第164話 夢も愛も

 -奥プロ事務所-


「えっ、何で⁉︎」

 社長は驚いて、日高の前に座った。

「出たくない。いいの、もう」

 ソファの背もたれの方へ顔を向けて、日高は横になったまま、呟くようにその言葉を繰り返した。

「だってお前、村沢監督と北川先生の合作で撮るんだぞ。お前の夢に一歩、いや、十歩も二十歩も近づくんだぞ」

「いいの。出たくない」

「………」

 その時、立ち上がって、

 -社長-

 太一が無言で首を振った。



「何あいつ。どうしたんだよ」

 日高が関君とラジオの収録の為に事務所を後にすると、入れ替わるように冬が姿を見せていた。

「はるちゃんと離れたくないんでしょ、片時も」

 太一が淹れた紅茶にくちをつけながら、冬が言った。

「え?何で?」

「社長……。はるちゃん二十歳になったんですよ、もう」

 太一が言った。

「え? そうなの? マジ? そうなのか⁉︎」

「はるちゃんの色香にやられちゃってるの」

「マジかよー」

 社長は、頭を抱えて悶絶した。

「でもさ、社長安心して。仕事場ではいつも通り、NGも出さないでちゃんと仕事してるから。むしろすごい気合い入ってるかもね」

「そ、そうか」

「でも奥プロとしては、これを受けてもらわないと困るんだよね」

 太一が冬を見た。

「私、ムリだよ」

「そんな冷たいこと言わないでさぁー」

 社長が哀願するように言った。

「だって、そろそろ手の内読まれてるし。間あければ大丈夫かもしれないけどさ。もちろん仲間だから、現場で助け合いはしてるけど……」

「じゃ、じゃあどうすんだよ」

「さあ」

 冬は紅茶のカップを置いた。

「祥子さんにすがってみたら? はるちゃんのもう一人の恋人みたいなもんなんだし」

「しょ、祥子さんか…」

「リスクはあると思うけどね」

「社長……。背に腹は……」

 太一の言葉に。

「わかった」

 社長は、意を決したように頷いた。



 -バサッ-

 倒れ込むように、日高は、はるから離れた。

 玉のような汗が、日高の背に光っていた。

 肩と胸が上下して、激しく息をついていた。

「風邪…ひいちゃう……」

 かけてあったタオルを手にして、はるが日高の背の汗を拭った。

「ありがと…はるちゃん…」

「うん…」

 はるも、まだ乱れた息づかいの中、それでも日高を気遣うように、優しくタオルを動かしていた。

 そして汗を拭うと、その日高の背を抱くように腕を渡した。

 しばらくして。

「ねえ、日高。私、春休み、YOSHIMURAの裏方でスタッフのお手伝いしようかと思うの」

「……YOSHIMURAの?」

「日高が迷ってる映画、YOSHIMURAが衣装を監修するの。裏方さんを知るのも勉強になるって、祥子さんが言うの。日高が演出に入るのと、少し似てるでしょ…」

「………」

「毎日じゃないけど、時々会えるなら日高だって寂しくないよね…」

「………」

「無理しなくていいよ。本当は、出たくてたまらないんでしょ。私も裏方に回って行くから、一緒に映画撮りに行こうよ…」

 はるの言葉に。

 日高がゆっくり、はるの方へ顔を向けた。

「はる…ありがと……」

 日高は、はるの枕に頰を乗せた。

「夢も…はるとの将来も、手に入れたい。この映画に出たい…。はると一緒に…」

 そう言って。

 日高は、はるに手を伸ばした。

「うん」

 頷いて、はるが日高に上身からだを預けていった。

 この時二人は。

 祥子の言葉を、完全に信じきっていた。

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