第103話 お願い

 数日後。


 -奥プロ事務所-


「お早うございます」

 日高が入って来ると、

「あ、日高、ちょっとそこ座って」

 デスクから社長が顔を覗かせた。

「え、何?」

 日高がソファに座ると、社長も日高の前に座った。

「はるにも伝えたんだけど、追加公演が決まってさ。で、北川先生から、お前に演出に入ってもらいたいって、直接俺んとこ、電話来たんだよ」

「演出?」

「ああ。少し作品変えたいみたいでさ。日高は初回から出てたし、ほとんどの演者のセリフ入ってるだろ。アドバイザーとして側についててほしいって言うんだよ。午前中だけでいいからって。どうかな」

「そうなんだ。うん、じゃあやるよ」

「お、いいのか」

「うん。勉強にもなるから」

「そっか。あ、それと、追加公演、冬も入るから」

「えっ、冬出るの? そうなんだ」

 日高の表情がぱっと明るくなった。

 日高が、冬たちを庇って、スタッフと対立する騒動があって以来、日高と冬は無二の親友となっていた。

(そっかぁ)

 もう一度。

 日高は心の中で呟いていた。


 -A劇場-


 少し手直しをして、通し稽古を終えた後、長机に北川と日高が並んで座り、北川は、

「ねえ、あれ、日高どう思う?」

 と、時々日高に意見を求めていた。

「ああ、あれは、元の動きに戻した方がいい…」

 日高の目には、新、旧全ての動きやセリフが入っているようだった。

 やがて、

「ねー、HALちゃんのキスするとこ、入れた方がいいよね」

 北川が、はると草馬とのキスシーンを入れるかの確認をしたときも。

「………まあ」

 言葉を濁しながらも。

 やはり作品の完成度に対する妥協はしなかった。


 やがて、二度目の通し稽古が終わった時だった。

「じゃ、先生。私、ここで」

 立ち上がった日高の耳に入って来たのは、はると草馬の会話だった。

「HALちゃん、この間、おにぎりありがとうね。超美味しかったよ」

「じゃあ、良かったです」

「ねー、最後にもう一こだけ、お願いがあるんだー」

「何ですか?」

「HALちゃんの作ったチョコレート食べてみたい」

「チョコレート?」

「そう、お願い。ねっ」

「でも私、あんまりお菓子作り上手じゃないからなぁー。前も失敗しちゃったし」

「お願い! だって、もうこれでこの公演も終わっちゃうんだもん。ねっお願い」

 草馬は、はるに手を合わせた。

「…じゃあ、わかりました」

 はるが承諾したときだった。

「わー、ありがとう、HALちゃん」

 そう言って。

 草馬は、はるを抱きしめた。

「……!」

 はるは、はっとして、日高の方に目をやった。

 そこには。

 何の表情も持たない、怒りすらも通り越した、日高の姿があった。



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