第4話 王白羽《おうはくう》

「御免ください。」

 これで三度目だった。先ほどから、門を叩いて声をかけているが、誰も出てくる気配がない。もう一度呼びかけても応えがなかったので、ためらいながらも扉を押してみた。


 扉は、すんなりと開いた。中を見て玖晶は愕然がくぜんとした。

 庭はすっかり荒れ果て、茫々と草が生い茂っていた。正面の母屋おもやの扉は開いたまま、かしいで外れかけており、その中をちらちらと鼠らしきものが走り回っているのが見えた。もう、ずっと長いこと人が住んでいる様子がない。家を間違えたのだろうか。届け先は確かにここの筈なんだけれど。玖晶は手許の紙を確認した。ひとまず、周囲の家に訊ねてみることにした。


 この一帯は周りも同じような空き家だらけだった。何軒か戸を叩き続けて、ようやく中から人の声がした。

「誰だい?」

 玖晶は訊ねた。

「すみません、ここは蝋梅街ろうばいがいですか?」

「そうだよ。」

「馬さんのお宅を知りませんか?」

「馬さん?馬の爺さんのことかい?あの人ならとっくに亡くなったよ。娘さん夫婦も越してしまったから、もうあそこには誰も住んでないよ。」

「他に馬さんというお宅は?」

「ないね。」

 どうやら、誰かにまんまと担がれたらしい。狐につままれような気分だった。でも、何のために?


 とにかく、ここに長居は無用だ。玖晶が今来た道を戻ろうとした時、ぎゃっ、と悲鳴が聞こえた。


 どこだろう?

 辺りをきょろきょろと見回していると、もう一度、悲鳴が聞こえた。

 玖晶は声のした方に向かった。行ってみると、一軒の家の門が開いていた。こちらも草茫々の空き家で、中で子どもとへびにらみ合いをしているのが目に入った。蛇は、しゅうしゅうと音を立て、鎌首かまくびをもたげて、威嚇いかくし、子どもの方は怯えて固まっていた。


 玖晶は足下の小石を何個か拾い、蛇の近くの小さなくさむらめがけて、間髪かんぱつを入れずに投げ入れた。がさがさと草の揺れる音に蛇の注意がれた。鼠がいるとでも思ったものか、蛇はそちらに行ってしまった。


「こっちだよ。」

 玖晶は小さく声をかけると、来るようにと手招きをした。子どもは、言われた通り走ってきた。

「大丈夫?」

 尋ねると子どもはこくりとうなずいた。

「家はどこだい?送ってあげるよ。」

「あっち。」

 子どもは指さすと、すたすた歩き始めた。


 弱ったな、と玖晶は思った。これでは、帰るのが、ますます遅れてしまう。かと言って、放って置く訳にもいかない。この間は途中まで乗せて貰えたから良かったものの、今日は歩きで来たから、余計時間がかかるだろう。この間?


 ふと、玖晶は思い出した。

 そう言えば三日前、釵を届けに来たのは、この近くだったような。


 子どもは入り組んだ路地を、ぐんぐんと進んで行った。思ったより足が速く、うっかりすると見失いそうだ。玖晶は手を繋ごうとしたが嫌がられたので、仕方なくその後を追うしかなかった。


 やがて子どもは、自分の家とおぼしき所で足を止めた。

「ただいま。」

「お帰り、あら、その方は?」

 中から、女が顔を出した。おそらく、この子の母親だろう。中年に差し掛かろうという頃の、穏やかな顔立ちの、ふくよかな女だった。あらましを伝えると、母親は礼を言い、中で一休みし、お茶でも飲んで行くようにと言った。


