第173話 幻の舞

「ねえ、そろそろ大学始まるから、こっから行ったり来たりになるけど、日高大丈夫?」

 舞の稽古が終わった後、いつものようにベッドのふちに腰掛けてはるが尋ねた。

「うん。みんないるしね。食事も用意してくれるし。週末、来れそうな時だけ来なよ。私もちょいちょい仕事で戻るから」

 折り鶴の前に立って、それをしげしげと眺めながら、日高が返答こたえた。

「………」

 と。

 はるが、急に無言になった。

「どしたの?」

 日高が振り返った。

「日高、私が居なくても、もう余裕なんだ」

 怒っているようにも、拗ねているようにも見える、はるの姿が、そこにはあった。

「何? ダダこねてほしいの?」

 苦笑して、日高もはるの横に座った。

「別にいいよ。床にひっくり返って、『はるちゃん行かないでー』ってやってあげても。私が本気でやったら、ホテルの人飛んでくるよ」

「……いい」

 はるが言った。

「でしょ」

 笑って。

 日高は、はるの手を握った。

「どこにいても、私がはるの恋人で、はるの恋人は私だから」

「……うん」

 はるは日高を見つめて、小さく頷いた。

(この人と離れられないのは、私なんだ)

 出会った時のまま。

 いや、それ以上に。

 どうしようもないくらい、大好きなんだ。


「ねえ、日高さ」

「ん?」

「まだ、試験って早いかな」

「家元の?」

「うん」

「…私は大丈夫だけど」

「じゃあ、あと何回か合わせたら受けに行かない?」

「大丈夫? 焦ってない?」

 日高が心配そうに首を傾けた。

「大丈夫。調子のいい間に舞いたいっていうのもあるの」

「……そっか」

 日高は、折り鶴の方へ再び視線を移した。

 移したまま、呟いた。

「私、こんなに人を好きになるなんて、思わなかった」

「えっ」

「はるのこと。昨日も今日も、明日も。ずっと一緒にいたいって思うの。大好きが止まらないの」

 日高が、はるを見た。

「何それ、ちょーずるい」

 はるが、頰を膨らませた。

「私が今、そういうの思ってたのに。先に言われたら、私のが安っぽくなるじゃん」

「そんなの、思ってるだけで言わない方が悪いんだよ」

「何それー」

 言いながら、はるが日高に抱きついていった。

(どうしよう! やっぱり大好きが止まらないっ)




 一週間後。

 二人は、伝統ある如月流の衣装に袖を通していた。

 着替えには、青葉師範の弟子たちが、それぞれの控え室に入り手伝ってくれていたが、はると日高は、試験の場に入るまでは、全く言葉を交わしてはいけない事になっていた。


 やがて、試験を行う広間に、二人は並んで立った。

 人払いをしている為に、青葉師範と、はる、日高の三人しかおらず、やはりどこかただならぬ空気が支配していた。


 三人は、正座したまま、同時に礼をした。

 師範を正面に、左にはる、右に日高が座った。

 如月流の。

 幻の舞が。

 舞われようとしていた。

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