第3話 最高の復讐

気が付けば4月下旬、もうすぐ大型連休を迎えようとしていた。親睦会の効果は絶大だったようで、予備校内も人数が増えたかのような賑わいを見せていた。ただひとたび授業になればまなざしは真剣そのもので、もしかしたらこれも親睦会効果なのかもしれない。


 そんなときのある日の夕方だった。俊彦と圭祐はたまたま同じ帰り道だったため一緒に4条通りを自転車で駆けた。圭祐はいわゆる”コミュ障”であったが、塾生たちの前では少しずつ柔らかい表情を見せていた。この日も俊彦が愛聴する『太陽剣士イーグル』の話を一方的に聞きながらも、その情熱ぶりにほだされているところであった。そんな中、一人の金髪のイカツイ男が圭祐に話しかけてきた。


「…松本君?だよね。」

「…え…あ…はい……。」


圭祐はこの男の正体を知っているようで、顔を見た瞬間、彼の表情はしだいに硬くなった。


「俺だよ、憶えてる?近藤。小学校で一緒だった。」

「…うん…ひ、久しぶり。」


俊彦は旧知とはいえ近藤という男に馴れ馴れしく肩を組まれても微動だにしない圭祐を不思議そうに見たが、逆に心配されたようで


「ぼ、僕はあっちの方だから、またね。」


とすこし早口で言われたので、ここで別れることにした。近藤は俊彦の背中が小さくなったのを確認して、路地裏に回り、声を低くして圭祐に話しかけた。


「…お前、生きてたんだな。」

「……」

「ろくに喋れねえお前を俺が何とかしてやろうとしたのによ…それなのにやれいじめだ、嫌がらせだ、とかいって親や学校に泣きついて俺を悪者扱いしようとしたな。」

「……」

「挙句の果てに逃げやがって。まあいいよ。なんで俺がお前にすぐ気づいたからかわかるか?お前がちっとも変わってないからだよ。何も成長してないんだ。」

「……」

「ところでお前何やってんだよ。」

「…よ、予備校に行ってる。」

「あ、そう。まあお前が何やろうが知ったこっちゃないが、きっとお前はまた逃げるよ。きっと大学にも行けなくてニートになって、誰かのせいにして被害者ヅラする。お前にはそもそも生きる力がないんだからな。」

「……」


圭祐は肩を震わせながら近藤をにらんだ。


「なんだよその目は。ま、どうでもいいけどな。後味悪くなるからせいぜい死ぬなよ。」

「…………」


圭祐は肩を震わせながら自転車を押した。その姿は通りがかった何人かに見られていたが、溢れる涙をこらえることはできなかった。


-------


 松本圭祐は旭川で生まれ、両親と母方の祖母、4つ下の弟の5人家族だった。元々内気な子であったが、旭川市内の小学校に入学した当初は毎日学校が楽しい、とまで言っていたほどだった。それが激変したのは小学校3年生のとき、あの近藤と同じクラスになってからのことだった。


 近藤は少々気性が荒いところがあったものの、リーダーシップを取るタイプでクラスの中心にいるような奴だった。また人見知りも全くしないタイプで、ガツガツとクラスメートとの距離を一方的に縮めるタイプだった。人見知りの圭祐には天敵ともいえる存在だったが、もちろん近藤が圭祐を放っておくはずがなかった。


「おい松本。」

「ふえ?」

「ふえ?じゃあねえよ。おめえしゃべんねえな。」

「ええ…ああ…」

「ええああじゃあねえよ。お前は今日から『えーあー』な」

「へ?」

「あだ名だよあだ名、おい『えーあー』!」

「はあ…」


 それから事あるたびに近藤グループから『えーあー』と呼ばれいじられ続けてきた。圭祐も初めのうちは笑っていたが、激しい”いじり”についていけずしだいに彼は一層口数が減り、さらにふさぎ込むようになっていった。業を煮やした近藤の”いじり”はエスカレートしていった。


 他のクラスで無理やり一発芸をさせられる、女子に向かって『ブス』などの暴言を言うことを強要される、などもはや”いじめ”というには十分な内容だった。できなければ大声で罵倒され、ひどいときは放課後殴られた。あるときは圭祐が何も言えないのをいいことに小銭をたかりまくった。このころから、怖くなった他のクラスメートは圭祐から離れていった。


 もちろん周りの大人が何もしなかったわけではない。圭祐の異変に気付いた母が学校を通じて担任に相談した。当時の担任が、母と圭祐から事情を聞き、近藤に謝罪をさせ、それで解決したと誰もが思っていた。


