第3話 捉鬼《おにごっこ》
朝になった。昨日、あんなことがあったというのに気がついたら、ぐっすり眠っていた。我ながらいい度胸だ。それとも、あれは夢だったのだろうか。
ぼんやり歩いていると、道の角で会いたくもない人物と出くわした。昨夜の男だった。
「見つけた。さて、どうしたものかな。」
「あんた、王白羽だろう。」
薄笑いを浮かべる相手に、当てずっぽうで言ってみると、驚いた顔をされた。
「お前、どうして私のことを知っているんだ?」
「どうしてって、こっちは全てお見通しなんだよ。」
叫ぶなり、玖晶は、一目散に反対方向へ駆け出した。丁度向こう側から、腕っぷしの強そうな男たちがやって来た。こちらを指して何やら喚いている。おそらく、昨日女主人が話していた連中に違いない。
「ちょうど良かった、助けてくれ。」
玖晶は男たちに駆け寄った。後ろを振り返って王白羽を指さす。
「あんたたちの捜している男はそこだ。あそこにいる。」
意外なことに、彼らは素早く玖晶の周りを取り囲んだ。玖晶は肩を掴まれ、そのまま地面に押さえつけられた。
「何するんだ。違うだろ、王白羽はあっちだよ。」
「いや」
と、玖晶を取り押さえた男は言った。
「俺たちが捜していたのはあんただよ。
顔をあげると、そこにいたのは、先ほどの男たちではなく、灰色の長袍をまとった一団だった。彼らは相変わらず、意地の悪い表情で玖晶を見ていた。
そして目が醒めた。
ああ、夢か、良かった。
玖晶は安堵した。ほどなく外から食事に呼ぶ声がかかった。朝食の粥を食べながら、塾長と夫人に、昨日の一件を話してみようか、とも考えて、やはり駄目だと思い止まった。
きっと、出ていってくれ、と言われるに違いない。黙っていることにした。
午前中は、いつも通り塾の手伝いをして滞りなく過ごすことができた。が、昼食の後、夫人から使いを頼まれた。
「泉さん、取りに言って貰いたいものがあるのだけど……」
夢と同じく、紙と墨だった。
まさか正夢ではないだろうな。玖晶は胸騒ぎを覚えた。
使いに出されて帰るまでの間、落ち着かず辺りを見回してばかりいた。角から、あいつが顔を出すのではないか、と警戒し、いちいち前後ろを確認してから進み、通りに出ては絶えず左右に目を動かし気を配り、の繰り返しだった。当人に出くわすことはなかったが、
幸い、往路も復路も何事もなかった。考えて見れば、昨日の今日だ。こんなに早々居所を突き止められる訳もない。まだ多少は時間がかかる筈だ。
帰り道、
一番良いのは、早々にここを引き払ってどこかに逃げてしまうことだろう。しかし、それはあんまりだと思った。ようやく何とか落ち着いて暮らせる場所を見つけたというのに、簡単にそれを手放すのは、納得が行かない。他に打つ手はないものだろうか。
あれこれ物思いにふけっていたせいで、人とすれ違いざまに危うくぶつかりそうになった。子どもだった。何とかよけたものの、相手は弾みでよろけて手にしていた
「ごめん、悪かった。」
玖晶は謝って虫籠を拾い上げた。幸い中の
無事、塾に帰り着くと、だんだん腹が立ってきた。大体、何で俺が怯えてこそこそと逃げ回らなければならないんだ?悪いのはあっちじゃないか。何とか一矢報いる、とは言わないまでも小石でいいから投げつけてやりたいものだ。いや、小石では足りない、出来ることなら、懲らしめてやりたい。
ふと、朝方に見た夢が頭に浮かんだ。あの終わり方はさておき、王白羽を追っているという男たち、彼らは頼りになるかも知れない。探し出して事情を話して、あいつを捕らえさせる。本人であれば万々歳。違っていたとしても何とか拘束させて、残り時間をやり過ごせば大丈夫な筈だ、多分。
よし、決まりだ。そうとなったらぐずぐずしている場合じゃない。彼らと会う必要がある。嘉寶來の女主人なら何か知っているかも知れない。
その後の時間は手が空いていたので、店に顔を出すことにした。
嘉寶來に着くと、女主人がいつものように声をかけてきた。
「おや泉さん。残念だけど、今日は別段用事はないよ。」
「おかみさん、昨日店に、人を捜してる連中が来たって言ってましたよね。」
女主人は怪訝そうに玖晶を見た。
「ああ、そう言えばそんな話をしたっけね。確か……」
「王白羽って男のことです。俺そいつに昨日会いました。その人たちの居場所わかりますか?」
「そう言われてもねぇ。あれっきり見ないし。どこに居るんだか。」
「すみませんが、知り合いの方にも声かけていただけませんか?もし見かけたら、知らせてください。俺、明日また来ます。」
後はこの界隈の他の店にも声をかけておくか、そう考えながら店から一歩踏み出した途端、玖晶の足元に何かが落ちているのに気づいた。