「あの、いえお構いなく。」

 その場を早々に立ち去ろうと、一歩後ずさった際、視界の片隅にちらりと人影が映った。誰かに後をつけられている。

「で、では、お言葉に甘えて……」

 玖晶はすかさず、滑り込むように門の中に入ると、素早く扉を閉めた。


「ありがとうございます。助かりました。」

 礼を言って振り向くと、子どもも母親も居なくなっていた。中に引っ込んでしまったのだろうか。


 見回すと、正面向こう側に、見覚えのある屋根が見えた。

 あれは、玖晶は目を見開いた。かんざしを届けに行ったところだ。ここは丁度、真裏にあたるようだった。


 いやな予感がした。早くここを出なければ。

 かと言って今入った門から出れば、後をつけてきた者と鉢合わせになりかねない。院子いんし(中庭)を突っ切って反対側に出口を探すことにした。その方がいいだろう。


 院子に足を踏み入れた途端、玖晶はぴたりと立ち止まった。足元からどろどろとした黒い瘴気を感じる。不意に、ねっとりと甘く生臭い香りが漂ってきて、酷く気分が悪くなった。


 池の脇に植えられた楓の下に人がたたずんでいるのが見えた。あの釵の女だった。

「あら、こんにちは。」

 女は玖晶の顔を見るといつかと同じようにあでやかに笑った。

「またお会いできて嬉しいわ。」


 こちらは少しも嬉しくなんかない。玖晶は不機嫌な顔になった。 

「悪いけど、あんたに付き合っている暇はない。俺は今忙しいんだ。遊び相手なら、他を探してくれ。」

 王白羽の件もあると言うのに、話をややこしくしないでくれ。

「あら、あなたになくても私にはあるのよ。つれない方ね。」

 女は言った。


「無駄よ。外には出られないわ。」

 背後からぬるりと近づいて来る気配に、玖晶は扉から飛び退いた。再び院子いんし(=中庭)の方へと走る。まずい、これではどんどん奥へと誘い込まれてしまう。


「おや、お取り込み中だったかな。これは失礼。」

 頭上からいきなり、場違いな明るい声が響き、すとん、と上から誰かが脇に飛び降りて来た。その顔を見て玖晶はげんなりした。一番遭いたくない人物だ。王白羽だった。


「あんた、何でここに?」

「何でって、今日が約束の三日目だろう。君の後を追って来たに決まってるじゃないか。」

「ようやく居所を突き止めたって訳か?」

「いや、翌日にはわかっていたよ。」

「翌日って、どうやって?」

 玖晶が尋ねると、言われた方は、そんなことも分からないのか、と言う顔をした。

「人を使ったに決まっているだろう。私がわざわざ自分の足で探し回るとでも思っていたのか?馬鹿じゃあるまいし。」

 そして、くるりと蛇女の方を向いた。

「では、お邪魔するは気はありませんので、後は煮るなり焼くなりお好きなように。こちらも手間が省けて助かる。ありがとう。」


 一閃、蛇の尾が声の主めがけて飛んできた。

「あれ、何で?」

 その一撃をひらりとかわすと、王白羽は驚いて大蛇を見た。


 今度は玖晶が呆れた。

「あんたねぇ、美味おいしそうな獲物えものがもう一匹飛び込んで来たんだ。あちらにしてみたら、逃がす手はないだろう。」

「何だって?とんだ迷惑な話だな。どうしてくれるんだ?」


 どうしてくれるも何も、あんたの方が迷惑千万だよ、と思ったが、玖晶は口には出さなかった。そんなこと言っている場合ではない。玖晶は辺りを見回した。

 とにかく蛇が嫌がるものが何かこの辺にないものだろうか?そう、蛇の天敵とか。


蜈蚣むかでだよ。」

 思わぬ返答があった。隣の王白羽からだった。どうやら口に出して呟いていたらしい。

「蜈蚣って、何でまた?」

「さあ、そんな言い伝えがあるらしい。耳にしたことがある。まあ、真実かどうかは定かではないけれどね。」


 蜈蚣ねぇ。玖晶はその辺の石を拾い上げてひっくり返してみた。蜈蚣など一匹も居なかった。やはりそうそう都合良く見つかる訳か……


「蜈蚣なら、ここにあるぞ、そら」

 王白羽が懐から巾着を取り出して放って寄越した。

「薬舗で買ったものだよ。」

 中には蜈蚣の干したものが数匹入っていた。


 蜈蚣むかでだって、あいつは何でこんなもの持っているんだ?

