第8話 オープンキャンパス
「な、なあ。頼むよ~。」
さっきから松本圭祐は前島弘に対してこの調子だ。今度の土曜日に行われる教育大のオープンキャンパスにどうしても付き添ってほしいそうだ。
「でもな…。」
弘が渋るのにはいくつもの理由があった。志望校でないこと、休日を勉強に充てたいこと、そして何より、
「そもそも浪人生がさ、わざわざ行く必要あるわけ?」
3つ目の理由をカメタクこと亀井卓丸が代弁した。オープンキャンパスは高2までに行っておいて、高3で受験勉強に集中という流れが普通と言われている。それに浪人生で行くということになれば、大学1年生は自分と同い年。横に並んでいたはずの元同級生に学生生活の手ほどきを受けるなど、弘のプライドが許さなかった。
「行く必要ならありますよ、亀井君。むしろ、浪人生だからこそオープンキャンパスに行くべきです。」
とうとう弘の『オープンキャンパスに行く・行かない論争』に三津屋先生が介入してきた。先生は話を続けた。
「一度受験で失敗した君たちはきっと『大学に入れないんじゃないか』って不安になっているはずです。そのためには勉強するしかない。でも、やってもやっても不安が消えることはないんです。それにできないところが見つかって余計に不安になって、『ああ、自分はどうしていまだに受験勉強してるんだ…』なんて考えるようになります。気が付いたら現状ばかり見てしまって絶望しちゃうんです。」
「それはあるかも…。」
思わず弘は納得してしまった。先生は話を続けた。
「だから『未来』を見るんですよ。授業や大学生活、そして自分がそこに立っている姿。浪人生は特に『成功してからのイメージ』が必要です。できあがったイメージを自分の『電池』にして勉強を頑張る。オープンキャンパスにはそんなメリットがあると私は思っています。」
「『イメージ』か…。俺、大学行くって漠然と決めてたし、この際だからいっちょ行ってみっか。そういえば、オープンキャンパスなんて行ったこと一度もないしな。それに圭ちゃんも一人じゃさみしいし、みんなもどうよ。」
この話にかなり感銘を受けたカメタクが動き始めた。つい数分前まで『行く必要あるわけ?』とか言ってたくせに、現金な奴だ。そう思いながら弘は冷めた目で彼を見た。
「学食食えるかもしれないし、かわいい女子大生もいるかもしれないんだぜ。行って損はないだろう。」
宣伝マン・カメタクが爆誕した。ただ『漠然としたイメージ』しかないため、彼にはこのアピールが限界だった。ただ、意外な人物が反応した。
「…私、行ってみようかな。」
「みどりちゃん…。でもどうして。」
「前から言ってるけど普通の女の子になりたいから。そのためには実際の女子大生ってどんなものかリサーチしないとね。」
そういって犬山みどりは笑みを見せた。丸岡虹子と和島美宇も続いた。
「私も行きます。ちょっと美術教育専攻の話も聞いてみたいので。」
「はいはーい!美宇も行くよー!」
チャラ男と元アイドルとアーティスト気質とギャル…メンツはカオスだが、”予備校『暁』 教育大学オープンキャンパス御一行様”が出来上がってきたように見えたので弘は「俺はいいかな…」と言おうとして口の形を『お』の形にしようとした。その時、
「俺も参加するよ。俺は教員になる気は一切ないけど、せっかく地元に大学あるんだし、大学生になるってイメージをしっかりつかんでおきたい。」
と根本俊彦がもっともらしいことを言いながら、突然参加を表明した。
「どうせ遊びたいだけだろ。」
と弘が突っかかると
「『太陽剣士イーグル』の劇場版を見に行く。」
と即答し一同をあきれさせた。それから俊彦は弘にこう耳打ちした。
「それに圭ちゃんが心配だからさ。昔の知り合いにあったら誰もフォローできない。」
それを聞いて大きくため息をついた後、
