第159話 祝 はるの二十歳の誕生日

 目を覚ましたら。

 はると、目が合った。

「はる。おはよ」

「おはよ、日高」

「お誕生日、おめでとう」

「ありがとう」

 平日の。

 ありふれた一日。

 でも、ずっとこの日を待っていた。

 はるの、二十歳の誕生日。


 朝食を終えると、日高が横になって情報番組を観ていた。

「私もいい?」

「おいで」

 大げさに両手を広げて、日高が微笑った。

「贅沢だね。何にもしないで一日二人きりで、ゆったりするの」

 日高の胸の中で、はるが言った。

「いいんだよ。明日の午後から、また忙しくなるんだもん」

 はるの髪を撫ぜながら、日高が言った。

「そっか」

 はるも頷いた。



 昼食も終えて、二時も過ぎた頃。

「そろそろ夕食作らないとなー」

 そう言って、本を閉じたら。

 日高がウトウトしていた。

(眠そう…)

 疲れてるんだろうなあ。

 起きようと、ちょっと力を込めているのもわかった。

 でも。

 そのうち眠気が勝って。

 長い睫毛が、はらりと落ちた。

 毛布をかけてあげて。

 キッチンに立った。

(自分の誕生日だけど、日高にも美味しいって言ってもらいたいもんなー)

 いつもより時間をかけて。

 ハンバーグと、グラタンを作って。日高のワイングラスを用意した。

(あ、そっか。私も今日から飲めるのか…)

 もう一個のワイングラスを手に取った。

 どうしようかな。

 でも、止めとこ。

 だって。

「酔わないで、愛し合いたいから」

「わっ」

 はるが驚いて、振り返ると。

 日高が、ソファの背もたれに手をかけて、悪戯っぽく笑っていた。

「もー! びっくりするじゃん。割っちゃうとこだったでしょー」

「ゴメン、ゴメン。でも当たりでしょ」

「………」

「はる、私も今日はワインいいよ。お水でいい」

「うん…」

 またまた茹でダコみたいになって、はるはワイングラスを食器棚にゆっくりと戻した。



「はる、お誕生日おめでとう」

「ありがとう」

 二つのグラスが、かすかに触れてキスをした。

「はるが二十歳かぁー」

 グラタンにフォークを入れながら、日高が言った。

「自分でもびっくりだよ。この間までセーラー服着てたのに」

「だね」

 日高が頷いた。

「……ねえ、日高」

「何?」

「前に聞いた時はぐらかされたけど、私のこといつぐらいから気になってたの?」

 日高は、はるの目を見た。

「聞きたい?」

「うん」

 はるは、ハンバーグを食べながら頷いた。

「鉄工所が傾くまでは、うちもけっこう裕福でさ。近くで如月流の公演があって、観に行ったら子供心に感動して。で、自分も習ってみたくなって、近くの青葉師範せんせいのお教室を見つけて、通わせてもらえることになったの。そしたらさ」

 日高は、ちょっと照れたように微笑わらった。

「時々、泣き虫の女の子がお稽古に来るようになって。で、それがはるだったの」

「………」

「今思えば、初恋みたいなものなのかもしれないけど、まあ、私も十歳くらいだったし、それにはる、その後すぐ辞めちゃったし。だから、本当に好きになったのは、高三の時かな」

「高三? 部活に入った時?」

「ちょっと違う」

 日高は首を振った。

「ある朝教室入ったら、すごい可愛い子が入学したって、男子ガヤたちが写真部の撮った写真見て騒いでたの。でもどうせ盛ってるんだって思って、無視して自分の席座ってたら、『ほら、花村も見てみい』って、写真部の山部に目の前写真出されて」

「それで?」

「はるが桜の下で、桜を見上げてる写真でさ。それを見て……。やられちゃったんだよね。もちろん、それがあの幼い頃の初恋の子の成長した姿だったなんて気づかなかったけど」

「そうだったの⁉︎」

「そ。で、たまたまはるが演劇部に入部して来てくれたから。本物は写真より、さらに可愛かったしね」

 恥ずかしそうに、はるは赤くなった。

「ねー。じゃあ、私のも言っていい?」

「あ、はるのは聞かなくても大丈夫」

「え、何で?」

「私が、はるが落としたノート、廊下で拾ってあげた時でしょ」

「えっ」

「当たり⁉︎」

「う、うん」

(やっぱ…日高この人ってすごいのかも…)

 演劇部に入るか、吹奏楽部に入るか迷っている時だった。廊下でノートを落として、目の前のきれいな先輩が、ノートを拾ってくれたのだ。

「ハイ」

 って。

 それが、日高だった。

 そこで。

 一瞬で恋に落ちた。演劇部に入部して更に落ちた。

 その。

 恋に落ちたあの先輩が、目の前にいた。

 自分の恋人になって。

 日高恋人は言った。

「あ、そうだ。はるは寒がりだからさ、今日は私が先にお風呂に入るね」

 この言葉一言で。

 はるは一気に、恋愛モードの。

 スイッチが入ってしまった。

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