第162話 きぬぎぬ

 はるが日高のトーストに、バターを塗っているときだった。

「ねえ、今日YOSHIMURA行くよね?」

 はるの手元を見つめながら、日高が言った。

「うん。打ち合わせがあるって」

 トーストを渡しながら、はるが言った。

「じゃあさ、私の白のコート、はる着て行ってよ」

「え? 日高の?」

「そう。R.YOSHIMURAの。ほとんど同じでしょ、デザイン。でさ、私がはるのを着るから。いい?」

「…まあ、いいけど」

 自分の分のトーストにバターを塗りながら、不思議そうに、はるは頷いた。



 -YOSHIMURA本社-


「あ、はるちゃん、下まで迎えに行けなくてごめんね。今年の夏のTシャツの発注のことで……」

 そう言って、デスクから目を上げた祥子は、はるを見て言葉と動きを止めた。

(えっ)

 祥子の様子に驚きながらも、

「お、お早うございます…」

 一礼して、はるは祥子の前に立った。

「………」

 祥子は手を組むと、その上に顎を乗せ、しばらく無言ではるを見つめていた。

「あ、あの……何か…」

 はるが、たまりかねてそう言うと、

「なるほどねえ……。あの子、本当に私のことライバル視してるのね…」

 呟くように祥子は言った。

「まあ、いいわ。帰ったら日高ちゃんに伝えて。『おめでとう。とりあえず、わかったわ』って」

「あの……」

衣衣きぬぎぬよ」

 祥子は立ち上がると、はるの側に歩み寄り、促すようにはる専用のデスクに座らせた。

「衣衣?」

「昔ね。貴族たちの間で、恋人と初めて結ばれた翌朝、お互いの着物を交換して別れたの。それを衣衣きぬぎぬって言ったんだけど。日高ちゃあの子ん、私に『はると私は結ばれたんだ。はるは私の恋人だ』って言っているのよ。あとはね、デザイナーだ、伝統芸能の保護者だっていって、衣衣これに気づかなかったら、陰で笑うつもりだったのよ、きっと」

 祥子はゆっくり歩を運びながら、そう語った。

「………」

(日、日高…)

 はるは、祥子の言葉に頰を赤らめて下を向いた。

「ま、私もしつこい方だから。今回は退却するけど、諦めたわけじゃないからね」

 そう言って。

 いつものように、肩をすくめて、祥子は微笑った。


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