「しょうがないな。」
と渋々承諾したような言い方で参加することにした。彼らのやり取りを聞いていた三津屋先生が弘をいじりだした。
「前島君、別に無理に行けとは言ってないんですよ。」
「あれだけメリット言っといて、何なんですか。」
「冗談ですよ。でも、志望校じゃないのにどうして?」
「まあ、オープンキャンパスは学校行事の一環でやってたんで。案内役は必要でしょ?」
「ふふ…。とにかくせっかくのオープンキャンパスだから、楽しんできてください。」
「今度北大のオープンキャンパスにも行きます。」
弘は先生から顔をそらして答えた。それを見て先生はまたクスッと笑った。相変わらず三津屋先生は苦手な弘だが、特に今日は突っかかる気にはならなかった。
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そしてオープンキャンパス当日を迎えた。10:00に全体説明会があるので、それまでに現地集合ということにしていた。同じバスで来た圭祐と俊彦は先に到着していた弘と合流した。弘はそれまで英単語帳を開いて時間をつぶしていたようだ。
「いやいや来た割には、1番乗りかよ。」
「みんなが遅いんだよ。」
そんなやり取りをしながら2人は弘の隣に座った。3人で後方から講義室の大パノラマを見渡すと、制服で参加している高校生が散見された。
「…若いな。」
俊彦がつぶやいた。
「何言ってるんだ、俺達と1つしか違わないよ。」
「制服補正ってやつだよ。きっと。」
「なら高校が私服だった俺はどうするんだよ。そもそもガチヲタの俊彦に若々しさなんてあったの?」
「それは言うな。まあ、浪人しようがしまいがここはアウェーだ。」
「まあ、俺たちの場合は進学考えてないからいいけど、圭ちゃんは大丈夫?」
「ぼ、僕は、ここを…ホ、ホームにするよ。」
「ま、そうだよな。」
そんな会話をしているうちにカメタクと謎の女性が合流した。
「カメタク。失礼だけど、こちらの方は?」
と弘が聞くと2人はクスクスと笑い
「美宇だよー。やっぱり気づかなかった。」
と言いながら弘を指さした。気づかないのは無理はない。ギャルで“盛ってる”美宇がさすがにオープンキャンパスで自重したのか、限りなくナチュラルメイクだったからだ。それはこの後到着したみどりと虹子も驚かせた。
こうして7人の浪人生が集まったところで、ちょうど全体説明会が始まった。そこで大学の概要や各専攻の紹介などを聞いたあとは各専攻ごとの講演や模擬授業等が行われる運びとなっている。この教育大学では学校の各教科ごとに専攻が分かれている。教育学はもちろんのこと、文学や歴史学、経済学、理学、芸術学、体育学など様々な分野の教授陣がいるのでまるで総合大学にいるかのようで、専攻ごとの内容もそれが反映された形となっている。そのバラエティに富んだ中からみどりは社会科専攻、俊彦は数学科専攻、美宇は家庭科専攻、虹子は芸術科専攻美術コース、圭祐は教育学を広く扱う教育発達専攻に、弘に付き添ってもらっていくことにした。
その中でカメタクは教員になる気はないが、せめて元サッカー部としての経験が唯一活きそうな所を、と思って体育科専攻の説明会に行くことにした。体育科は学生の話を聞くことになっていた。教授による専攻の概要の説明の後、2名の学生がそれぞれ壇上に上がり話し始めた。まあ体育教員目指すのは、大体は中学校やってた部活がきっかけで…というのがお約束だろう、カメタクはそんな冷めた感じで聞いていた。2人目の学生がサッカー部だったらしく、顔を見てみると、目が合った瞬間思わず視線をそらしてしまった。その学生はカメタクとは旧知の中だった。向こうも気づいていたらしく、やはり講演が終わるとカメタクに声をかけた。