 玖晶は、はたと思い当たった。まさか、門前に置いたのは、もしかして……

「あれ、あんただったのか。何でまた?」

「まあ、警告みたいなものだよ。まさか、気づいてないとは思わなかった。違うものにした方が良かったかな。でも、あれは、捕まえるのが面倒だし、かさばるし、汚れるからなぁ。」


 てっきり誰かの悪戯いたずらとばかり思っていた。まあいい、取り敢えず、こいつらを使おう。


 玖晶は巾着をひっくり返して、蜈蚣を地面にいた。

「あら、もう逃げないの?」

 背中越しに声がした。大蛇がいつの間にか後ろに忍び寄っていた。


「一つ、訊きたいのだけれど」

 玖晶は言った。

「あんたに、あの釵を贈った男はどうなった?」

「やだ。分かってるでしょう。」

 大蛇は喉からしゅうしゅうと音を立てた。

「他の方たちと一緒に、そこら辺の土塊つちくれの中に混ざっている筈よ。惜しかったわ。もう少し生かしておいて、いろいろと贈り物を頂いてから、と思っていたのに。でも、正体がばれてしまったから、仕方なかったのよ。」


 そうか、と言うと、玖晶は右手で土を一掴みした。にぎった拳の指の隙間から灰色の煙が漂い出た。


 それが呼び水となったかのように、周りの地面から、黒いもやのようなものが湧き上がり、玖晶の手に向かい集まって来た。玖晶はそっと蜈蚣の上に土をかけた。一緒に黒い靄も、ぐるぐると渦を巻き蜈蚣を包み込むと、吸い込まれて行った。


「ほら、どうする?お前たちの仇があそこにいるぞ。」

 玖晶は大蛇を指した。干からびていた筈の蜈蚣が一匹、足をひくひくと動かし始めた。続いて、他の蜈蚣たちも、もぞもぞうごめき出した。


どこに潜んでいたものか、蜈蚣の群れが地面のあちらこちらから湧き出るように這いだして来た。それらは、夥しい数となり、大蛇をぐるりと取り巻くと、這い寄って行った。


「何なの、これは。」

 大蛇の体の上の女の首が金切り声をあげた。

「来ないで。来るな!」

 近づく蜈蚣を尾を打ち振って払いのけようとしたが、払っても払っても、蜈蚣たちは次から次へと押し寄せた。やがて、大蛇の身に取り付き、ぞろぞろと、その身を登って、かじりつき、かりかりと音を立てた。


 凄まじい咆哮が上がった。大蛇は蜈蚣を振り落とそうと、地面の上をごろごろと転がった。周りの塀や木、岩に激しく何度も体を叩きつけたが、どうにもならなかった。


 果ては池に飛び込んだ。しばらく泳ぎ回り、ぶくぶくと水の中に沈んだ後、上がって来て、力なくのた打ち、動かなくなった。


 玖晶と王白羽は暴れる大蛇を避けて、ずっと物陰に身を隠していた。


 静かになったのを見計らって、蛇の死骸に近づいてみると、大蛇だったものの体はかなり縮んで、普通の蛇とほぼ変わらなくなっていた。傍らには数匹の蜈蚣の残骸と、芍薬の釵が転がっていた。


 気がつくと、他の蜈蚣たちは居なくなっていた。巣に帰ってしまったのか、或いは、はなから蜈蚣は最初の数匹だけが本物で、後は幻だったのか、それはわからなかった。


「牡丹と芍薬って一体どこが違うんだ?」

 玖晶は誰に尋ねるともなく言った。

「牡丹が木で、芍薬は草だよ。」

 王白羽が答えた。

「葉の形も違う。他にもあるけれど、それが何か?」

「いや。この先、知っておいたら何かの役に立つかな、と。」


 これで、この一件は終わりだ、と玖晶が思っていると、王白羽が意外なことを言い出した。

「この先ねぇ?そんなものがあればいいけどね。」





 






 

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