたくさんあったな。」
「うわあ、さすが進学校…。」
「あの時は大変だったけど、今となっては先生が勉強することを示してくれたからありがたいことだったなって気づいた。」
「わかるなー。三津屋Tってあれこれ口出ししないからね。」
「まあ、大人になっていくってそういうことなんじゃない。自分で決めていく、いや、いかねばならぬ…。」
そういってみどりも会話に入っていった。みどりは6人が腰かけている席から池のスワンボートを楽しむカップルや、アイスを子供に与えている家族を少し眺めてから、話し始めた。
「美宇じゃないけど、私も周りに勉強している子なんていなかった。」
「でもみどりちゃんの場合は事情違うっしょ!?」
「まあ…私の場合は仕事の合間に勉強をしてたからね。卒業して札幌行ってから、札幌の通信だったから仕事以外で同年代の子ってほとんど見ないから、あれが『普通の高校生』なんだなって思った。それから普通に高校出て、普通に大学行って、普通に社会人になって、普通に結婚して…ってなれるのかな?ってたまに考えちゃう。」
「…みどりちゃん?」
「たまに不安になるんだ。アイドルやめた私は何者にもなれないんじゃないかって。」
すると萌果がおっとりした口調でみどりに言った。
「でも、みどりちゃんはみどりちゃんだよ。」
たぶん萌果はこの言葉に深い意味を込めてはいない。ただ、みどりは今の自分を肯定してもらえた気分になった。
「萌ちゃん…ありがとう。」
会話が終わったタイミングを見計らって、夏路が嬉しそうに5人に連絡を告げた。
「父さんからLINEが来て、3時半ごろに迎えに行くって。あと今夜はバーベキューらしいよ!」
モチベーションが急激に上がった一同はさっさと荷物をまとめ、勉強会・午後の部に挑んだ。図書館に戻ると案の定、机は受験生で埋まっていた。午前に比べて学校名が入っているジャージを着た高校生と思わしき少年少女が増えた。
「1・2年の子は午前中部活だから、午後に勉強するのよ。」
「うわあ、さすが進学校…。」
「美宇ちゃん、それさっきも言ってた。」
仕方がないので何人かに分かれ、別々の席で勉強することにした。どうにか席を見つけて勉強を再開してから約2時間後、夏路から5人にLINEが来た。
『父さんがそろそろ迎えに来るから、図書館前に集合!』
2時間ぶりに合流した6人は夏路の父の運転する黒い大きなワゴンに乗り込んだ。彼女たちを乗せたワゴンは9条通りから、環状線に入り、ガソリンスタンドが見えたところで左折し、東神楽の町から少し離れたところにある夏路の家に向かった。
到着すると、ガレージにはべーべキュー用のコンロが置いてあった。荷物を置かせてもらうために家に上がると、朝に夏路を図書館まで送ってくれた叔母が台所にいた。彼女たちは荷物を置くと、せっかくなのでさっそく手伝いを始めた。
「あの…野菜切るの、手伝いますよ?」
そういったのは家では台所が戦場である美宇だった。
「あら、いいわよ。お客さんなんだからお部屋でゆっくりしてて。」
「そんなわけにいかないっすよ。ウチ、料理得意なんで。」
「あらそう、ごめんなさいね。じゃあ、キャベツお願いしていいかしら。」
「りょーかいです!」
「美宇ちゃん、うちも手伝う。」
「も、萌ちゃんも?」
「うち、親が農家だから、夕食のときお母さんの手伝いはよくしてたの。」
野菜準備に萌果も加わったところで、叔母は廊下にいた夏路を見つけて
「夏路ちゃん、あの子たちとっても気が利くわね。特に左の子、派手な見た目なんだけどしっかりしてるのね。」
夏路は二カっと笑って。
「まあね!」
と自分のことのように喜んだ。
2人が野菜準備、夏路は父と火おこし、残りのメンバーはとりあえず配膳を積極的に行い叔母の家族も合流したところで、まだ青空の残る中、予定よりも早くバーベキューは始まった。叔母の息子、夏路のいとこは中学1年というお年頃もあって大人のお姉さんが一気に増えて照れるように顔をそらした。
