其の四「流れ華」

 昔々、草花が元気をなくしてしまう時期がありました。

 それは寒い寒い、冬と呼ばれる時期です。

 冬は作物が育ちません。

 人々はこの時期になる前に食糧を溜め込み、備えました。

 けれどそう上手く行かない時もあるのです。

 作物が育たず、人々は危機に陥りました。

 そんなとき、まるで流れ星のように大きな花が空を流れて行ったのです。

 花から撒かれる花粉が萎れた草花に降り注ぐと、不思議なことにその元気を取り戻しました。

 草花は人々と共に大きな花へ祈りを捧げ、寒い冬に負けじと育っていきました。

 あるとき、その中の一輪の花が大きなお花の神様と同じような姿になり、人々は神様が誕生したことに大喜びしました。

 大きな花の神様は沢山の人々に囲まれて幸せです。

 そして人々は神様が寂しくならないようにと、神様のために管理する者を選びました。

 その管理者は神様の夫と呼ばれ、その役目は代々受け継がれていき、神様が眠る際には一緒に眠り、平和を願うのです。

 神様は千年眠り、起きた際にそれまで蓄えた力で、冬の間草花達が元気でいられるように守ります。

 繰り返し、繰り返し。永遠に。けれど夫がいる限り、きっと神様は寂しくないでしょう。

 今でも花の神様はこの地のどこかで、静かに暮らしています。

 めでたしめでたし。




 挿し絵には大きな花の中心に妖精のような女性らしき姿が描かれている。

 花の形がありふれたものなので確信は持てないが、これが桜の精霊…… 青葉の正体なのかもしれない。

 表紙に桜が描かれているくらいだし、きっとそうだろう。


 それにしても、空を流れていく花か。

 明らかに普通ではない。ただの怪異の類なのか、それともニャルラトホテプあいつと同じ神話生物の類なのか…… 勘でしかないが、後者な気はしている。


「とりあえず、青葉ちゃんのことはなんとなく分かったな」

「良かった。どうやらキミに悪い影響はないみたいだね」

「え」


 紅子さんが神妙な顔で頷くものだから、俺はなにかまずかったかと絵本の内容を思い返す。

 けれど、特に変なところはなかったように感じるが……


「ほら、読む前にお兄さんったら怯えていただろう? それで気になっていたんだよ」


 ああ、確かに。

 読む前はなんとなく嫌な予感がしていて、それは悪寒にも近かった気がする。原因は掴めてるけどな。

 この絵本に出てくる〝 大きな花 〟は奴の…… ニャルラトホテプに関係するなにかか、または同じ分類に存在するものだろう。

 要するに都市伝説とか怪異とかのローカル的なものじゃなくて、もっと大きな規模で厄介な神様とかそういうものってことだろう。

 見ただけでアウトな生物。それが俺の思うところの神様とやらだ。

 神様だって悪に堕ちているものがいたり、善とされていたり様々だ。善と悪。その性質が人間にとって有益か、有害か、その程度の違いしかないのだろう。

 この絵本に出てくる神様は、有益なことをした。だからいい神様。

 しかし、神話だとそうとも言い切れないのが悲しいことだ。


「ま、アタシなんて可愛いくらいの相手だね…… お兄さんの話からすると、青葉って子はこの大きな花に影響された桜の神様なんだろう。いいのかな? 下手したら結構おっかないことになるよ、これ」

「でも人探しを引き受けたのは俺だからな……」


 脅し混じりだったが。


「アタシも……一 回相談を受けちゃったからにはやるけれどね」

「助かるよ」

「どういたしまして?」


 念のため絵本を借りることにして、紅子さんには敦盛春樹の事務所に行くことを告げた。

 何回かアポを取ろうと電話してみたものの、繋がらないのだ。

 人外が関わっているわけだし、もし万が一危ない目に遭っていたら困る。だからさっさと直接会おうというわけだ。


「場所は駅二つ離れてるだけだな」

「いやあ、それにしてもお兄さんと一緒に電車に乗ることになるとはね。ご近所以外のデートは初めてだね。ドキドキするなぁ」

「やめてくれ、通報されたらどうしてくれるんだ」

「大丈夫、大丈夫。アタシがちゃんと証言してあげるから。〝 ダーリンです 〟って」

「やめてくれ……」


 ニヤニヤしながらからかってくる彼女と、周りの痛い視線から流れるように移動し、数十分後電車から降りた。

 その間にもわざとなのか知らないが腕を絡めてくる彼女を突き飛ばすことなんてとてもできるはずがなく、されるがままになっていた。

 両腕が空いていたらまず間違いなく顔を覆っていただろう。


「そういう反応をするからアタシも調子に乗っちゃうんだよ?」

「分かってる……」


 理解はしてるんだけどな…… どうしようもないんだよ、こればっかりは。


「さて、場所はどこ? お兄さん」

「ちょっと待ってくれ。ナビを見てみる」


 スマホを鞄から取り出し、ナビを起動する。

 そのとき、鞄の中でグースカ眠っているリンの頭を撫でてやると 「きゅ……」 と寝惚けながら人差し指の腹にすり寄って来た。

 起こしてごめんな、まだ寝てていいんだぞ。


「ふふ……」

「なんだ?」

「いや、なんでもないよ」


 紅子さんがなにか優しい目で見て来ている気がするが、本人がなんでもないというならそうなんだろう。きっと訊いても教えてくれないだろうし。

 ナビを見ながら歩き、ふと周りを見渡すと掲示板が目に入った。


『○○大学の生徒が行方不明となっています』

『見かけた方は下記までご連絡ください』

『〒○○○-○○○ ○県 彩色いろどり町 ○○-○』

『電話番号……』


 顔写真付きのそれを見て、俺は思わず足を止めた。


「どうしたの? お兄さん」

「この人……」


 その写真に写っている人は、先日あの桜の枝を折ろうとしていた男だった。なんだか見覚えのあるブランドのアクセサリーをジャラジャラと付けた状態の写真で、いかにもスレていそうな人物。

