第9話 歩んだ道を振り向けば
そういえば実家に帰るのは4年ぶりだったっけ。そんなことを考えながらカメタクは朝早くの特急サロベツからの車窓を眺めていた。
夏期講習が終わり、予備校は1週間の夏休みに入った。普通なら家で猛勉強だが、卒業後寮を出て旭川市内のアパートで独り暮らしをしているカメタクは稚内の両親から帰還命令が出ていた。実家に帰るのはいいが、それ以上に不安なのは中学の仲間とのサッカー教室だった。
『もし稚内帰るならこの前連絡したサッカー教室、亀井も参加しろよ!待ってるぞ!』
この前のオープンキャンパスで偶然会った清水はこう言ってくれたが、今更自分を皆は受け入れてくれるか。カメタクと不安を乗せた列車は、ひたすら北上した。
稚内駅から母が運転した車で実家に着くと、家族への挨拶もそこそこに2階の自室に入った。ベッドに勉強机、壁に貼ってあるスター選手のポスター、そして中学時代に獲得した時の写真…中学卒業以来、時が止まったかのように部屋は変わっていなかった。ベッドに仰向けになったカメタクは安心したのか、すっかり眠ってしまっていた。
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カメタクは曾祖父の代から稚内市内でホテルを営む両親の2人兄弟の長男として生まれた。幼いころから非常にわんぱくで泥だらけになってはよく母に叱られていた。エネルギーを持て余していた彼がサッカーに出会ったのは、小学4年生の時だった。外遊びで鍛えた運動神経と広い視野が活かされ、司令塔として瞬く間に才能を開花させた。6年生の時には当時所属していたクラブを10数年ぶりに全道大会に導いた。
鳴り物入りで入学した中学校でカメタクは運命的な出会いを果たす。高い運動量を誇る点取り屋の清水だ。2人は1年の秋には前線のレギュラーに定着した。高い攻撃力を武器に2年生の大会では創部初の全道大会進出を果たした。このころから彼らは市内のサッカー関係者の間では名の知れた存在だった。
しかし、カメタクは特にそれを気にすることもなく清水たちとつるんでは練習が休みの日によく遊びに行っていた。明るいムードメーカーのカメタク、真面目な優等生タイプの清水、正反対な2人だったが不思議と気が合った。
そして3年生。今まで以上に警戒されている中でもそれをものともせず、圧倒的な攻撃力で優勝し、2年連続で全道大会に出場した。
さらに全道大会では優勝候補を倒すジャイアントキリングを見せ、ベスト4に入った。全国大会には行けなかったとはいえ、彼らは一躍地元のヒーローとなり、特に大会で3得点8アシストのカメタクは中学サッカー屈指の選手として持ち上げられ、いつしか『日本最北のファンタジスタ』と呼ばれるようになり、高校以降のさらなる活躍が期待されていた。それでもカメタクはやはり周囲の声を気にすることもなく清水と引退してからもよくつるんでいた。
部活を引退したら受験モードに切り替わるものだが、不思議と誰もその話題はしなかった。ただ共に過ごした時間に対する密度が、『高校に行っても2人でサッカーを続ける』ということを気が付いたら暗黙の了解としていたことをお互いに感じていた。そんなある日の学校からの帰り道、カメタクが「話したいことがある。」と突然言い出した。普段聞かない声のトーンだったため、清水は足を止めた。
「実は…。」
「なんだよ、亀井。どうか…したのか。」
「あ、その…なんというかさ…。」
「なんだよ。はっきり言えよ。」
少し笑いを含んだ清水にすごくまじめな顔で答えた。
「俺、お前とは一緒にサッカーができない…。」
「え…。」
「旭川総合学園にスカウトされたんだ。そこに入ってインターハイや選手権を目指す。」
「…。」
清水は少しうつむき、メガネの位置を修正した。
「もちろん、お前と一緒にやりたいとは思ってた…でも、」
「もういいよ。じゃあな、俺たちは今日から敵同士だ。」
清水は一言小声で言って自転車で去って行った。
「待ってくれ、清水!うわあああああああああああああ!」
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「兄ちゃん!兄ちゃん!」
