第5話 それぞれのステージ

気が付けば6月になっていた。この時期北海道は梅雨がないとよく言われるが、確かにここ数日からっとした陽気な日々が続いていた。予備校『暁』の12人の塾生たちも来るべく先月の模試の判定に怯え、心を曇らせているものも(きっと)いたが、そんな素振りは一切見せずに晴れやかな表情を見せていた。


 そんなある日の昼休み、虹子、麗、みどりの3人が教室の机を囲んで弁当を食べていたときのことだった。みどりのジーンズの右ポケット当たりからすごく振動音が聞こえた。


「あ、電話来ちゃった。ごめんね。」


そういってロビー前に小走りで移動した。スマホの画面には携帯番号と『紅音』という名前が書いてあった。みどりは思わず小声で「えっ」と言った。電話の内容は今度の日曜日、旭川に行く用事があるとのことなので前日に2人で会わないか、ということだった。紅音とは解散ライブ以来のやり取りだった。教室に戻って電話の相手を聞かれたが、『友達』としか答えなかった。それ以上のことは特に誰も聞かなかったが、みどりは再会を約束した『戦友』たちとの日々を思い出していた。


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 犬山みどりは銀行員の両親と、2つ下の妹、5つ下の弟との5人家族で、真面目で成績優秀、かつ容姿端麗だった。本人の気持ちとしてはいたって『普通の女の子』のつもりだったが、その才色兼備が災いしたのか、クラスの女子の妬みの対象になり孤立しがちだった。現実主義かつあっさりしたタイプのため必要以上に悩むことはなく、学校は毎日登校していたが「ここは自分の居場所でない」という気持ちは常に抱えていた。


 そんな彼女の人生の転機は中2の春休みだった。父がプロ野球のチケットをもらったのがきっかけで家族で札幌に旅行した日のことだった。この日、野球にさっぱり興味がなかったみどりは母と札幌市内でショッピングをしていた。歩き疲れたのでコーヒーショップで一休みしていたところ、スーツ姿の中年女性に話しかけられた。母はそのときトイレに行っていたため、みどりは一人だった。


「あなた…かわいいわね。」


最初はただの変なおばさんでしかなかった。まさか、この人が、後に自分が所属する事務所の社長だなんて、夢にも思わなかった。


「なんですか、あなた?」

「あら、お母さんですか?ちょうどいい。」


といって、自らの名刺をトイレから戻った母とみどりに渡した。


「もし興味があったら電話してください。ただ、あなたならここで輝くことができる。私が保証するわ。」


とだけ言って去っていった。

 

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「みどりちゃん…?」


 みどりは現実に戻った。午後の授業がもうすぐ始まろうとしていたため、慌てて箸と弁当箱を閉まった。


 この日の午後の授業はぼーっとしてしまった。帰る前に紅音の誘いを受けることをショートメールで送ると、時間と場所を教えてきた。どうしよう、何を話そう。そんなことがみどりの頭の中で考えながら、自転車をこいだ。


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 あの時のスカウトの一件は春の珍事で終わるはずだった。しかし、どうやらこのおばさんはみどりの『普通ライフ』に風穴を開けてしまったようだ。みどりはこの謎のおばさんの名刺をベットの上であおむけになりながら表と裏を交互に穴が開くほど見ていた。片面しか印刷されていないのに。


『あなたならここで輝くことができる。』


 いつもいる家族のどんな言葉よりも、その日1日あっただけの人の言葉がずっと頭から離れなかった。


『この人なら私に居場所をくれるかもしれない。』


 学校が面白くない彼女はいつしか、そんな風に思うようになった。意を決して、このおばさんに会いに行くことを両親に伝えた。次の日、みどりにとって人生初の家族会議が行われた。


 家族内では心配の声もあったが、とりあえず納得のいくところまでやらせてみよう、ということになった。それから謎のおばさん…こと大久保社長と面接することになった。母は同行したが、面接はみどりが一人で受けた。それから少しして、再び社長から札幌に来るよう電話が来た。アイドルグループの候補生としてレッスンに参加することになったのだ。


 札幌の指定されたスタジオに来たみどりはそこで自分以外の4人の少女に会った。誰よりもオーラがあったリーダーの『紅音』、クールでスタイルもよく大人びた美人系の『蒼』、コミュ障で引っ込み思案な自分を変えるために来たという『紫乃』、当時小学生で最年少ながらも元気いっぱいな『きい』。この日からダンス、歌などハードなレッスンが始まった。

 

