其の九「似ているけれど違う人」

 その言葉を合図にしたように、その場で蠢くだけだった枝が一斉にこちらへ向かってきた。

 その様子に少しだけ、〝 あのとき 〟の光景がフラッシュバックする。

 ニャルラトホテプの触手に腹を貫かれる友人、真っ二つに裂ける親友。血飛沫、狂気の渦巻いた光景……


「桜子さん、右」

「はいはい」


 だが、その悪夢も目の前で枝を切り裂くカッターナイフなんて見てしまったら霧散した。


「お兄さん、なにもできないなら下がってな!」

「いや、やるよ」


 紅子さんは上から叩きつけられる枝を素早くガラス片で受け流す。

 彼女を殺した凶器でもあるそれは、彼女の武器でもあるのだ。

 人魂を纏わせるように紅く仄かに光るガラス片は耐久力なんて無視して切り裂き、枝をときおり炎上させている。


「きゅう!」


 カバンから自主的に出てきた赤く小さなドラゴン…… 鱗のリンに 「頼む」 と言うと、手のひらの上に乗っていたリンがみるみるうちに赤い刀身の刀へ変貌していく。


 振るえば、すっぱりと枝が切れた。

 無謀断ちであり、無貌断ちになったらしいこの刀。格上が相手であればそれだけ力も強くなるだろう。

 相手は外から来たニャルラトホテプあいつとは違い、地球で産まれた比較的浅い神。

 だが神は神。格上なことに変わりはない。

 目的は討伐ではなくて敦盛さんを救出することだけだ。どうにか近づかないと。


 けれど、結界があるのに秘色さんはどうやって逃げようというのだろうか。


「あっぶな!?」


 俺のすぐ横の地面に枝が突き刺さる。

 考え事をするのは後だ。今は目の前のことに集中しないと。


 右、左と避け、正面から突き刺してやろうと迫って来る枝に合わせて刀を持ち、勝手に裂けていく道を走る。

 今度は桜の花が視界を覆うように飛ばされて来る。横から来た枝を受け流す要領で舞う桜の梅雨払いに利用し、結界に利用されていた光の蝶を切り裂く。

 次に来た巨大な桜の蕾を切り払えば、ぶわりとピンク色の煙が広がった。桜の香りを凝縮したような、春先に日向ぼっこしたときのような暖かさに一瞬思考が曇る。


「お兄さんはバカなのかな!?」


 幻惑され、足を止めたところに下から突き上げられた桜の根を見上げる。

 突き飛ばされた俺は、さっきまでいた場所へ代わりに残った紅子さんの行方を追った。


「紅子、さん…… ?」


 上空には、桜の根に腹を直撃され串刺しとなった紅子さんがいた。

 友人達が死んだときと、全く同じ光景に俺はその場で混乱した。

 不思議と血が降ってこないのは彼女が幽霊だからか、とか、紅子さんが死ぬのかとか、頭の中を様々なことが巡って一時停止する。

 ぎゃあ、と鳥の真似をして俺に殺された青凪さんと、紅子さんの姿が重なる。フラッシュバックする。


「う、そ、だ」


 あのときとまったく同じ反射。

 そして、棒立ちになり無防備になる。


 これを好機とばかりに枝が、迫って来た。


「ぅあ……」


 しかし、首元のネックレスがまるで意思があるかのように俺を締め上げ、次の瞬間には迫り来る枝を刀で受け流していた。

 発狂寸前の身を無理矢理鎮静させられ戸惑うが、厄介なご主人様のおかげで正気に引き戻されたのは事実。今だけは感謝する。


「紅子さん!」


 根が地中に戻っていくと、ピクリとも動かない紅子さんはそのまま地面に横たわった。

 完全に腹はおろか心臓の位置まで風穴が空いている。普通なら助からないが、さっき秘色さんが回復手段があるとか言っていたか…… これをどうにかできるかは分からないが、彼女を連れて…… ? 


「わっ、な、なんだ?」


 紅子さんを姫抱きにして枝を右に左に避けていると、彼女の体が突然紅い煙となって霧散する。その光景に、俺は今度こそ愕然として立ち尽くした。

 彼女を抱いていた手の中に擦り寄るような一匹の紅い蝶が溜まる。


 紅い燐光を纏ったその蝶はまるで──


 その蝶を見つめていると、突然結界の外から真っ黒い煙が流れ込んで俺の周りで渦巻き始めた。

 あれは怪異だと感じとり、追い払おうとしても徐々にそれは近づき、紅い蝶々へと絡みつくように吸い込まれていく。

 蝶を中心点に支えていた手が極端に冷え込んだようにかじかむが、まさか手を引くわけにはいかない。だって、そうしたら彼女がどこかへ行ってしまいそうで。

 そして、数秒程ですぐに黒い煙は消えた。


「は!?」


 俺の腕の中には、姫抱きにされた紅子さんが再び収まっていた。


「…… わ、お兄さんもう大丈夫だから降ろして!」

「べ、紅子、さん」


 罪悪感が込み上げ、腕の中で暴れる彼女を思わず抱きしめていた。


「俺、のせいで……」

「ああそうだね。〝 お兄さんのせいで 〟痛い目に遭っちゃった。ミスなんてもうしないでよ?」


――「おにー、さん、のせい…… じゃ、ない…… よ」


 ああ、そっか。そうだった。


 〝 お兄さんのせいで 〟


 彼女は…… 紅子さんは、青凪さんとは違う。

 まったく別の子なんだ。違う人間なんだ。分かっていたのに。やっと、俺は〝 理解 〟できた。


「ああ、もうミスはしない。ごめん」

「アタシとしては謝られるより、感謝されたいんだけどねぇ」

「うん、ありがとう」

「ふふ、どういたしまして」

「ちょっとそこの二人! 早く捌くの手伝ってよ!」


 桜子さんが周りの枝を代わりに処理してくれている間に、俺は紅子さんを降ろす。紅子さんはほんの少しだけしおらしくして俺の服を掴んでたが、すぐに離れた。


「…… 不思議? アタシ達の体は噂でできてるから、心配しなくてもすぐ復活できるんだ。ほら、いつまでもここにいないでさっさと行った!」

「あ、ああ」


 釈然としない気持ちと、すっきりした気持ちを持ちながら先へ進む。


 …… 黒い煙が噂の塊だと言うのなら、あの赤い、紅い蝶々はもしかしてと思いを巡らせながら。

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