其の三「バードパニック!」

「は……?」


 ゲッゲッゲッ、と鳴く無数の声。反響する音。

 それらは明らかにこの宿を囲んでいる。さながら包囲網。出たら最後、どうなるのかは分からない。


「………… 紫堂は恐らく、もう駄目だろう」


 俯いたまま沈黙を守っていた青凪さんが言った。絞り出すような声だった。


「……」


 あいつはそれを冷めた目で見下ろしている。

 しかし、それを怒る程の元気は俺になかった。


「あの…… 本当に、脳吸い鳥が……?」


 俺がそう尋ねると、緑川さんが 「た、多分……」 と言って、助けを求めるように青凪さんへと視線を向けた。

 その視線はどこか、信じられないといったような感情が混じっている気がしたが、それよりも青凪さんへの信頼が勝っているように感じる。

 創作物としての化け物が好きだと言っても、実際にパニックホラーのような状況に巻き込まれてしまっては混乱するしかないらしい。


「最初は耳かきでもしながら転んだのかと思ったが…… 凶器は落ちていないし、それにしては血痕と離れすぎているだろう? 壁にまでべったりついているところを見るに、抵抗した跡だと思ったほうがいいだろう」


 彼女が指差した先の壁には、確かに血痕がついている。

 それに、耳から血が流れているわりには服にはあまり血が跳んでいない。事故によって倒れたのならば床と接している服に血がついていてもおかしくない。しかし、青凪さんの膝に乗っている彼を見てみてもそんな跡は見受けられないようだ。

 改めて死体、と思われる彼を観察して気持ち悪くなってくる。失礼だとは分かっているが、さすがに気分にいいものではない。

 彼女はよく、平気で膝枕できるものだ。


「でも、脳吸い鳥だと断定するのは……」


 信じることができない俺が苦言を漏らすと、僅かに青凪さんの眉が寄った。


「私の言葉が信じられないと?」


 現実主義の彼女がここまで言うとなると、なにか理由があるのだろうか。


「あ、いや…… すまない。実はだな、第一発見者は私なのだけれど……」


 言いすぎたと思ったのだろうか、さすがに死人が出てしまえば余裕を保てなくなるだろう。言い方は強かったが、さすがにそこを責めることはできない。


「私達は早朝に一度廃墟探索することになっていたから、なかなか起きてこない彼を起こしに来たんだよ。そのときに、扉越しではあるが…… 無数の羽音が聞こえたんだ」


 それは、確かに決定的かもしれない。

 室内に鳥なんているわけがないのだし。


「皆それを聞いたのか?」

「いや、鎮だけだよ。僕は流の準備を手伝ってやれ、って押し付けられてたしな」

「いつもは廃工場とかで、山の中の廃墟に入ったことはないから……それなりの装備が必要だって鎮ちゃんが言ってたけど、あたしはそれを忘れちゃって……」


 しゅん、とした様子の彼女は泣きそうだった。

 彼の死に一番悲しんでいるようで、実は相思相愛だったんじゃないかとさえ思えてくる。


「よく無事だったね」

「まあね、部屋を破ったのは崖を呼んでからだし、その間にどこかへ行ったんだろう」


 こともなげに青凪さんが言う。


「それに、流も鳥を見ているようだしね」


 一番冷静な彼女は、さらに決定的となる証拠を提示した。


「さ、さっき、下土井さん達を呼びに行くとき……玄関前から見たら、い、一杯鳥がいて、だから信じるしかなくてっ」


 とうとう涙腺が決壊した緑川さんが崩れ落ちる。

 ここまで言われてしまえばもう、鳥の存在を信じるしかないだろう。


「だから安易に外には出れねーんだよ。同時に探したけど宿の主人もいないみたいだしさ」


 そういえば奴が主人を探したほうがいいなんて言っていたが、それも無意味だということか。


「僕こういうの苦手なんだけど…… 宿内を回りながらなるべく鳥共に見つからない脱出ルートを探すしかねーな」

「…… っなんで、そんなに冷静でいられるの? 鎮ちゃんだってそうだよ…… 怖くないの!? あたし、あたしもう嫌だよ! なんで危険に飛び込むようなことしなくちゃいけないの!?  あたし、こんなこと求めてたわけじゃないのに! こんなの嫌だよぉ!」


 錯乱した緑川さんが黄菜崎君に掴みかかるけど、彼はそれで黙っているわけじゃない。


「あのな、僕達が無事に外に出ないとこのことも警察に伝えられないだろ! 皆仲良くここで殺されたら埋葬してやることもできないし鳥共も野放しだ! 保健所でも自衛隊でもなんでも、伝えないともっと人が死ぬんだぞ!?」

