第181話 移籍

 -奥プロ事務所-


「何これ」

「ごめんな」

 社長は項垂うなだれて言った。

「私から、はるを取り上げるんだ」

 目を上げて社長を見つめた、日高の目は、怒りで冷たく鋭く光っていた。

 そこには、

 -HALを如月春花と改名し、新事務所『吉花きっか』への移籍へ向けての仮案事項-

 と、書かれた書類があった。

「仕方ないんだよ。お前にはずっと黙ってたけど、以前お前が台本叩きつけてCM三本飛ばしただろ。お前も少しずつ返済してくれてるけど、あれ、一括で払ってくれたの、祥子さんなんだよ」

「だからって…」

「一応しばらくは、マネジメントは奥プロに任すって言ってくれてるし」

 社長の言葉に、

「そんなん嘘に決まってるじゃん! あの成金に、どんだけ私騙されてると思ってるんだよ! はるを手にした瞬間、奥プロには背をむけるんだよ、アイツ!」

 日高は立ち上がった。

「私絶対、こんなの認めないから! はるが奥プロを出て移籍するっていうのは、私と現世で離婚するってことなんだから!」

「おい、日高、ちょっと待て!」

「関君!」

 社長の制止を振り切って、日高は事務所を出て行ってしまった。

「社長……」

 太一が歩み寄った。

「大失敗だ…」

 力無く、社長は背もたれに頭をのせて、天を仰いだ。


 新幹線の車中。

 日高はまんじりともせず、窓に目を向けたままだった。

(一緒だ。環と藍子の時と。結局別れさせられるんだ)



 -長野県某所-


「はるちゃん、最近出ずっぱりだねー。全部祥子さんとバーターだけど」

 食堂のテレビを見上げて、冬が言った。

 数百年ぶりに出現した幻の流派、如月流家元に日本中が沸いていた。

「外堀り埋め始めてんだよ」

 日高が言った。

「外堀りって?」

 日高の隣に、冬が歩み寄って来て尋ねた。

「祥子さん、はるを移籍させようとしてんだよ」

「え! ウソ!」

「今、新しい事務所作ってる。時間の問題なんだよ。次の如月の総会で発表するつもりなんだ。しかも、他の流派のトップたちも呼んで」

「いいの⁉︎ それで」

「いい訳ないじゃん。でも社長でもどうにも出来ないみたいだし、そもそも私も原因作ってるから」

「…例の、違約金……?」

「………」

 無言で日高は頷いた。

 冬は日高にかける言葉を懸命に探していた。

 でも。

 どうしても見つからなくて。

「日高…」

 そう呟いて。

 この親友の。

 細くて華奢な体を、ただただ抱きしめた。


 この日の夕暮れ。


 撮影所の前に、一台のタクシーが止まった。

「あっ」

 何も前触れもなく現れたのは、はるだった。


 ホテルで日高とはるが二人きりになると。

 はるはこらえきれずに日高にしがみついてきた。

「私、奥プロ辞めたくない! こんな風になるってわからなかったの。ただ家元になりたかっただけなのに……。でも、契約書に書いてあるからって言われて……」

 はるは泣き崩れた。

「……はる」

 日高は、はるを力いっぱい抱きしめた。

「家元になる為の援助をしてくれるからって、契約書を交わして……、よく読まないで結んじゃったの……。日高が心配…心配してくれてたのに…」

「もういいから。大丈夫だから。はる、泣かないで。私が今度は、はるを助けてあげる! 絶対に、助けてあげる!」


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