「亀井…やっぱり亀井じゃないか。」
「お、おう、清水。久しぶり…。」
「まさかこんなところで会うなんてな、びっくりして話が飛びそうになったぜ。」
「俺さ…今、浪人してるんだ。」
「浪人?大学目指しているのか。ここにいるって事は、お前も教員目指してるの?」
「別にそんなんじゃないよ…。何をしたいかなんてわからないよ。」
「そうか…お前ならいい指導者になれそうだよ。」
「やめろよ…。」
とにかく明るいはずのカメタクの視線は少しうつむいていた。それに気づいた清水は会話を打ち切るように行った。
「あ、俺そろそろ行くよ。午後の準備もあるから。」
そういって清水は去ろうとしたが、3歩ぐらい歩いたところで何か思い出したようなリアクションをとると、再びカメタクの方を向いてこう言った。
「そうだ!もし稚内帰るならこの前連絡したサッカー教室、亀井も参加しろよ!待ってるぞ!」
「ああ、考えておくよ。」
カメタクは弱々しく返事をした。彼とは何のトラブルも無かったが、仲間の元をを去り、自らの夢に挑んだ挙句、失敗したことが後ろめたくてしょうがないのだ。
それぞれの場所から7人は学内の食堂に集まり、それぞれが体験したことを報告しあった。
「久しぶりに、おなか一杯絵描いたー。」
なんて言いながら虹子は学食で本当に『おなか一杯』になろうとしていた。美術コースはどうやら実際にデッサンの体験があったらしく、彼女にとっては趣味を久しぶりに堪能できたというわけだ。
こうして話に花が抱いている中で、一人カメタクは橋を持ったままボーっとしていた。
「…どうした?」
と聞かれ、はじめて反応した。彼は「いやあ、なんでも。」と答えるのが精いっぱいだった。気が付いたら午後の予定に話題が切り替わっていた。個別相談会や学生スタッフによるキャンパス案内などがあるため、それの参加の可否を確認しあっていた。女子3人はせっかくなので、キャンパス見学にでも行こうかという話をしていた。そのとき、スタッフと思わしき女子大生が驚きながら集団の中にいる圭祐に声を掛けてきた。
「え…松本君…だよね?」
「ん…?」
圭祐はきょとんとしている一方で、6人は違う意味で驚きを隠せなかった。弘が圭祐に
「圭ちゃん。失礼だけど、こちらの方は?」
と聞くと、
「え、えーっと…。」
と本当に困っていたため思わず美宇が
「いや知り合いじゃないんかーい。」
と圭祐に突っ込んだ。
「まあ、覚えてない…ですよね。松本君、引っ越しちゃったから。小学校で同じクラスだった吉村です。」
「あー。」
と思い出したかのような返答をしたため
「いや絶対覚えてなかっただろ。」
と弘も突っ込んだ。
「今日はオープンキャンパスに来たんだ。浪人中?」
「う、うん。」
「じゃあ、勉強大変だね。教師目指してるの?」
「い、一応。」
「そうなんだ。今日は最後まで楽しんでくださいね。」
と言いながら微笑むと圭祐たちの下を去っていった。テーブルは急に慌ただしくなった。
「ちょっと何、あの子。めっちゃ可愛いじゃん。しかもいい子だし、元クラスメートだったのに覚えてないとか、失礼もいいとこじゃない。頑張ってここ入ってさ、絶対あの子と仲良くするんだよ!」
「動機不順すぎだろ…。」
と美宇と弘がやりとりしていると、
「でも、燃料は大事だよな…。」
とチャラ男らしからぬ低めのトーンでカメタクが言った。すると美宇が
「ってかカメタクがこういうのに食いつかないなんて、どうしたの?」
と聞くと「なんでもねえよ。」と力尽きそうな虫みたいな声量で返し、1、2秒間をおいてから、
「俺、帰るわ。」
とと言いだした。
「え、かわいい女子大生を見ていかなくていいの?」
「用事があるんだよ…。」