6人はコンビニで買ってきたロケット花火を真夏の星座と一緒に見上げた後、今晩寝泊まりする予定の和室に戻った。そこにはすでに夏路の叔母に敷いてもらった布団が旅館のようにきれいに並んでいた。さらにお言葉に甘えて、一人ずつお風呂を使わせてもらった。最後に夏路の入浴中、5人がいる和室に夏路の父が入ってきた。
「あ、あの…今日はありがとうございました。」
一同はきょとんとしながら、頭を下げた。スキンケアをしていた美宇も思わず正座になった。
「小さいころに母さんが死んで、あいつは俺一人で育ててきました。あいつは男親しか知らないし、工場も男ばっかり。そんな環境で育ったから、すっかり影響を受けて男臭いやつになりました。だからクラスの女の子からは仲間外れにされて、男の子からはよくからかわれていました。」
「あの元気な夏路ちゃんが…。」
思わずそういったのはみどりだった。夏路の父は話をつづけた。
「だからあいつに辛い思いをさせないように、妹にも相談して、身に着けるものは女の子っぽい物にさせました。それに進路も女子が多くて資格も取れる医療系に行くように言いました。まあ『毒親』ってやつですよ。俺は。」
「そういえば札幌の医療系大学に受かったって、前言ってました。」
思い出したように麗が言った。
「ええ。でもね、あいつ突然『行かない』って言いだしたんです。『本当はものづくりがしたいんだ、国立行くから浪人させろ』って。あいつが初めて俺に反抗してきて気が付いたんです。相当無理をさせてたことに。」
一同は微動だにせず夏路の父の方を見た。
「『夏路』って名前なんですけど、あいつが生まれたのは夏の暑い日でした。日の当たる路を自分の意志で進んでほしいって思って付けたんです。自分の願いを自分でつぶすことになるとは…父親失格ですよ。あ、いやすいません。つい、こんな話を…」
すると虹子がやさしく彼にこう伝えた。
「夏路ちゃん、こう言ってましたよ。『お父さんの影響でものづくりに興味持った』って。だから、きっとお父さんのおかげで好きなものが見つけられてきっと幸せだと思いますよ。」
「ありがとうございます…。これからもあいつの友達でいてやってください。お願いします。」
50手前の大人の男が深々と10代の女子に頭を下げた。娘の幸せを願う父にとって、きっと彼女らは女神に見えたのだろう。
「あ、あの…顔を上げてください。こちらこそ、今日は泊めていただいてありがとうございました。」
そんなやり取りをしていると
「お父さーん。風呂あがったよー。」
という夏路の声が聞こえたので
「わかった!あ、この話したのは夏路には内緒で。」
と告げて和室を後にした。夏路は風呂から戻ってくると、5人からとても暖かいまなざしを向けられたのがとても不思議で仕方がなかった。
「何さ…みんなどうしたの?」
「いいや何でも…。それより、ガールズトークしない?」
「ええ…、私恋バナとかそういうのわからないよ。」
と『女子ではない女子』の代表格、夏路がこういうと、美宇がこう提案した。
「じゃあ質問大会にしよう。」
「質問大会?」
「ほら、美宇たちって基本予備校でしか会わないからさ~。それに知り合ってまだ4か月ぐらいだし、こたえられる範囲でいろいろ聞きあったりしようよ。ね!」
「では…」
と控えめに麗が手を挙げた。誰もが驚く中、進行役となった美宇が指名した。
「みどりちゃんに質問なんだけど、模試の時に言ってた私に似てる『札幌いた時の仲間』ってどんな子?」
「え?ああ、私がいたグループでセンターだった子。」
そういってスマホを取り出したみどりは『ノーザンステラ』時代の写真を見せて真ん中の少女を指さした。
「この子…かわいい。」
「なんというか、圧倒的にアイドル。」
「うん、名前は『紅音』っていうんだけど、うちのリーダーで本当にしっかりしていた。決断力もすごいし、絶対この世界で生きていくんだって強い意志があった。」
「この子、今は何してるの?」
「札幌で歌手やってる。この前旭川にも来て、ライブしてた。メンバーで唯一連絡取れるのはこの子だけなんだ。」
「…ほかの子は?」
「たぶん…普通の子に戻ったんじゃないかなあ。」
「連絡…とれないの?」