 ほかの4人は札幌やその近郊の出身だが、みどりは旭川から休日のたびに札幌に通っていた。交通費は事務所が負担していたものの、土曜の朝に来て、日曜の夜に変える生活は当時中3のみどりの体に相当こたえた。休日のレッスンの日は同学年の紅音の家に泊まっていた。気が付いたら、どんなクラスの同級生よりも週一でしか会わない彼女と一番話していた。


「ねえ、みどりってさ…」

「…え?」

「なんでアイドル目指したの?」

「ここならがんばれそう、あと誰か認めてくれるって思ったから。紅音は?」

「…生きるため。私、ママしかいないから、楽させたくて。アイドルになったら、何したいの?」

「…とにかく、歌って、踊りたい!」

「歌って、踊りたいか…そうか、そうだよね!」


こうして、苦楽を共にする仲間がいて、生まれて初めての夢や目標に向かえるこの世界が彼女にとっての居場所となっていた。


 ただそれも終止符を迎えようとしていた。正式にグループ結成かつデビューが決まったのだ。最年長の紅音とみどりの中学卒業に合わせて、4月デビューとなった。こうしてみどりは15歳にして親元を離れ、紅音、蒼、紫乃、きいとともに札幌を拠点としたローカルアイドルグループ『ノーザンステラ』として活動を始めた。


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 再会の約束の日となった。受験生の身であるため、時間よりかなり早く待ち合わせのコーヒーショップに来て英語の勉強をしていた。すると一人の女性が話しかけてきた。


「…みどり?」


顔をあげるとそこにはかつての仲間、紅音がいた。みどりは慌ててテーブルに広げていた問題集やノートをカバンにしまった。


「ここ、座るね。」

「うん。」


驚きのあまり発する言葉はこれが精いっぱいだった。しかし、それからすぐに、嬉しさと懐かしさが込み上げてきた。


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 ノーザンステラは4月のデビューライブを成功させた。5月には北海道限定とはいえCDデビューも果たした。普段は、メンバー5人のうち3人が中学生だったこともあり、平日は通信制高校に入学していたみどりと、完全に「退路を断った」紅音が中心となってテレビ、ラジオ出演等の活動していた。残りのメンバーの学校が終わると平日はレッスンに明け暮れ、土日はライブやイベント出演をしていた。


 決して知名度が高いとは言えなかった。それでも、札幌市内では「惑星さん」と呼ばれるファンを増やしていき、活動の幅は広がっていった。メンバーが夏休みや冬休みに入ると、札幌圏にとどまらず、道内各地のイベントでライブをする機会も増えていった。


 みどりが高校2年生のとき2つの大きな転機が訪れた。1つはファーストアルバムをひっさげた夏の全道ライブツアーだ。函館、苫小牧、旭川、稚内、北見、帯広、釧路など、マネージャーが運転したワゴンカーで全道各地を回ってライブを敢行した。この全道ツアーでアイドルとして成長し、さらに5人の結束を深めて、短い北海道の夏を駆け抜けた。

 

そしてもう1つは夕方ニュース番組のお天気コーナーの出演だ。メンバーが日替わりで出演していた。全員出演ではないものの、北海道では名の知れた歴史ある番組の出演だったため、彼女たちは自分の個性を懸命に出した。広告モデルやラジオのコーナー出演など、メンバー個人の活動も増えた。


 こうして順調にローカルアイドルの階段を昇っていたノーザンステラだったが、少しずつ歯車が狂いだした。まずお天気コーナーの出演が半年で打ち切られてしまった。テレビ局の唯一のレギュラーの仕事だったため、収入が大きく減って、道内での幅広い活動が難しくなった。さらに、蒼が高校進学後、学業を優先し始めたことと、紫乃がアイドル活動にプレッシャーを感じ体調を崩すようになったことから拠点である札幌でのライブも減らしていかざるをえなかった。さらにグッズを作りすぎたため在庫が増えてしまい、経営状態がさらに悪化していった。


 個人でちょっとした活動があったものの、高3になったみどりは今までが嘘のように暇になってしまった。通信制高校にいたため、スクーリングを増やして暇をつぶしていったものの、自分が札幌にいる意味が分からなくなってしまっていた。