カメタクは弟の政宗に起こされた。
「う…あ…、あー…マサ…。ちっす。」
「ちっすじゃないよ。帰ってきてからずっと寝てたみたいじゃないか。しかもうなされてたし。」
「へへ、そうかい?まあ、悪い夢でも見ちまったんだろうさ。」
「まあ、とにかく下でご飯食べなよ。せっかく帰ってきたのに兄ちゃん起きないから、父さんも母さんも先に食べちゃったよ。」
政宗に連れられ、夕食をとることにした。おかずは政宗が電子レンジで温め直してくれた。自分が300キロ以上離れた旭川でサッカーばかりやってる間に、弟が全部家のことやってたんだな、と思うと頭が上がらない。
「この唐揚げ、ころもがすごいな。」
「悪い、口に合わなかったかな?」
「いや、そうじゃないんだ。…マサが作ったのか?うまいよ、これ。いや本当に。」
「ありがとう、ところでさ…。兄ちゃん、清水さんに会ったろ。旭川で。」
カメタクの箸が止まった。
「清水の奴…。」
「清水さん、電話口ですっごい嬉しそうだった。全然連絡しなかったもんな。」
「…」
「なあ、今度のサッカー教室、参加しなよ。みんな楽しみにしてんだ。全道ベスト4のメンバーが初めて全員揃うって。」
「行くって言ってねえよ。俺、浪人生だから勉強あるし。それに…」
「それに?」
「今更合わせる顔がねえ。」
「顔がないって…。父さんも母さんも反対しなかったじゃないか!清水さんたちだってあんなに応援してたのに…。」
「…。」
「もしかして、レギュラーとれなかったこと気にしてるのか?もしそれを気にして、稚内戻りづらくて、とりあえず旭川で浪人してるだけだったら、やめたほうがいいよ。そんなの意味ないからさ。」
「…。」
カメタクは静かに政宗を睨んだ。
「…ごめん、言い過ぎた。俺、後で洗うから食器流しに置いといて。」
と言い残した。一人になった食卓でカメタクは唐揚げを頬張った。咀嚼が多いのは単に唐揚げが固いからというだけではなかった。
夕食後、カメタクは自室のベッドで仰向けになっていた。昼に寝たため夜も深いのに全く眠くなかった。何もない天井を眺めながら、高校に入ってからの日々を回想していた。
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中学で果たせなかった全国大会出場を目標に掲げ、カメタクは旭川総合学園の門を叩いた。サッカー部もカメタクの同学年には札幌や帯広、函館、さらに道外では東京や兵庫から来ている『サッカー留学生』がたくさんいた。それもほとんどがプロのユースチーム出身だ。
そんな猛者たちの中でサッカー漬けの日々を送った。平日は授業が終われば、19時までひたすら練習。土日は朝9時から夕方17時まで練習があるほか、たまに遠征が入り、そのメンバーに入れば道内各地に1泊2日で行ってくることもあった。
その中でもカメタクは高い身体能力と広い視野を武器にアピールを続けた。90人近くいる部員の中で最初はDチームやCチームだったものの、気が付けばBチームの主力になっていた。1年次こそはベンチ入りは逃したものの、3年生が卒業すればレギュラーはかなり近いところまで行っている。本人の中では自信が少しずつ確信に変わろうとしていた。
カメタクは2年生になり、確信した通りにインターハイ道予選のメンバー入りを果たした。中学時代の相棒だった清水とはこのころはよく連絡を取り合っていて、もちろんメンバー入りの報告もした。実は旭川行きを告げたその日、清水も稚内の私立の強豪ではなく公立高校で大学進学を目指すことを告げられていた。違う道を歩みながらも、互いを応援する仲であった。
『俺、ユニフォームもらえることになった。』
『あの総合学園のユニフォームか。やっぱりお前はすごいよ。』
『全道大会で待つ!』
『そっちはともかく、こっちは地区突破がきついからな。でも、俺も頑張るよ。』
LINEはすごくありきたりな言葉で埋まったが、仲間や地元の期待に応えよう。改めてその気持ちを強くするには十分なやり取りだった。
