第185話 幸せの入り口

 -長野県某所ホテル-


「で、はるちゃんの移籍話はどうなったの」

 いつものように、日高の部屋で車座になっていて。

 冬がワインを飲みながら目を上げた。

 日高は、はるにもたれかかって、いつもよりもかなり酒量を重ねていた。

「日高ね、祥子さんの作った書類をね、『本人の意向も聞かず、内容に不備が多すぎます。不承認です』って言って、手で押し戻したの。超カッコ良かったー」

 はるが日高の、もたれかかった背へ手をあてながら、興奮気味に語った。

「いい薬でしょ。姉にはさ」

 北川は、マイ盃に日本酒を注ぎながら、

「私が日高と組んだのはさ、YOSHIMURAを一つにしたかったからなの。叔父はね、外車に乗ったり高価な物を買うこともしない人なんだ。ただ良いものを作って、その売り上げの一部を寄付したりさ。いろいろ苦労してた人だから」

「そうなんだ」

 日高が頷いた。

「あ、心ちゃんも、もう少し飲む?」

 冬が、ワインを上げた。

「あ、じゃあ、少し」

 この日は、心も初参加していたけれど。

「心、驚いたでしょ。日高あれが日本で一番抱きたい女優なんだよ」

 北川が、一升瓶の口の上に盃をカラリと置いた。

「よく言うよ。自分だっていいトコのお嬢様のくせしてさ」

 日高が言った。

「そんなん言ったら、何たってHALちゃんでしょ。如月流の家元なんだから」

「あ…、そうか」

 日高が起き上がった。

「別に普通だよ」

「はるは、みんなの視線を避けるように、少し下を向いたけれど。

「はるちゃんのお父さんは、何をしてる人なの?」

 冬が尋ねた。

「………」

 日高も、じっとはるを見つめた。

「……ピアニスト…」

『ピアニストー!』



 はるに抱えられて、どうにかベッドまで辿り着くと、日高はベッドに倒れるように横になった。

「ねー、大丈夫⁉︎」

「うん。また飲み過ぎちった」

「歩けなくなるまで飲むんだもん」

 はるはベッドのふちに腰掛けた。

「だって…」

 日高は口籠もった。

「何?」

 日高の口元に耳を寄せるように近づいた。

「はるが移籍させられるのは、私の中で離婚するのと同じだって思ってたし。はるもあんなに嫌がっててさ…」

「…日高…」

「青葉師範が私に会長の話をした時、これしかないって思ったんだ。だから過去の総会資料、全部目を通してさ。祥子さんにしては珍しいくらい、詰めが甘い部分も多かったから助かった」

「………」

「何か、安心したらさ……。でも、しばらく台本も読みたくないや」

 そう言うと。

「はる、おいでー」

 って言って。

 両手を広げた。

「日高……。日高ぁ…」

 はるも。

 半分笑って。

 半分泣いて。

 いつものように。

 日高の胸に体を預けていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る