第186話 文字のない台本

「………あれ?」

 朝、目が覚めると、はるの姿が無かった。

「はる?」

 部屋中探したけれど。

 はるは、何処にも居なかった。

 慌ててガウンを羽織って部屋の外に出ると、下のロビーで話し声がした。

 渡り廊下から覗くと、村沢監督と北川、はると関君が、何やら真剣な顔で話し合っていた。

(何だ…)

 ホッとして、しゃがみ込んでいたら。

「何してるの?」

 はるが、階段を上って来た。

「オートロックで部屋、入れない…」

「何してるのー」

 はるは笑った。

 はるがキーを差し込んで、二人で部屋に入ると、

「焦ったよ。朝起きたらはるがいないから。どこからどこまで現実だったのか、一瞬わからなくなっちゃった」

 日高は、ソファに倒れるように座った。

「全部ホントだよ。私も奥プロのままだし、私は家元になったんだよ。日高のおかげでね。日高も如月流の会長だしね」

「……うん」

 安心したように頷いた。

「あ、あとこれ」

 はるが日高に台本を差し出した。

「しばらく読みたくないって言ってたけど…」

「台本?」

 受け取って、パラパラめくって。

「あれ? 何も書いてないよ」

 日高が目を上げて、はるを見た。

「今日、ロケハン行ったら、宿題だって」

「ロケハン? 宿題?」



「わー、きれー」

 関君の運転する車は、舗装されていない田舎道をガタゴトと行く。

「あれ、りんごの木だね」

 はるは、日高とのデートのような一時ひとときが楽しくてたまらないのか、日高が心配するくらい、はしゃいでいて。

「はる、YOSHIMURAでの祥子さんの名代って、どうなってるの?」

 日高が尋ねた。

「ああ、もうとっくに任は解かれちゃった」

 はるは車窓に目をやったまま、そう返答こたえた。

「え、そーなの?」

「日高さん、もう本当に元通りなんですよ。はるさん、正式にオファーを受けて、奥プロの女優さんとして、この映画に出演するんです」

 関君が言った。

(じゃあ、本当に今まで通りに過ごせるんだ…)

 日高は、大きく息をついた。

「………」

 はるが、日高の様子に気づいてゆっくりと振り返った。

「私、もう、どこにも行かないから。ずっとずっと日高のそばにいる。それでね、お仕事や大学が終わったら『ただいまー』って、奥プロに帰るの」

 はるはそう言って、日高の手を握りしめた。

「そうだね」

 日高が頷いた。

「当たり前だと思ってた日常が、かけがえのない事で、すごく幸せなんだって、今回の事で身にしみてわかったよ」

 日高の言葉に。

「うん。東京帰ったら社長に、私、謝るよ。いっぱい心配かけちゃったから」

 はるが言った。

「じゃー、私も謝ろうかなー」

 日高も笑った。

「何で?」

 はるが尋ねたら。

「『私からはるを奪うんだー!』って、社長に大激怒して出て行っちゃったって………」

 関君が言った。

「何それー」

「超イカっちった」

 日高が照れたように笑った。

(何だろう…)

 こんな日高を見るのは久しぶりだった。

(幸せなんだ。日高が言った通り…。こういう毎日が大切で、幸せだったんだ)

 はるは、握っていた手に力を込めた。

「じゃ、二人で謝ろー。いつもみたいに」

「うん、そうだね。『お前たち、ちょっとそこ座れ』って言うね」

「うん、言う、言う」

 はるは日高にもたれかかって言った。


 やがて。

「着きました」

 関君が車を止めた。

『え、ここ⁉︎』

 二人は車から降りると、驚いて見上げた。

「………」

「………」

 そこには……。

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