そしてインターハイ道予選旭川地区大会を迎えた。カメタクはトップ下で先発した。初戦ということもあり試合は6-0でリードし、カメタクも1ゴール1アシストを決めていた。終盤悲劇が起こった。相手の危険なスライディングを受け転倒したカメタクは、そのまま起き上がれなかった。担架でピッチ外に運ばれ、そのまま病院へ向かった。右足を骨折していた。結局、残りの試合はすべて欠場。皮肉にもチームはこの年、インターハイに出場した。
カメタクは持ち前の明るさで、リハビリにも耐えた。ただ、一度のケガが彼のサッカー人生をすべて狂わせた。一回折れた右足をかばうようになり今度は左足をケガした。こうしてケガを繰り返し、冬の選手権もベンチ入りはならなかった。気が付けば2年生の後半は学校生活のほとんどを松葉杖で過ごしていた。
3年生になりケガはなくなったものの、彼のポジションはすでに後輩に奪われてなくなっていた。この年、チームはインターハイ、選手権ともに出場したが、カメタクはメンバー入りしなかった。
夏のインターハイ予選のメンバーから外れた3年生はここでサッカーに区切りをつけ、それぞれ自分の進路に向け動くことになっていた。いわゆる『引退』だ。カメタクも例外ではなく、特進コース在籍のため周りに合わせて大学受験に気持ちを切り替えようとした。しかし、サッカー漬けの日々を送ったため、とっくに受験モードの特進コースの中でもかなり遅れをとっていた。それでもサッカーでの実績が全く作れず、推薦入試も期待できないため一般入試で戦うしかなかった。結果は全滅だった。
自分の3年間は何だったのか、カメタクは完全に自分を見失ってしまった。進む道もわからないまま、卒業を迎えた。この日、とりあえず浪人することを決めたことを初めて両親に告げ、旭川での浪人生活が始まった。
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サッカー教室当日を迎えた。政宗は玄関で靴ひもを縛っていた。すると、カメタクがジャージ姿で大きなバッグを肩にかけ、階段を降りてきた。
「マサ、俺も行くよ。」
実は帰ってきた日以来、兄弟はこのことでお互い気まずくなり口をきいていなかった。それにあの日のやりとりではどう考えても行く流れではなかったが、結果オーライだと思った政宗はニコっと微笑んだ。
2人がグラウンドに着いたときには当時のメンバーが顔をそろえていた。みんなヒーローの登場にテンションが上がっていた。そしてその中には清水もいた。清水はカメタクに駆け寄った。
「亀井…来てくれたんだな。」
「清水…俺さ…。」
カメタクが何かを言おうとした。そこに一人の中年男性が割って入ってきた。
「亀井…やっと来たか!連絡の一つもよこさんから心配したぞ!」
「高橋先生…。」
高橋先生とはカメタクや清水の中学時代のサッカー部顧問だ。厳しい人だったが、戦術眼は確かで彼がいなければ全道ベスト4はなかった。今も中学校で体育教師をしながら、たまに市内の中学校で合同の練習会の主催や少年サッカーの指導もしている。
「それにしてもお前が総合学園からスカウトされたときは驚いた。まさか、ウチの中学…いや、この地域にそんな奴が現れるなんて思わなかったからな。でも、ここなら俺が見せられなかった夢をきっと見せてくれると思ったから、喜んで送り出すことにしたんだ。」
「そうだよ、先生の言う通りお前は俺たちの誇りなんだ。亀井。」
この話をするとカメタクは少しうつむいて話し始めた。
「でも俺は先生や清水たちの期待に応えられなかった…。父さんや母さんも苦しい中生活費出してくれたのに、政宗だって俺のためにサッカーあきらめてバイトしながら学校行って…それなのに俺はそれに見合ったことができなかった。がっかりされるのが怖かったから、高校出たらとりあえず大学行って、普通に就職して、もうサッカーなんて忘れようと思った。ごめんなさい、先生。ごめん、清水…。」
「亀井…。」
清水はかける言葉も見つからなかった。自分が今までかけた期待がここまでカメタクを追い詰めているとは思わなかったのだ。すると高橋先生は小学5・6年生ぐらいの男子の集団を見てこう言った。