丁度良い口実が出来たので、そのまま薬舗に入って行った。薬舗の主人は蜈蚣を見ると首を傾げて、こちらに覚えはないが、少し前に干した蜈蚣を買って行った客がいたので、その客が落としたものかも知れない、と言った。
玖晶は王白羽の件を主に伝えた。その後、付近の何軒かを回って同じことを頼むと、戻ることにした。ひとまず、手は打った。今日のところは帰って大人しくしていよう。
少し気が落ち着いたのか、その晩は良く眠れた。妙な夢を見ることもなかった。
※※※※※※※※
次の朝、教室に顔を出すと、泉先生、と声をかけられた。昨日の子どもだった。先生と呼ばれるのは、どうも居心地が悪い。自分はそんなに大した者ではないのに、といつも思ってしまう。
「昨日はすみませんでした。」
謝られて、尚更こそばゆくなった。そもそも悪かったのはこちらの方だ。
この子は確か、親が病気になって、ここ数日思い詰めた顔で、沈み込んでいたのではなかったか、と玖晶は思い出した。それが今日は何だか、晴れやかな顔をしている。不思議に思っていると、こちらの考えを察したものか相手は
「父が、医者に診て貰えたんです。良い薬もいただけて、しばらく
「それは良かったね。」
「ええ、おかげでここも辞めなくて済みそうです。ありがとうございました。」
ありがとう、と言われても別に礼を言われる筋合いもないのに。確かに多少は気になっていたけれど、心底案じていた風にでも、見えていたのだろうか?
玖晶は首を傾げたくなったが、相手があまりにも嬉しそうなものだから、合わせて
「ところで、前から聞きたかったんですけど」
ふと、子どもが玖晶の左袖に視線を向けて言った。
「それ、何ですか?」
「ああ、これのこと?」
玖晶が袖先を少し上にずらすと、黒水晶と水晶を連ねた腕輪が現れた。黒水晶やの上には金色の文字と紋様が刻まれていた。
「みんな、言ってましたよ。何でそんなもの付けてるんだろうって。」
「まあ形見というか、お守りというか、そんなものだよ。」
「お守り?」
母が身につけていたものだった。
「あまり御利益はないみたいだけどね。」
むしろ、厄介ごとに巻き込まれてばかりいる気がする。これが災厄を招いているという訳でもないだろうが。
「そんなことないですよ、きっと、そのうちいいことがありますよ。」
玖晶は苦笑した。何だか
「泉さん、ちょっと来てくれないかしら。」
教室の外から、夫人が手招きをしているのが目に入った。
「門前に虫の死骸があるの。気持ち悪いったら、ありゃしない。子どもたちが帰る前に片付けておいてほしいのだけれど。」
行ってみると、十数匹の
玖晶は箒で集めると、庭の隅に穴を掘って埋めた。一体、誰がやったのだろう?子どもたちの誰かか、はたまた単に通りすがりの人間の仕業か。こんな
それにしても、昨日といい、今日といい何でこうも蜈蚣と縁があるのだか。
翌朝、また門前に
夫人の言いつけで、玖晶は朝食前に片付けることになった。まったく、余計な手間をかけさせて、と何処の誰とも知らない相手に、ぶつぶつと文句を言った。塾にやっかみや恨みでもあるのだろうか?
こんな小さな私塾をやっかむ者がいるとも思えない。塾長も夫人も聖人とまでは言わないが、恨みを買うような人たちではない。やはり、ただの悪戯だろう。結局、そう結論づけて、玖晶は中へ戻った。
今日が約束(した覚えはないが)の三日目だった。昨日は、なるべく外には出なかったし、出る時はできる限り、周囲に目を配っていた。
嘉寶來に着くと、女主人は
「泉さん、待たせてごめんね。」
ようやく客が帰って、女主人が玖晶の所へやって来た。彼女は、玖晶が南瓜の種を殻ごと食べているのを見て、一瞬たじろいだが気を取り直して話始めた。馴染み客の知り合いが通う
「来るのは、いつも夕刻くらいだって話だよ。」
夕刻か、大丈夫だろうか。でも、まあ今更後には退けないし。取り敢えず、その店に行って彼らが来るまで待たせて貰うとしよう。玖晶が店の名を訊いて向かおうとすると、女主人が引き止めた。
「そうそう、
嘉寶來の女主人に言われた通り、隣りの薬舗に行くと、主人から薬を届けて欲しいと言われた。
届けものか。玖晶は眉をしかめた。できれば、今日はあまり外を動き回りたくない。かといって、無碍に断れば、今後仕事を貰えなくなるかもしれない。どうしたものかと、一寸迷って、結局引き受けることにした。
途中、件の酒肆に寄って行くことにした。店の主に、これから
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