第174話 雄鶴と雌鶴の舞

 しわぶき一つしない、静けさの中で。


 二人の舞が始まった。

 人生で、たった一度きりの、挑戦だった。

(はる、緊張してるなー)

 一節、二節の舞は、二人の呼吸はぴったりだった。でも、三節目から、十節まで続く羽根つきのように扇を跳ね上げて舞う箇所に差し掛かると、はるのリズムが狂い出した。


(はる、落ち着いて、ゆっくり、ゆっくり)

 心の中で語りかけながら、元のリズムに戻すように、日高は、滞空時間を長めにするように、あえて高く扇を跳ね返した。

(日高、ありがと…)

 落ち着け、落ち着け……、いつも通り、いつも通り……。

 乱れたリズムを、日高が調えてくれた事で、少しずつ、はるも調子が戻ってきた。

 二人で舞う十節と、雄鶴のみが導き出す一節とで完成される舞の。

 十節目まで二人はどうにか舞う事が出来た。

 後は。

 日高からの扇を、低い姿勢のまま、高く遠くに飛ばさねばいけない、最大の難関が待っていた。

 -きた!-

 練習の時より、扇は、はるかに跳ね上げやすい場所へ落ちてきた。

(日高……)

 はるは腰を落として片膝をつけると、その姿のまま、渾身の力を振り絞って扇を天高く跳ね上げた。

 扇は、高く美しく、まるで鶴が大空を渡るように跳ね上がり、飛び立っていった。

(出来た!)

 その扇の舞い上がり方は完璧だった。

 後は、その扇を日高が受けて、これだと思う舞を舞う。

 はずだった。

 が。

 その時。

 -ファサッ-

 日高が、はるの体の上へ、覆いかぶさって来た。

 自分の持っている扇で、はるを隠すようにして。

 日高は、扇を追うことも。

 拾い上げて跳ね上げる事も。

 しなかった。

「………」

 はるは、驚きと動揺で、頭が真っ白になった。


 はるが舞い上げた扇は。

 -カタ…ン-

 虚しく遠く、板敷きの上へ落ちた。


 どれぐらいの刻がすぎたのだろう。



「おめでとうございます」

 青葉師範の声が、鐘のように響き渡った。

 そして、深々と手をついて、一礼した。

「御家元如月春花様。今日よりは、二十一世宗家とおなりあそばします」

「………」

 気がつくと。

 日高も、はるの方に体を向け、手をついていた。

(えっ、えっ)

「あ……ありがとう…ございます…」

 はるも、まだ、夢か、現実うつつかわからない、というような表情で、その場で二人に頭を何度も下げた。



「おめでとう、はる、良かったね」

 帰りは、二人そろって久しぶりに東京のマンションに帰ることになった。

「明日も夕方までに入ればいいって言ってくれたから、久しぶりにマンションでゆっくり出来るね」

「……うん」

 タクシーの中で、二人は対照的だった。

 はるは、口数も少ないまま、まだ放心状態だった。

 でも。

 マンションに一歩。

 足を踏み入れた時だった。

「どうしよう……家元になっちゃった」

 ついに。

 こらえきれなくなったのか、はるが、日高にしがみついて声を上げて泣いた。

「どうしよう、家元に…、私が家元になっちゃった!」

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