 ただ次の日からいじめはさらにエスカレートした。担任のいないところでは暴言のオンパレードで、背中に悪口を書かれた紙を張りつけられることもあった。担任も薄々解決してないことは気付いていたものの、当時20代ぐらいの若手女性教諭で余裕もなく、粗暴な近藤を制御することができなかった。圭祐も『もう誰にも相談できない』と感じていたため、ただただ耐え抜くだけの日々だった。


 いじめは4年生に上がっても続いた。そして進級したばかりの4月のある日の朝、圭祐はベットから起きられなくなった。この日、母はやむなく学校を休ませることにした。ただ次の日も、その次の日も、ベットから起き上がれなかった。そして彼は不登校となった。この間、学校からは学期の始めと終わりに電話がくる程度だった。


 そして5年生の3学期のある日、両親と祖母が話し合い、4月から現在の家に祖母を置いて、父の実家である留萌に引っ越すことを決めた。両親は現在の会社を辞め、父の実家の稼業を手伝うことにした。当時の判断としては、安定や収入よりも、『子供が普通の小学生に戻ること』を第一に考えた結果だった。


-------


 圭祐が近藤と再会をした翌日、圭祐は予備校を休んだ。予備校には”体調不良”と圭祐の祖母から連絡が入ったらしく、特に誰も気に留める様子もなかった。


 その次の日も休んだ。この日は大型連休前最後の日だった。これを逃すと1週間近く間が開くので、さすがに塾生たちも圭祐が心配になった。その日の昼休み、俊彦は弁当を囲んだ弘と健太郎に圭祐が休む前日のことを話した。すると、


「もしかしたら圭祐が来なくなったのは彼が原因ってこと?」

「わからない…。」


と弘と俊彦が話し始めたところに、健太郎が


「とにかく憶測だけで言ってもしょうがないさ。帰るとき、せめて様子だけでも三津屋先生に聞いてみよう。」


と提案した。


 授業がすべて終わった後、約束した通りに帰る前にフロントに行き、三津屋先生に聞いてみた。しかし、


「うん、今日も電話におばあ様が出られたんだけど、何があったとは聞いてないな…。」

「ただこのままいなくなると後味悪いですよ。」

「君たちはこの間の親睦会の話、分かってくれているみたいですね。ただ、今日はどうしようもないですから、待ちましょう。もしGW明けに来なければ、色々考えないといけませんね。」


と流されてしまった。まあ担任とはいっても学校の先生ではないので仕方のないことと3人は思った。みんなが帰った後、三津屋先生はこの後再び圭祐が暮らしている祖母の家に電話をしたが、その内容を知ることなく、連休に突入した。


 迎えた連休初日、圭祐は留萌にいた。実家での両親や弟との再会もそこそこに、荷物を置くと自転車をこぎだしていた。彼には親以上に会いたい人がいた。その人に会えば今の自分の胸の中に渦巻いている黒い雲を取り払ってくれるかもしれない、そう信じていた。


-------


 小学校最後の1年を父の故郷である留萌で過ごすことに決まったものの、いざ1学期が始まっても圭祐は学校に通うことができなかった。当然、転校先のクラスメートになるはずの児童たちは困惑し、担任の円城寺綾子先生も困っていた。その日のうちに綾子先生は圭祐の家を訪れた。ただ、学校への恐怖感と不信感から2階の部屋から圭祐は大声で「帰って!」と叫んでしまった。それでも、綾子先生は玄関に上がると、圭祐の部屋の前で話し始めた。


「松本君、こんにちは。今日からあなたのクラスの担任になった円城寺です。」

「……」

「松本君は、留萌には慣れましたか?」

「……」

「美味しいものは、食べましたか?」

「……」

「私はここにきて5年目になるけど、海に面した町で暮らすことが多くて海の幸はよく食べたわ。でもね…本当はハンバーグが一番好きなの。」

「………」

「それじゃあ、また来るわね。」


 階段の下から見ていた母はあっけにとられた。綾子先生は「学校に来なさい」どころか、学校の話を一切することなく、ただやわらかい口調で「ハンバーグが好き」という話だけしてやり切った顔をして階段を降り、母に深くお辞儀をしながら「また来ます。」とだけ言って帰った。


 それから毎週金曜日、綾子先生は圭祐の家を訪ねた。あるときはクラスではやっているアイドルグループの顔と名前が一致しない話。またあるときは生徒に進められているアニメを動画サイトで一気に見た話に一人用バーベキューセットを買った話と、たまに学校の話は入るものの、基本的には先生がしたい話を部屋の前で自由にしていた。