と、チャラ男いじりすらも意に介さず、ひとり帰路についた。それに続いて、俊彦も帰った。後日弘が聞いたところによると、決して様子のおかしいカメタクを追いかけるというわけでなく、宣言通り『太陽剣士イーグル』の劇場版を見に行ったらしい。
弘は図書館や写真展示、圭祐は個別相談会に行くため、女子3人と別れた。2人になった瞬間、圭祐は弘に少し歯を食いしばりながら
「弘君…僕、大丈夫だから。」
と言った。彼女との間に何があったかはわからないが、圭祐の意思を持ったまなざしを見て少し安心した。
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それぞれがオープンキャンパスを楽しんでいる間に、時刻は夕方に近づいていた。オープンキャンパスも終わりの時間を迎え、まだ昼間の明るさが残る空の下、学生スタッフたちが後片付けを始めていた。トイレから出た美宇は正門前で待っている弘達のところへ行くため、学生スタッフの間をすり抜けるようにキャンパス内を小走りで駆け抜けていた。
「…あれって…?」
昼に圭祐と話していた吉村さんの後ろ姿を見つけると、思わず足が止まった。せっかくだしあいさつでもしておこうか、と思ったが他の学生と話していた。偶然にも今日の昼の話をしているようなので、悪いと思いつつも後方で聞き耳を立てた。
「今日の昼さー、小学校の時のクラスメートにあったわけ。」
「そういえばヨッシーって実家だったよね。」
「まあ、そいつ、小4だったかな?それぐらいで留萌に転校したんだけど。」
「そうなんだ。家の都合?」
「いじめ。クラスにすっごい悪ガキがいて、オドオドしてたからターゲットになっちゃったの。それで不登校になって…。」
「うわーそりゃ大変。」
「でも言っちゃ悪いけどすごいコミュ障で、正直会話なんか全然成立しないわけ。あ…あ…って感じでさ。その奴がまさか教員目指してるとか無理無理無理無理。」
「あはははは、ヨッシーそれちょっと言い過ぎだって。」
「だからかわいそうだけどさ、みんな奴には関わらないようにしてたわけ。いやいじめてないけどね!あー哀れ、いとあはれなり。」
「いや、それ意味違うって。あっはは…」
美宇の中で機は熟した、と思い気づいてないふりをして吉村さんに声をかけた。
「吉村さん!」
すると向こうはびっくりした様子を一瞬見せたものの、すぐに笑顔を作り
「あ…ああ、昼間の…。」
「今日はお疲れ様です。オープンキャンパス、楽しかったです。」
「よかったです。あの…松本君に勉強頑張ってって伝えておいてください。」
と言われると美宇は敬礼しながら
「りょーかいです!あと、松本君には『あんたなんかより絶対いい教師になれる』って美宇から伝えておきますね!ばいちー☆」
と言い思いっきり手を振って化石のように動かなくなった吉村さんのもとを去った。
「遅い…。」
一方、正門前では弘達はずっと美宇を待ちわびていた。そこへ
「はあーすっきりした!」
と言いながら思いっきり腕を上に伸ばして美宇が戻ってきた。実は『トイレに行く』と宣言してから15分近く経っていたのだ。
「遅いよー。LINEしたのに全然連絡ないから。」
「はいごめんごめんて。さ、帰ろ!」
男性陣も少し文句を言いたい様子だったが、全員美宇に勢いで押し切られた。帰りの道中、美宇は圭祐の名前を呼んで左肩をたたいた。
「圭祐君!」
「な…なに…。」
「絶対さ、大学に合格してやろうね!」
「あ…ああ、うん。」
「ほら、会話成り立つじゃーん!」
その様子を見た弘が
「成り立つ…てどういうこと。」
と聞くと
「何でもなーい!」
とまたも押し切られた。
こうして浪人生たちは『成功のイメージ』を夕焼けの空に浮かべつつ、それぞれの帰路に就いた。
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