漆の怪【ひとはしらのかみさま】

其の一「心とは何処にあるのでしょうか?」

 ◇

 ――忘れないで。

 ◇


 駅から駅へ移動し、俺達は山を登るバスへと乗った。

 バス内ではおやつにと用意したお菓子を広げて、親交を深めるように雑談をする。


「……お兄さん、やっぱり料理上手いよね」


 隣に座っている紅子さんが、エクレアを幸せそうに頬張りながら言う。

 神内を無理矢理付き合わせて一生懸命作った甲斐がある。これだけ嬉しいことはないな。

 あとなんか……いや、女の子が口いっぱいにスイーツを頬張って食べる姿って癒されるよな。視線に困りつつ、俺も自作クッキーを摘む。

 すると、紅子さんの言葉を聞きつけたらしいアリシアが、前の席からひょっこりと顔を出して興奮気味に口を開く。


「ええ、意外な特技でした。下土井さんってなんか不良っぽいですし。あ、でもそういう人が意外とオトメンだったりしてギャップ萌えーなんですかね? 乙女ゲームの王道パターンです」

「あー、いるよね。そういうキャラクター。見た目は怖いけど実は優しいとか、ど近眼だっただけとか……」


 アリシアの隣に座っている透さんが相槌を打つ。

 真面目な委員長みたいな雰囲気なのにそんなことまで知っているのか。とことんイメージを裏切ってくる人だな……古矢ふるやとおるさん。

 別にそれが悪いってわけじゃないが、意外なものは意外だ。


「後者のはちょっと分かりませんが、ありますね。現実の下土井さんはただのヘタレですけれど」

「一言余計だよ!」


 思わず声をあげた。


「ふふ、みんな思うことは同じだね」

「ま、まさか透さんも!?」

「んー、俺はまだ令一くんのことよく知らないし……でも誠実な子なんだなっていうのは分かるよ」

「と、透さん……」


 そんなことを言われたのは初めてだった。

 やっぱり同性の友達がいるのっていいな。いくら口で負け越していても、俺を肯定してくれる人がいるってだけでなんか頑張れるし。


「うーん、秘湯があるのは確かみたいだよ。4月だから桜も咲いてるだろうね。景色も良さそう」

「ん、透さん。なに見てるんだ?」

「パンフレットだよ。なかなか見つからなかったけど、紅子さんから連絡があったその日に探しておいたんだ。ほら」


 前の席から差し出されたパンフレットを手に取り、広げる。

 紅子さんもエクレアを食べ終わったのか、手をウェットティッシュで拭きながら、俺の肩に寄りかかるようにして覗き込んできた。

 わざとだな、この人はもう。


「ふうん、随分とまあ……子供っぽいパンフレットだねぇ。企画を通したちゃんとしたやつじゃなくて、この分だと個人で制作したパンフレットなんじゃないかな」


 文字のフォントも、イラストも、見出しも、なにもかも見やすさが皆無なパンフレットを読みながら彼女が言う。多分、公式のものじゃないんだろうな。

 むしろそれを手に入れてきた透さんがすごいのか。


「あ、でもこのキャッチコピーだけは真剣そのものじゃないですか? ほら、この〝心の在り処を知れる場所〟って文句です」

「景色には自信があるようだし、心が洗われるような場所なんだろうねぇ。まあ、アタシの場合は魂が洗われる……っていうのかな」


 どっちもそんなに変わらないだろ。

 いい景色を見れば自然と心が豊かになるからな。


「あー、でも心が洗われるような景色は見れないかもですね」

「どうした? アリシアちゃん」


 俺が声をかけると、窓の外を見ていたアリシアは「気づかないんですか?」と呟き、バスの行く先を指差す。


「霧が出てきちゃいました」

「本当だ。盆地にでもなってるのかな」


 透さんが地図を眺めるものの、事実行く先に霧が広がっている。

 細い山道を走っているのに、果たしてこのバスは大丈夫なのかと心配になってくる。


 ガタガタ、ガタン。


 道が悪いのだろう。車酔いするような人にとっては地獄とも言える車内で、俺達は自然とバスの行く先へと目を凝らす。


「えー、本日はご乗車ありがとうございます。えー、まもなく〝神中じんちゅう村〟付近へ到着します。停車までシートベルトを外さないようにしてください。本日の案内はこの青雉あおきじが務めました。お疲れ様です」


 バス内にいるのは勿論、俺達だけである。辺境の村にやってくる人なんて滅多にいないということだろう。このバスだって、本来は山を越えた先の温泉地へと向かう線なのだから。

 俺達に向けて運転手さんがマイクをオンにしてアナウンスする。

 しかし、霧がどんどん濃くなっていっているが大丈夫なのか? 