「紅音は連絡とってるみたいなんだけど、私は逃げるようにこっちに戻ったから。でもこの3年間なかったことになんてできないから、いつかみんなに会いに行く。普通の女の子として笑って話せるようになりたいな。」
「…会えると、いいね。」
「うん…。ごめん!しんみりしちゃった。次、私から萌ちゃんに質問!」
とみどりが言うと萌果は青天の霹靂、とも言わんばかりに驚いていた。
「え…ウチ?」
「うん。ズバリ、健太郎君のことどう思うの?」
電車組でよく行動を共にする彼にたいして、何もないはずなかろう。そう思って振ってみた。
「どうって…昆布とツナマヨだし…。」
全員の頭にはてなマークが浮き上がった。
「あ、健太郎君はねTKGも好きなんだって。コンビニのおにぎりが語れるからいい人だと思うよ。」
「中松君、道のりは遠いですね。」
話が終わりそうだったので、みどりはこっち方面をあきらめ、少しまじめな質問を萌果にぶつけた。
「じゃあ、萌ちゃんの将来の夢は?」
「ちょっと聞きたいかも。」
すると萌果ははっきりと答えた。
「ウチ、獣医になりたい!」
「す、すごい…、やっぱり農家だから?」
「うちはブドウ農園だから関係ないんだけど、たまたま遊びに行った帯広の親戚の牧場で牛が病気になって…そのときの獣医さんがすぐに来て治療してくれて、それがかっこいいなって思ったの。」
というと萌果がほほ笑んだ。あのタンポポの綿のようなふわふわした萌果の笑顔からアスファルトを貫く茎のような芯の強さがにじみ出ていた。今度は萌果が虹子に聞いた。
「ねえ、マルちゃんはイラストの仕事がしたいの?」
「まあ、イラストにこだわらずデザインがやりたいです。デザイナーなら、企業専属で働くこともできるから安定してますし。」
「マルちゃん、意外にリアリスト…。」
「みんな夢があっていいわね…。」
そう麗がつぶやいた。
「あまり自分で言いたくないんだけど、私は小さいころから何でもすぐにできてしまって…飽きてしまうの。なんだか自分は何者でもない気がしてた。でも…今回受験に失敗して、初めてうまくいかないことができた。変なんだけど、ほっとした。モラトリアムが1年もらえたから。だから、自分を見つけるために大学に行きたい。それが私の夢。あ…夢、私にもあった。」
クールでしっかりした麗の意外な一面が見れて安心したのか、つい笑ってしまった。
「じゃあ、今度は美宇からみんなに!ぶっちゃけ、うちの男子で一番いいと思うのって誰?」
初めて女子トークらしい話題が出たが、全員黙りこくってしまった。迷っている…というわけではないようだ。
「正直、全員微妙です。」
「そうね。弘はプライド高いし、カメタクはチャラいのがダサいし、俊彦はそもそも女子とかに興味なさそう。」
「あー…あと圭ちゃんはいい子なんだけど男として見にくいよねー。あと松井君だっけ?」
「松山君ね。彼、何考えてるかさっぱりわかりません。」
「一番まともなのは健太郎君だけどなんか堅物そうだし…萌ちゃんはどう思う?」
そう言ってみどりが萌果の方を向くと萌果はすっかり眠っていた。
「萌ちゃん、かわいいなあ。本当に天使。」
「もうこんな時間だし、ウチらもそろそろ寝るか。」
夏路がそういって部屋の明かりを消した。全員布団に入ったあと、寝る前に夏路が
「みんなで…受かりたいね。」
と言うと、
「そうだね。」
と2人ぐらい返してくれたが、あとは反応がなかった。でも夏路は自分の思いはこの部屋の天井を跳ね返ってきっと5人の心に届いただろう。そう信じることにして瞼を閉じた。
翌朝、朝食をすませ、荷物をまとめた一行は夏路の父の運転する車で送ってもらうことにし、夏路もそれに付いていくことにした。車内はやっぱり女子たちの会話で盛り上がっていた。夏路の父は話には入ってこなかったが、ルームミラー越しに談笑する彼女たちをみて何か安どしているようだった。萌果を駅前で降ろし、そのあと自転車を置いていた図書館まで残りの4人を降ろした。
こうして浪人生たちの短い夏が終わった。共通テストとその先の国公立2次試験に向け、浪人生たちの後半戦がスタートしようとしていた。
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