 そして高3の冬のある日、5人は大久保社長から事務所に呼び出しを受けた。


「残念ながら、うちの事務所は倒産します。皆さんの芸能活動の継続も困難になりました。本当に…本当にごめんなさい。」


社長がひたすら自分たちに頭を下げる姿から、スカウトしてきたときの不思議かつパワフルなあのときの雰囲気を一切感じられなかった。


この後、5人だけで話し合った結果、せめて最後に解散ライブがしたいと提案することにした。ただ事務所の資金はないため、メンバーそれぞれの家族に出資をお願いし、自分たちで宣伝をした。なんとかみどりが高3の3月のときに解散ライブを敢行した。アンコールが終わり、舞台に戻ると、メンバーは泣きながらお互いに抱き合った。この日を最後にメンバーが会うことはなく、通信制高校を卒業したみどりは消えるように地元・旭川に戻ることにした。みどりは居場所を再び失ったしまった。


芸能界での栄枯盛衰を18歳にしてしった彼女はこれをきっかけに「普通の女の子」に戻ることを決めた。もともと大学に行きたかったということもあり、ちょうど地元にできた予備校『暁』に入校し、受験勉強をすることにした。


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 3か月ぶりに会った2人は思い出話やみんなの近況報告に花を咲かせた。蒼は中高一貫の女子高の3年生で今は大学進学のため学業に専念し、最年少のきいはなんとか札幌市内の公立高校に進学、柴乃だけは連絡がつかなかったらしい。そして紅音は解散以降、すぐに札幌市内の別の事務所に移籍し、今はソロミュージシャンとして活動している。札幌出身の彼女がみどりの地元である旭川に来ていたのも、次の日このコーヒーショップも入っているショッピングモールのイベントで演奏するためだった。


「明日ここでするんだ、ライブ。」

「すごい…、曲は自分で作ったの?」

「うん、実は仕事なくなってから、色々作ってためていたんだ。前の事務所が危なくなってたこともあったけど、いつまでもアイドルじゃいられないっていうのは薄々わかっていたから、私なりに先を見通していたんだ。生きるためにね。」

「すごいね…やっぱり紅音は私と覚悟が違う。居場所が欲しいだけの私とは。」


すこしうつむいたみどりに紅音は問いかけた。


「ねえ、みどりってさ…」

「…え?」

「今はさ、何目指してるの?」

「とりあえず、『普通の女の子』に戻りたいと思ってる。」

「『普通』…ねえ。私はもう『普通』なんてわからなくなっちゃった。だってさ、私たち1回道外れたじゃない。もう戻れないよ。そんな有名じゃなかったかもしれないけどさ、どこにいても、何をしてても、『元アイドル』って、一生ついて回ってくると思うんだ。」


重い言葉だった。現に今の紅音も歌手の仕事があるのはアイドルだったころの実績があってのものだった。みどりは頭の中から言葉を絞り出すように話した。


「わかるよ…なんとなく。でも…だからこそ、あの時の私たちをなかったことにしたくないんだ。」

「みどり…。」

「確かに重荷になっちゃうかもしれないけど、あの時みんなで、レッスンして、ステージでライブして、テレビやラジオ出て、地方でおいしいもの食べて、たまにケンカして、紅音やみんなと夢語り合って…なんかいろいろ。『青春』っていうのかな、私にとって。だからすごく大切にしたいから、むしろ一生ついてきてほしいなって。」

「青春か…。」

「それにさ、紅音もさ、いつか『元アイドル』になるってわかってたんじゃない?だから自分で曲作ったし、私も高校の勉強してた。まあ私はもう1年勉強することになっちゃったけどね。」

「…わかるよ。学校出るのと同じでさ、いつまでも同じ場所にはいられないんだよね。いつも次のステージがどこかに用意されててさ、それが私には『歌』で、みどりは『受験』。だから、みどりにとって今の環境が単なる『居場所』じゃなくて『次のステージ』なら、応援したい。」

「ありがとう…。…みんなも見つけたかな、それぞれのステージ。」

「…そうあってほしいなあ。みどりみたいに。」


2人は互いに何となく納得した表情を見せあった。それからたわいもない話を続けて店を出るとき、ちょうどお昼時だったこともあり、2人でラーメンを食べたのち、『それぞれのステージ』での成功と5人での再会を誓って別れた。


 みどりは次の日のショッピングモールでのライブイベントをもちろん見に行った。そこにはアイドル時代のフリフリ衣装とは違う、Tシャツにジーンズ姿でギターを抱えた紅音がいた。ただ、ライブ中は新しい装いの中にも、あの頃と変わらない笑顔と意思を持った眼差しがあり、みどりは安堵した。


 この日の夕方、帰宅したみどりは紅音のSNSを少し眺めてから、改めて勉強机に向かった。再会を果たした『戦友』との思い出と誓いを胸に。

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