「えー、霧が非常に濃くなってきたため、バスごと村内へ一旦避難いたします。ご了承ください」


 ああ、やっぱり。

 納得しかなかった。


「お、見てよ令一くん。あれあれ」


 透さんが指差す方向を見れば、なにか小さな木の板の看板があった。

 目を凝らす。しかし、バス内から霧の中を、それも遠くを見るのはさすがに無理があったようでなにが書いてあるかは分からない。


「紅子さん、あれ見えるか?」

「え? ああ……ただ村の名前が書いてあるだけだよ。うーん、なにか、上から書き直した後みたいになってるのは分かるんだけど……それ以上はちょっと分からないかな」


 怪異の紅子さんでも、さすがにそこまでは分からないか。

 霧の中を見通すことなんて普通はできないからな。なにが書いてあるか分かっただけ十分すごい。


「わっ、洞窟ですか……?」


 気がつけば、前方の壁に穴が広がっていた。

 洞窟というにはあまりにも短く、まるでゲートのように開いたその穴をバスは潜っていく。


「お、あんなところに注連縄しめなわ


 透さんが呟いたときには、既に短い洞窟を通りすぎるところだった。


「注連縄? どこにあったんだ?」

「洞窟の入り口だよ。かなり太い注連縄が上のほうにぶら下がってたんだ」

「オカルトの匂いですね」


 村の入り口に注連縄ね。普通なら変わってるとか、信心深いんじゃないかとか、そんなことしか思わないだろうが……あいにく俺達はなにかオカルト的なことが起こると確信してここ訪れている。

 それを加味すれば、村の入り口みたいなところに存在する注連縄なんて、怪しいことこの上ない。覚えておこう。


「………………」

「どうした? 紅子さん」

「いいや、なんでもないよ……」


 ぶるりと、体を震わすように紅子さんは自身の腕で体を抱き込んでいる。

 洞窟を抜けたからかほんの少しだけ肌寒くなってきているし、体温の低い彼女には辛いのかもしれない。


「もう、なんでもないって言ってるのに」


 上着を脱いで彼女の膝に被せる。

 紅子さんは少しだけ不満そうに言っていたが、最終的には上着をしっかりと掴んで俯く。怪異とはいえ、一応生身なんだ。冷やしてしまったら風邪をひくかもしれない。

 ……いや、怪異が風邪をひくかどうかは知らないけれど。念のため。



「……心の在り処なんて、誰も分からないものだよ」

「紅子さん?」

「ああ、なんでもない。ねえ、赤いちゃんちゃんこはいかが?」

「いらないよ。どうしたんだ? 脈絡もなく」

「ううん、なんでもないよ。本当に。たまになんでもないときに言えばYESって言ってくれるかなって思っただけ」

「肯定しても危害は加えないのに?」

「怪異にとっては噂のプロセスを踏むことこそが大事なんだよ。噂の段階さえ踏まなければ人間にとっても問題なく終わる。それだけのこと」


 紅子さんは人を殺さないために一工夫しているからか、もしくは自分が生きるために必要だからか、そういうことにも詳しいな。自分自身のことだからだろうか。


「あと、4日ね」

「あれ、そんなに泊まるっけ?」

「ああ、うん。怪異調査なんだから、長引けばそのくらいいる必要があるかもね」

「温泉もあるみたいですし、ちょっとくらいは長居したいです。でも一週間とかになると大変ですから、あたしは三日くらいがベストですね」


 ちゃっかりアリシアが自分の希望を言う。

 俺としては邪神野郎から離れられて、紅子さんといられるなら何日でも問題ないのだが……透さんは仕事もあることだし、本当は短く済んだほうがいいんだろうなあ。


「俺は三日分は休みを取ってるけど……一応有給も残ってるし、いざとなったら職場に連絡するよ」

「いざとなるような場面がなければいいんですけどね」


 アリシアが手元の十字架を眺めながら言う。そのときなんて来ないほうがいい、それは当たり前だ。不足の事態に陥ってしまうということは、この村の〝なにか〟を俺達だけで対処できなかったってことになるからな。


「まもなく停車します。村の方にバスの滞在許可をいただいてくるので、ご乗車の皆様は車内でお待ちください」


 霧はいよいよ濃くなっていて、バスが村の中に入るまで一歩前も見えないような状態になっていたから、運転手さんも一旦ここで休憩するのだろう。このまま霧が晴れなければ、もしかしたら彼も泊まるのかもしれない。

 けれど、このまま外に出て霧の中、細い崖道をバスで帰っていくよりも村に泊まるほうが何倍もいいだろう。前も後ろも見えないのにバスで帰ったりなんてしたら命の危機だ。


「村の中は少しはマシみたいですね……紅子お姉さん? 大丈夫? どうしたんですか? 体調が悪いんですか? それとも下土井さんにセクハラでもされました? ダメですよ。ちゃんと爪で引っ掻いてやらなくちゃ」

「……お兄さんのせいじゃないよ。単純に車酔いかな」


 ――お兄さんのせいじゃないよ。


 その言葉に、一瞬だけ言葉が詰まった。その言葉が、明確に俺の心の奥底に残ってしまっているからだ。

 彼女の……一年前の夏。亡くなった青凪鎮の最期の言葉。それが俺の中に根強くこびりつき、消えない痕となって深く、深く、刻み込まれていた。


「おにーさん?」

「いや、大丈夫。ちょっと思い出に浸ってただけだ」


 まさか彼女にトラウマを刺激するからその言葉を言わないでくれ、なんて言えるわけがないだろう。紅子さんはあの件に全く関係ないどころか、知りもしないのだから。


「紅子さん。車酔いしたなら薬でも飲むかい? あ、いや、市販薬って怪異に効くのかな……」


 透さんが薬を取り出して困ったように言った。

 確かに、人の体とは違うだろうし、効くかは分からない。むしろなにか余計なことをしたほうが悪化させてしまう原因になるかもしれない。

 なら、安静にしててもらうしかないか。

 そうして運転手の青雉さんとやらが交渉しにいった場所を見ると……


「このガキ!」


 窓の外には運転手が子供を引っ叩く、かなり衝撃的な場面が広がっていて……


「はあ!? なにやってるんだあのおっさん!」


 そんな光景を見て、さすがに大人しく席で待っていろだなんて俺には無理な話だった。

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