 そしてなにより……


「なあ、紅子さん」

「…… なにかな?」

「紅子さんがあのアクセサリーを欲しがったのは、なんでだ?」

「気づかなくてもいいことってのは案外あるものだよ、おにーさん」


 青葉から受け取ったブランド物のピアスと、指輪。

 先日見たとき、この大学生はなにをつけていたっけ? 

 こんなピアスと指輪ではなかったか? 

 桜を害そうとした男は…… ? 仮にも神様と呼ばれる存在を害して、無事でいられるものなのか? 




――「見て、彼お土産に桜の花びらを乗っけてる」


――顔を上げた彼女は悲しそうにケラケラと笑った。




「まさか……」

「はあ、せっかくなにも言わないであげたのにねぇ」


 紅子さんは困ったように髪をかきあげると、ポケットに入れていたアクセサリーを取り出す。


「呪われてる」


 息を飲む。


「でも、これの元の持ち主が呪われていただけで、譲渡されたキミやアタシには影響を及ぼさないから大丈夫。人間のお兄さんに持っていてほしくないのは、アタシの気持ちの問題だよ……」


 人間の俺より、怪異の自分が持っていた方が万が一がなくていいっていうことか? なんだよ、それ。

 そんなこと聞かされたら、 「なんで言わなかったんだ」 なんて怒れないじゃないか。

 心配してくれるのは嬉しいんだけど、それで紅子さんが危険に晒されるのは違うんじゃないのか? 

 言ってくれれば廃棄くらいしたのに。


「たらればの話はこれでお終い。さっ、早く事務所に行こうよ」

「…… ごめん、紅子さん」

「謝罪は嬉しくないかなあ……」

「ありがとう、紅子さん」

「それでよし」


 辿り着いた事務所には、やはりというか誰もいなかった。

 見るからに真っ暗で僅かな電気もつけられておらず、接客するだろうカウンターには薄っすらと埃がついていて暫く営業していないことがわかる。


「これはこれは」


 言いながら紅子さんがスタスタと中に入り、電気をつける。

 やはり怪異だからか夜目が効くらしい。俺には暗くて見えなかったので、正直ありがたかった。


「ひどいな……」


 明るくなってもやはり、事務所内は酷い有様だ。

 高枝鋏やら庭師としての道具はある程度手入れしてあるようだが、その他の場所には乱雑に書類が置いてある。


「暫く帰ってないのか?」

「…… かも、しれないねぇ」


 紅子さんはそう言うと足取り軽く中を物色し始める。


「ちょ、紅子さん! あんまり荒らしちゃまずいだろ!」

「大丈夫だよ。だいぶ杜撰ずさんなお人らしいね。これなんか三ヶ月も前の書類だよ?」


 彼女がピラッとこちらに向けた書類には確かに三ヶ月前の日付と判子が押されている。どうやら仕事の依頼だったようで、この辺にある大きな公園の名前が書いてあり、その書類の近くには公園の全体図やら時間配分やらが書かれた書類があった。

 仕事の書類だろうに、いいのだろうか。


「さあて、お楽しみはこれからだよ。夜にはまだ早いけど、おっ始めようか」

「ちょっと、さすがに奥は行っちゃ駄目だよ。そっちって住居スペースだろ?」


 紅子さんの際どい言葉は置いといて、彼女がカウンターの奥へ行ってしまう前に引き止める。すると彼女は不満そうにこちらを見て、それからニヤッと笑ったと思うと 「据え膳、据え膳」 と言いながら奥に消えて行ってしまった。


「だから、ああもうっ!」


 仕方ないので紅子さんを追いかける。

 決して不法侵入ではない。もしかしたら奥で人が倒れているかもしれないし? …… なんて言い訳を頭の中に並べながら早足で部屋に入る。

 すると入ってすぐの場所に紅子さんが立ち止まっていたため、彼女にぶつかりそうになってから一歩引いた。

 こちらの部屋も真っ暗だ。何も見えない。


「どうしたんだよ、紅子さん」

「…… あー、っと、これは…… どう、うーん……」


 珍しく紅子さんは困惑しているらしい。

 歯切れの悪いその様子に俺が彼女の肩に手をかけると、 「わっ」 と小さく驚いてからこちらを向く。

 事務所の明かりで照らされた彼女の顔色は良いとは言えない状態になっていた。


「えっ、どうしたんだよ!?」

「えーっと…… お兄さん……」


 心底言いにくそうに彼女が口を開閉し、まさか死体でも転がっているんじゃないかという予想が頭の中に過ぎる。

 怪異である彼女がここまで余裕を無くすというか、動揺するのはあんまりないから余計に不安感が増した。


「なにがあったのか、教えてくれるか?」

「…… 見た方が早い、というか………… 人間の業は深いねぇ」


 本当になにがあったんだよ。


「電気、つけるよ」

「ああ」


 覚悟して、真っ暗闇の中を睨みつける。

 やがて部屋にも入りたくないと言いたげな様子で紅子さんが電気をつけると、その衝撃的な光景が目に飛び込んできた。

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