第148話 マリッジブルー(一)

 ベッドの中で。

 日高とのラブシーンを終えた冬が、

「今日、どうしたの? めちゃめちゃ凄かったけど」

 日高を、横抱きにしたままそう言った。

「何それ? 浮気女のセリフみたいじゃん。まだマイク生きてるよ」

 日高は笑った。

「いやー何か、私はラッキーぐらいだけど。またはるちゃんにやきもち焼かれちゃうよ」

「それは困るね」

 日高は、関君からジャケットを受け取って袖を通しながら。

「何か……。いろいろ考える事多くてさ。自分って何だろって思ったらさ。つい、役に入り込んじゃった。痛くなかった?」

「全然。言ったじゃん。ラッキーだったって」

 そう言う冬を、軽く抱きしめて、

「そのうち、飲も」

 そう言って。

 日高は、控え室に戻って行った。

 関君から冬もジャケットを受け取って。

「いい女だよねー、日高って」

 その背を見つめながら、冬が呟いた。

「心も姿も美しいですよね」

 関君が言った。

「余計な事言わないしね」

「そうですね」

 関君も頷いた。

「冬さん、そこから先は、僕も冬さんも語るの止めましょう。はるさんに悪いですし、そのマイク生きてますから」

「だね。私はまだ、一シーンあるもんね」

 冬は立ち上がって。

「大っきい」

 関君をハグすると。

 女優の表情かおに戻って、ちょっと微笑わらった。

 でも。

 冬は、次のセットに行きかけて戻って来ると、関君の大きな手の平に指で文字を書いた。

 -日高ね、マリッジブルーなんだって-


 そう。

 日高は、マリッジブルーど真ん中だった。

 しかも。

 普通は相手に対して思うのだろうけど。

 日高の場合は、

 -はるの相手が、日高こんなのでいいのか-

 という、自分への深い悩みの底にいた。




 -バリンッ-

「あ、ゴメン」

「いいよ、日高は動かないで」

 はるが、日高を制した。

「陶器だから大丈夫だけど、いじらないで」

 素早く破片を拾い上げて、床やソファ周りに掃除機をかけてゆく。

 その間日高はソファの上で正座していた。

「うん、もう大丈夫。でも、気に入ってた愛用の湯のみだったのにね」

 はるは、雑巾で汚れた絨毯を拭きながら目を上げた。

「今度、買いに行く? 同じのあるかな?」

「あれ、ファンの子にもらったやつなの」

「あ、そうなんだー。じゃあ、ちょっと探せないかもね」

「………」

 はるは、立ち上がって。

 来客用の湯のみに、お茶を淹れて。

「はい。しばらくはこれで我慢して」

 磁器で出来た、白い幅広の湯のみを日高の前に置いた。

「………」

 日高は、じっと湯のみを見つめていた。

(お芝居はあんなにちゃんと出来るのに。現場では自分らしくいられるのに。どうして家に帰ると上手く出来ないんだろう。どうしてはるに迷惑ばっかりかけちゃうんだろう)

 そんなことを思っていたら。

「ごめんね。気に入らないよね」

「えっ」

 はるが日高を見つめていた。

「でも、今うちにはこれしかないの」

 はるは、日高の横顔を見て。

(すっごい困ってる)

 日高が困惑していると思っていた。

 でも。

(何か言うと、私に申し訳ないって思ってるんだろうな)

「ごめんね」

 もう一度、日高に謝った。

「どうして、はるが謝るの?」

「えっ?」

 今度は、はるが驚いた。

「謝らなきゃいけないのは私じゃん。ファンの子からもらったのを割っちゃって。しかも、はるに片付けてもらっちゃってさ」

「………」

 少し、イライラしたように、日高はそう言ってしばらく沈黙した。


 そして。

 立ち上がると、ジャケットに手をかけた。

「どこ行くの?」

「タツコさんとこで飲んでくる」

 足早に、日高は玄関に行きかけた。

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