第169話 この子を永遠に幸せにしてほしい

「ダメだ、やっぱり」

 最後の一節。

 何度、はるの跳ね上げた扇を追いかけても、日高には納得のいく舞が続けられなかった。

「でも、ここまでは、舞えるようになったじゃん、日高」

 はるは笑顔で言った。

「うん…」

「焦らないでいこうよ。すごい進歩だよ! ここまで舞えるなんて」

「まあ、そうだね」



 家元になる為の試験で舞えるのは、ただ一度のみのチャンスしかない。けれど、最後の一節だけは、古文書に書いておらず、雄鶴の舞姫が、自分で正解を導き出して舞わねばならなかった。

 チャンスは一度だけ。

 正解であれ不正解であれ、二度と舞う事は出来ない。口外すれば、破門になる。

 代々、見届け役はその家の一子相伝となっていて。

 当代の見届け役、唯一正解を知る青葉師範は、娘か、あるいはこの人は、という舞姫以外の弟子へ伝える事になっていた。



(やっぱり、考えてる)

 ベッドのふちに腰掛けて、日高が視線を落としていた。

 日高の横顔を見ていたら。

 胸の奥が苦しくなった。

「ごめんね……」

 はるは、日高の後ろに回ると、体ごと日高を力いっぱい抱きしめた。

「どしたの?」

「私の為に、ごめんね。明日も撮影なのに」

「……私、まだはるの上でも舞えるよ」

 日高が笑った。

「もうっ、すぐまたそーゆー事言うから」

 はるも笑った。

「手、繋いで寝ていい? このホテル寒い」

「うん」

 日高は頷いた。


 日高と手を繋いだまま、ぴったりと体を日高に寄せて、天井をぼんやり見つめていたはるが、

「日高、起きてる?」

 ふいに、声を発した。

「起きてるよ」

 日高は目を閉じたまま、同じように天井へ顔を向けていた。

「あの舞ね、何であれだけ難しくなったか、わかる?」

 はるは尋ねた。

「何で?」

「親の愛情なんだって」

「愛情?」

「うん」

 はるは暗がりの中、日高の横顔を見つめた。

「夫婦仲が悪い家元が何代か続いてね。それが、本当に口も利かない、目も合わさないくらいの。でね、そういう夫婦になって欲しくないから、どんどん雄鶴の舞を難しくしていったんだって。これほどの舞を舞って、求婚した人なら、家元を大切にしてくれるんじゃないかって」

「雄鶴の舞姫を担って舞う人が、結婚相手だったってこと?」

 日高は、目を開けた。

「うん。昔はね。マメが出来たり…、爪が欠けてしまったり…。そこまでしなきゃ舞えないし完成しない舞にしたの。それで、舞の終わりに雌鶴が遠くまで跳ね上げた扇を雄鶴が全力で拾い上げて舞わなきゃいけなくしたりね……」

「なるほどね。相当愛情が、雌鶴の舞姫になきゃ出来ないことかもね…」

 日高も横を向いた。

 はると目が合った。

「相当愛してなきゃ、やらないね」

 もう一度日高は言って、優しくはるの額に唇を落とした。

「大好き」

 はるはそう言って、日高の胸に抱きついた。

「娘さんを一生大事に、大切にしますっていうのを証明しているんだね」

 日高も、はるを抱きしめた。

 自分の腕の中の恋人は、両親や、祖父母や、たくさんの人たちから愛情を受けて、今ここに居るのだ。そして、この恋人の一生が幸せで豊かで愛に満ちていることを、ずっとずっと願い望んでいるに違いない。


 日高は。

(そういうことだったんだね)

 もう、言葉にはしなかったけれど。

 いつものように、はるの体を撫でさすった。

「あったかい…」

 はるが呟いた。

「いい気持ち……」

 一生。

 この人を幸せにしなければ。

 愛に満ちた人生にしなければ。

 だって。

 はるの幸せを。

 こんなにも願う人々がいるのだから。

 過去も。

 未来も。

 永遠に。

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