「亀井、あそこにいるのが今日のサッカー教室に参加する子どもたちだ。あの子らはな、お前たちの活躍を知ってサッカーを始めたんだ。確かに高校では活躍できなかったかもしれない。ただ、お前が歩んだ道の後ろを歩いている奴がいるんだ。もう一人の道じゃあないんだよ。だから、お前を追いかけている彼らのためにも自分に誇りをもって生きてほしい。そして、お前が歩けなかった道の先を次のあいつらが歩けるように導いてやってほしい。」
「先生…。」
「おい、全員集合!」
子どもたちが一斉に先生の周りに集合した。
「それでは、本日のサッカー教室を始めますが、その前に特別コーチの紹介をします。亀井卓丸先生と清水智之先生です。」
高橋先生が紹介すると、生徒たちがざわつき始めた。一気にカメタクを取り囲んだ。
「亀井さんの話は先生から聞いてました。俺、亀井さんにあこがれてトップ下になりました。」
「俺は学区違うんですけど、亀井さんのいた中学に入りたくて引っ越しました。全国目指してます。」
「俺は総合学園に入って、選手権で得点するのが夢です。」
「俺は亀井さんみたいなパスを出せるように練習してます。」
「僕は、亀井さんのフリーキックはとっても曲がるって先生から聞いてました。教えてください。」
子どもたちの勢いに押されたカメタクは、苦笑いしながら輪から出るとかかとにボールが当たり、慌てて拾った。ふと前を向くと、ゴールが10ヤードぐらい離れているところにあった。カメタクはゴールの正面に立ち、そっと芝生の上にボールを置いた。あれほど騒いでいた子どもたちも全員黙った。カメタクは少し助走をつけ、ボールを蹴った。ボールは死神の鎌のように曲がり、ゴールの左のネットを揺らした。
「すげーーーーーーーーーーーー!」
子どもたちは興奮してカメタクに駆け寄った。
「よし、まずはみんなパス練習からやるぞ!」
「亀井、勝手に仕切るな!」
「うっす!」
コートは笑いに包まれた。
こうして、あっという間にサッカー教室は終わりカメタクは清水と政宗の3人で帰路に就いた。カメタクが「話したいことがある。」と突然言い出した。清水と政宗は足を止めた。
「その…なんというかさ…。すまなかった!」
急に深く頭を下げた。
「いや、活躍できなくてとか、そういうことならもういいって。」
「そうじゃない。俺は自分から勝手に期待背負って勝手に落ち込んでた。独りよがりだった。もっとシンプルにサッカーに打ち込めばよかったんだ。俺、やっぱりサッカーが好きだ。あと…」
なぜかカメタクは急にモジモジしだした。
「なんだよ、亀井。ほかに言いたいことがあるならはっきり言えよ。」
そうすると柄にもなくまじめな顔で清水にこう言った。
「やりたいこと、見つかったんだ。俺、サッカーの指導者になりたい。そのために教育大学に入って体育の教員になるよ。」
「お前が?ふふふ…。」
「なんだよ。お、俺がそういう柄じゃないことぐらいわかってるよ。」
「違う違う。またお前と同じ道を歩むなんてな。まあ俺は小学校志望だけど。」
「じゃあ今日から俺たちは同じ目標を持つ仲間同士だ。」
「おい、今まで仲間じゃなかったみたいな言い方だな。」
「待てよ。お前…そうやって揚げ足を取るんじゃないよ。ということだから政宗。俺、旭川でもうちょっと頑張ってみるよ。」
「兄ちゃん…。」
それを聞いて政宗は安どの表情を見せた。
「そうだ、今日は父さんも母さんも遅くなるから俺が料理作るよ。清水さんもよかったらどうですか?」
「いいのかい?じゃあお言葉に甘えようかな。」
「でも、唐揚げは少し遠慮しろ。俺が食べるからな。」
「兄ちゃん、唐揚げはこの間食べただろ…。」
こうして3人の談笑はカメタクの家に戻ってからもずっと続いた。
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「亀井君、本当ですか。」
「はい、俺もやりたいことがはっきりしました。」
「わかりました。それにしても亀井君。」
「はい?」
「少し見ない間にだいぶ受験生っぽくなりましたね。」
予備校の夏休み明け、カメタクはさわやかな短髪にジャージ姿で現れた。ただ三津屋先生の「受験生っぽくなった」はきっとそこではないのだろう。歩んだ道を振り向くことで夢を見つけた亀井卓丸。彼の受験物語がようやく始まった。
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