第191話 風の中で

 二人は長野に戻ると、それぞれが考えた台本を監督に差し出した。

「うん、いいね。僕の考えと、とても似ているね」

 村沢監督はそう言って、頷いてくれた。

 そして。

「衣装も少しこだわりたくてね。YOSHIMURAの二人に協力してもらって、当たってもらっているんだよ」

「二人?」

 はると日高が振り返ると、そこには祥子と、叔父の敦也あつやが仲良く現場を指揮したり、自ら型紙を切り抜いたり、生地を縫い合わせたりしていた。

「二人のおかげでYOSHIMURAも一つになったのよ。ま、姉のことだから今だけかも知れないけど」

 すぐ後ろで北川の声がした。

 すると、

「あ、はるちゃーん。ちょっとこっち来てー!」

「あっ、はい!」

 笑顔ではるは、祥子の元へ駆け寄った。

 日高と北川が、顔を見合わせて笑った。

「ま、移籍話も飛んだしさ、私に免じてカンベンしてやってよ、日高」

 北川が、日高の肩に腕をかけた。

「うん。私も突っかかりすぎたしね。おあいこだよ。でもまたはると私を引き離そうとしたら、今度は本気で潰すから」

「吉村 v.s 如月 かあー、面白いかもねー。んー、どっちにつこうかなー。でも私は、やっぱりしばらく日和見かな」

北川せんせいが一番怖いよ」

 日高は、肩の腕をゆっくり外した。



 どれほど、この瞬間ときを待っていたのだろう。

 藍子は、を閉じて風の中に立っていた。

 かすかに、階段を上ってくる足音が聞こえる。

(ああ、あの人だ。間違いない。今度こそ、あの人だ)

 眼下に広がる、山々の美しさと。

 かつて、愛して、ずっと離れ離れになっていた、最愛の恋人、いや、妻を。

 心の瞳で見つめることが出来る。

 足音が自分の前で止まったとき。

「藍子…」

 妻が、自分の名を呼んだ。

「ごめん、遅くなっちゃった」

 ゆっくり瞳を開けた。

たまき……」

 そこには。

 家譜の中でのみ結ばれた、妻が居た。

 ずっと会いたくて。

 ずっとずっと会いたくて。

 でも、長い間会う事が出来なかった、愛しい人がいた。

「ここで、ずっと私を待っててくれたの?」

 環が尋ねた。

「うん。ここで待っていれば、いつか来てくれる気がしたから」

 藍子は頷いた。

「いっぱい、いっぱい、話したいことがあるの」

 環は、藍子の袖をつかんだ。

 そして、嬉しそうに微笑わらった。

 雄鶴と雌鶴の舞を舞ったときの、如月の伝統の赤と白と黒の衣装が鮮やかだった。

「聞くよ。いくらでも」

「うん」

 頷いて。

「でも、その前に抱きしめて」

 環が言った。

「三百年ぶりに会ったんだから」

「四百年じゃないの?」

 藍子が笑った。

 でも、二人はどちらともなく歩み寄って、風の中で、しっかりと抱き合った。

「環」

「藍子」

 何度も何度も、お互いの名を呼びながら。

 環は、言った。

 最初は、裏切られた、自分は捨てられたと思っていた。

 いくら、まわりに反対されても、藍子なら駆け落ちくらいしてくれると思っていたから。

 だから恨んでいた。

 ずっと、恨んでいた。

 でも、自分よりも三十年も早く藍子の悲報を聞いたとき、共通の弟子の一人が私に言ったの。『藍子先生は一生独身で、来る縁談、来る縁談を全て断っていた。自分には家譜の中でだけ結ばれた結婚相手がいるから』って言って。

 それを聞いて、藍子の本当の愛情を知る事が出来た。

 なぜなら、私は幸せだったから。

 平凡だけど、幸せだった。

 だから、藍子に『ありがとう』って言いたくて、木像を作って納めたの。

「そっか」

 環の言葉に。

 藍子は頷いた。

「なら、良かった」

「でも、どうしても心の底の奥の奥に、小さな疵痕があった。それが時々、童子こどものように泣き出した」

「………」

「だからね、藍ちゃんに知って欲しかったの。まだ愛してる。でも、恨めしくも思ってるって」

「だから、袖の下に銘を打ったの?」

「そ。私をソデにしたでしょって、一言、言ってやりたかったの」

 そう言って、環は体を預けていった。

 二人は、ゆっくり、芝生の上に転がり合った。

「たまちゃんが本気で怒ると、凄い怖いよねー」

「何それ。藍ちゃんの方がすぐやきもち焼いてイカるじゃん」

 いつしか。

 二人は、幼い頃呼び合っていた愛称で呼んでいた。


「ねー、そろそろ行こっか。寒くなって来たよ」

 藍子が、環の手を取った。

「うん。まだまだ話し足りないね」

「もう、ずっと一緒だからいっぱい聞くよ」

「藍ちゃんのその後の話も聞かせて」

 藍子の左腕を抱くようにして。

 環は、手を絡めていった。

 二人は、ゆっくり。

 風の中を歩いて行った。

 同じ景色を、眺めながら。

 同じ空の下で。

 飽きる事なく、言葉を紡ぎながら。

 ゆっくり。

 ゆっくり、歩いていった。




 -奥プロ事務所-


「ただいまー」

 はるに続いて、日高も入って来た。

「お、どうだった? 式典は」

 社長が湯のみを持ったまま、二人の前に座った。

「うん。すごく良かった。何か、環の像を藍子の横に並べて奉納した時に、風が、さぁーって吹き抜けていってね、何か二人が出会った気がしたよ!」

 はるが、興奮ぎみに言った。

「そっか。四百年ぶりに会ったんだ。いっぱい話すことあるだろうなァ……」

「一回映画のラストで二人が再会するシーン演じてるから、余計に思い入れとか親近感を感じたよ。藍子、私に似てるしね」

 日高が言った。

「日高ね、わざわざ大学の偉い教授せんせいにね、環の肖像画から、十歳若い姿を再現してもらってね、そこから木像にしてもらったんだよ」

「へー。何でだ? 藍子と十歳差がつくと、見た目の差が出るからか?」

「それもあるけど、体力差とかさ、いろいろ。相手が二十歳なら自分も二十歳くらいの方がいいじゃん、せっかく作るなら。特に女の人はさ」

 関君が淹れてくれた、番茶の入った湯のみを手で包み込みながら、日高は優しく微笑わらった。

「そっか。まあ、とりあえずお前らも安心しただろ。後は映画の公開が楽しみだな」

 社長の言葉に。

 二人は、顔を見合わせて頷いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る