 そんなことが続いたある日の事だった。綾子先生が好物のハンバーグを作るときに外が焦げて中身が生肉だった話をしていると、突然扉が開いた。


「ぼ…僕も、ハ、ハンバーグ…好きです。」

「松本君…。」

「今度は…ぼ、僕のはな、話を…聞いてくれますか?」

「…もちろんよ。」


 それまで風呂とトイレと食事以外で出てこなかった圭祐が初めて出てきた。学校に行きたくなっただけではない。ただ、不登校が続き外の世界がわからなくなった圭祐にとって、いろんな話をしてくれる綾子先生に興味を持ったのだ。綾子先生は当時48歳で、小柄できゃしゃで、穏やかな笑顔が特徴的な、ドア越しに会話していた時のやわらかい口調のイメージ通りの人だった。


 それからは1階の居間が圭祐と綾子先生のやり取りの場になった。圭祐が好きなゲームの話をしたら、その次の週には綾子先生がそのゲームを購入した話をしてくれた。次第に心を開き始めた圭祐は先生に少しずつ悩みを相談したりするようになった。それに対して綾子先生は簡潔に答えてくれた。


「ぼ、僕、こんな話し方で、ば、ば、馬鹿にされないかな…」

「あなたの話し方は個性よ。コンプレックスになんてさせない。」


「べ、勉強ってさ、な、何からしたらいいのかな…」

「今度勉強、教えてあげるわね。」


 学校に通えてないものの、この頃から少しずつ家庭に笑顔が戻り始めた。両親はこの家庭訪問を続けさせてよかったと心から思っていた。彼女なら圭祐の胸の中に渦巻いている黒い雲を取り払ってくれるかもしれない、そう信じていた。


 そして7月に入ったある日、圭祐は突然「学校に行きたい」と言い出した。そのとき綾子先生は一言「わかったわ。」とだけ言ってほほ笑んだ。


 そして3か月遅れの転校生として圭祐はクラスにやってきた。久しぶりの学校でもちろん不安やストレスがあったものの、すぐにノートを見せてくれる子や、一緒に遊んでくれる子が現れた。実は圭祐が学校になかなか通えないのを逆手にとって、綾子先生は彼がクラスで受け入れられるようなシステムを構築してくれたのだった。

 この留萌での小学校生活は10か月にも満たないものだったが、圭祐にとってはかけがえのないものになった。休みの日には自転車をこいで友達の家に遊びに行くまでになっていた。そして迎えた卒業式、彼の小学校では中学校に向けての抱負を一人ずつ壇上で語るのだがそこで、


「僕は教師になって、円城寺先生のように一人一人を大事にできる先生になります。」


と高らかに宣言した。


-------


 綾子先生の家についた圭祐は、先生の自宅の居間に招かれた。あれから6年が経ち、綾子先生の髪にも少し白髪が生えた。彼女は圭祐たちが卒業してすぐ教頭先生として別の小学校に異動になり、今はまた別の小学校で校長先生をしているそうだ。頂いたレモンティーを口にしながら、お互いの近況報告やたわいもない話で、話に花を咲かせた。


 15分くらいして、急に顔を下に向け、言葉を絞り出した。


「せ、先生、今、僕…よ、予備校に、いいい行ってないんです…。」

「…何かあったの?」

「こ、この前…旭川の小学校で…ぼ、僕をいじめてたやつに…会いました…。それで、お、俺、こ、こわ…怖くて…。」

「そう…怖かったのね?」

「や、やっぱりそいつは…許せなくて…その怖いんだ。自分が、こ、殺したくなるくらいに、憎んでいることが。」


圭祐は肩を震わせながら、頭を抱えた。少し天井を見て綾子先生は静かに話した。


「あなたにできる復讐を教えてあげる。」


まさかの切り返しに圭祐は顔を上げた。


「それはね、あなたが幸せになること。だって…松本君には素敵な夢があるじゃない。」


あの時と同じように簡潔に答えてくれた。


「私はあなたの不安は消してあげられないけど、前に進もうとしているあなたを知っているから、信じて応援することができる。きっとそんな石ころも跨いでいけるわ。」


気が付けば肩の震えが止まっていた。それから少し話をしたあと、今度一緒にハンバーグを食べる約束をし、実家に帰った。


 夕食後、自室に戻った圭祐は予備校生同士のグループLINEに休んだお詫びと、ノートを見せてもらうお願いをした。すぐにノートを撮った画像が来たが、相談もしてないため同じタイミングで現代文のノートの画像が2つ送られてきた。


-------


 そして大型連休もあっという間に終わり、予備校も講義が再開された。そこにはリベンジャー圭祐の屈託のない笑顔が戻ってきた、というよりむしろ良くなっていた。心配した弘たちも圭祐の様子を見て安心したのか、連休前にどんな手立てをしたのか気にすることもなかった。


 こうして圭祐が戻った予備校『暁』の塾生たちは、第1回共通テスト模試、記述模試をこの週末に迎えようとしていた。そんな中、金髪のイカツイ男がこの付近で逮捕されたなんて話を聞いたが、そのニュースは道に落ちている石ころのように誰からも気にされなかった。


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