其の八「だから、お前の全てを受け入れよう」

 丘の上にある桜は怪しく揺らめき、その薄紅色の花をまるでイルミネーションのように同じ色の光がぼんやりと覆っている。

 この近辺に来た途端、急激に日が沈んでいった。

 もしかしたらそれだけ時間が経ったのかもしれない。だが、俺たちの目には急に夜の幕が降りてきたように感じられた。

 神、というよりも妖怪と言った方がそれらしい木の下に、桃色の髪を揺らした青葉ちゃんがいた。

 俺はそこでようやく気がつく。普通ならいくらか桜が散ってピンク色の絨毯が出来ていてもおかしくないのに、地面に落ちた桜の花は一切見当たらなかった。


 こちらに背を向けるように経っている彼女は〝 自分自身 〟を見上げていたようだが、ゆっくりとこちらへ振り返る。花が綻ぶような、そんな笑みを浮かべて。


「やあ、人間。やっと来たね…… ボク待ちくたびれちゃったよ」

「まだ数日しか経ってないだろ」


 妙な圧迫感を醸し出す彼女に怖気づきながらも言い返す。

 何年も待っていたんだろう。それなら追加で数日くらい待てるだろうが。


「時間がないんだよ。人間並みにね」

「へえ、一時間刻みでのスケジュールでもあるのかな?」

「おや、人間並みの基準を履き違えていたみたいだね。最近の人間は生き急ぎすぎている。ああ、キミはもう死んでるんだっけ」


 言い返した紅子さんは青葉ちゃんの言葉に少しムッとしたように眉を吊り上げた。


「死んでても良いことはある。例えば妙なお兄さんが遊び相手になってくれたりね。神様じゃあ恐れ多くて誰も相手してくれないだろう?」

「言うね、亡霊のカケラ程度が」

「おっと、まさか神様のカケラがこんなにキレやすいなんて予想外だよ」


 ニヤニヤと煽りに煽る紅子さんの肩に手を置いて宥める。


「ちょっとした仕返しくらいいいだろう?」

「怒らせてどうするんだよ」

「アタシが貶されるのはいいのかな?」

「よくない」


 即答すると、彼女は驚いたように目を丸くしてから黙った。おまけに溜め息つきだ。


「いいよいいよ、ぼくはこういう戦い前の煽り合い好きだから」

「桜子さんは参加しないで」

「ちぇー」


 そもそも戦うと決まったわけじゃないんだけどな……

 秘色さんを最後にして丘に上がると、その数秒後には桜から同じ色の蝶が一斉に飛び立った。


「なんだあれ……」


 蝶は四方八方に散っていき、一定の距離まで到達すると溶けるように消えていく。目を細めると、この辺り一帯を僅かに薄いピンク色の膜のようなものが覆っているのが見える。

 俺の呟きには秘色さんが反応して 「一種の結界、です」 と答えた。

 さすがの神様といったところなのだろうか。


「あのね、お兄さん。人外連中は皆違えど固有の空間みたいのものは持ってるんだよ。アタシの場合は夢の中、キミのご主人様はあの家そのもの。多分もっと大きいのを作れるけどしてないだけだ。近所に一定の時間で妖怪市場に繋がる神社もあっただろう?」


 確かにあったな。

 なら、これは桜の結界か。いったいなんのために……


「もちろん、獲物を逃さないためだろう? ぼくもそうしていろはを殺そうとしたからね!」

「懐かしい……」


 その経験を懐かしいで済ませるのはどうかと思うけどな! 

 獲物、この場合の獲物といったら俺達じゃなくて……


「な、なんだ!? なにが起こって…… ここは、もしかして!」

「いろはに釣られて来た獲物が一匹…… ご案内だね」


 桜子さんが愉快そうに笑う。

 元々の気質が残酷なのか、それとも人間に対する憎悪が強いのか、本人も自称していた通り、実に〝 悪霊 〟らしい笑い方だった。


「ああ待っていた! 待っていたよ春樹…… 覚えてるかい? ボクだよ、青葉だよ! 前に約束しただろう? キミはボクの許婚なんだから、もう逃げちゃダメだよ?」


 そう言って走り寄っていく青葉を彼は…… 拒絶した。


「嫌だ! なんでテメーがここにいる!? な んでテメーは歳を取らねぇんだ!? 気持ち悪い、こっちに来るな!」


 全力の抱擁をしようとした彼女は、彼が避けたことによってその場で転んだ。

 そのときに俺は反射的に動こうとしたが、それは紅子さんの腕で静止させられる。


「桜子さん、敦盛さんの確保を」

「いろは、もう遅いよ」

「え、もう…… ?」


 二人が動こうとしたが、一歩遅かったみたいだ。

 敦盛さんは更に怒鳴り散らそうとしたところを後ろ向きに倒れた。

 いや、違う。彼は、地面から突き出てきた桜の根っこに足を取られ、そのまま結界内の空に吊り上げられたんだ。

 根から桜の枝へと受け渡された彼は空中でその胴と、股下から伸ばされた太い枝で拘束され、動けない。

 股下を通った枝で体勢的には吊り上げられるよりマシだろうが、相手は神様だ。この状況はヤバすぎる。あまり怒らせているとあの人が絞め殺されそうだ。


「なんで?」


 地面に四つん這いになったまま呟いた青葉ちゃんの言葉に怖気が走る。


「ボクはこんなにも好きなのに。どんなにキミが歳をとっても、好きなのに」


 桜が騒めく。

 彼女の心を表すように枝がどんどん増え、触手のようにムチ打ちながら桜が攻撃性を増していった。

 しばらく締め付けられていたらしい敦盛さんが呻きながら、声を小さくしていく。あれは、本当にやばい。下手したら命の危機だ。

 青葉ちゃんはきっと怒りで力加減を誤っているんだ。落ち着かせれば……


「ひどいよぉ……」


 顔を上げた彼女はポロポロとその目から涙を流していた。

 けれど、敦盛さんが気絶するように脱力するとそのまま空を泳ぐように飛んで、彼の元へ向かう。


「まだ、死んでないよ」


 幽霊の紅子さんが言うなら、そうなんだろう。


「下土井さん、戦闘はできますか?」


 近くにいた秘色さんが俺を見上げた。


「問題ない」

「最優先事項は敦盛さんを拘束している枝の破壊及び、救出です。怪我をしていてもある程度なら回復手段があります」

「話し合いは……」

「…… 不可能でしょう。わたし達には彼女相手に切れる交渉材料がありません」


 断言され、俺の希望は絶たれた。


「ボクはね、それでも好きなんだ」


 語りかけるように、言い聞かせるように青葉ちゃんが言う。


「たとえキミがボクを見ていなくてもいい。ボク〝 が 〟好きだから、それでいい。それで全ては完結する。だから」



  ── だから、お前の全てを受け入れよう。



 目を細めて青葉ちゃんは彼を抱き込むようにしたあと、そばを離れる。


「ボクを嫌いなままのキミをそのまま受け入れよう。なあに、100年も一緒に地下で眠ればまた昔のように仲良くなれるさ」


 にっこりと、それはもう嬉しそうに。


「けど、その前にやることはやらなくちゃ」


 彼女は枝を伝いながら降りて来ると、笑顔で木の根元に座った。


「人の恋路を邪魔する人は、馬に蹴られて死んじゃうんだってさ」


 その言葉を合図にしたように、その場で蠢くだけだった枝が一斉にこちらへ向かってきた。

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