「でも、でも…… !  割り切れるわけ…… ないよぅ……」


 それきり緑川さんは話さなくなってしまった。

 しゃがんで緑川さんは青凪さんに代わり、紫堂君の蒼白になった顔を撫でる。苦しみに歪められていた顔はその指で皺が伸ばされ、穏やかな顔へと戻っていく。


「調査は皆で進めててよ……」

「流、気持ちは分かるが人手が必要なんだ」


 立ち上がった青凪さんがいっそ冷酷なほどに言うが、彼女はいやいやと首を振る。


「お願い鎮ちゃん…… ひとりにして」

「…… 分かった。ここを動くなよ」


 話がひと段落したことを確認し、そういえば奴が静かだと気づく。


「お前はどうす……って、え?」


 ついでにこれからどうしようかと開きかけた口はしかし、続きを言う相手がそこにいなかったせいで閉ざされた。

 そう、つまらなそうにしていた奴は、いつの間にか姿を消していたのだ。


「あ、あいつどこに…… !?」

「ん、神内さんか? まずいな、一人では危ない……」


 妙に冷静な彼女の横顔を眺める。

 そして同時に彼女をじっと見つめていた黄菜崎君が目を見開いたと思うと苦々しげに顔を逸らし、扉へ向かっていく。


「…… 僕が探すよ。僕は玄関と西側を探す…… 鎮は念のため大人と一緒にいろ」


 吐き捨てるように言われた言葉に傷つく様子も見せずに青凪さんは頷いた。


「さて下土井さん、どこから探せばいいと思う?」

「え、そう言われてもなぁ……」


 結論が出るのはすぐだった。


「手当たり次第……」

「しらみ潰しかい?」


 適当に言った言葉に肯定の返事があって、少しだけ驚く。

 半月のように目を歪めて笑う彼女に少しだけ違和感を感じながら頷いた。

 この宿はそんなに広いわけではないから客室を除けば重要そうな部屋はごく僅か。更に宿のご主人の部屋もあるのだからそこへ向かっていけばいいのだと思う。

 きっと黄菜崎君もそうするだろう。

 この宿は南側の玄関と共有スペースを中心にし、廊下が東西北に別れている。東側は俺達が泊まっていた客室が固まっており、西側にも同じく客室と露天風呂付きの大浴場。ご主人の一室は宿の奥、北側にある。


 だから奴を捜してくれている彼がこちら側に戻ってくる前に一つ一つ客室を調べることにした。調べると言っても客室は扉をどんどん開けていくだけ。

 こうしていれば俺達がどこを調べたか分かるからだ。

 そして緑川さんと青凪さんの部屋に近づいた時、ふと思い出すことがあった。


「青凪さん」

「なんだい? おにーさん」


 からかうようにケタケタ笑う彼女はまるでこの怪異そのものを楽しんでいるようで、先程見せていた悲しみはもう見られなかった。

 彼女は女子高生だ。なのに友達が死んで、こんな風でいられるだろうか? いくらオカルトマニアだからと言って現実主義の彼女が。

 羽音を聞いたとはいえ、脳吸い鳥の存在を簡単に肯定しているところだって違和感を覚える。

 ただ単に気がおかしくなっているだけかもしれないが、ちゃんと見ていてあげたほうがいいかもしれない。

 これじゃあいつ壊れてしまうか分からない。


「君達って脳吸い鳥に関する書類を持ってたよね? あれの内容って詳しく覚えてますか?」

「なんだいそんなことか」


 目を細めて彼女は嘆息する。


「見たいなら見ていけばいい」


 そういって彼女は緑川さんの部屋を指差した。


「え、でも書類って青凪さんが持ってきてたんですよね?」

「…… 昨日は露天風呂に入ったあと彼女の部屋で少し話をしていてね。そのとき忘れてしまったんだよ」


 バツが悪そうに眉を寄せてそう言った彼女に続いて部屋に入る。

 俺達の部屋と殆ど同じ和室だ。違うところがあるとすれば端の方でバスタオルが干してあることや布団がきちんと仕舞われていることだ。

 荷物の方へ目を向けると幾つかの紙がバッグから溢れ出ているのが分かる。

 確かにそこには資料が置きっぱなしになっていた。


「これですか?」

「ああ」


 紙束を拾い、横目で彼女に確認してから目を通す。

 カエルのような声、黄色く細長い嘴、醜く膨らんだ腹に小さな頭部。集団で行動し、知性はあるが理性がない。あと、幾らか派生した噂話があるようだ。


 曰く、脳吸い鳥には脳がないので人の脳を代わりとする。

 曰く、餌を効率よく確保するために集団で行動する。

 曰く、食った脳の持ち主の声を真似る。


「……」


 妖怪である鈴里さんは、嘘が本当になると言っていた。

 人でないものは人間の認識こそが命であり、噂話こそが妖怪の存在証明でなければならない。

 そこに存在しなかった怪異は噂が広がれば広がるほどに形を得て一つの生命となる。空想が現実になる。幻想が具現化する。


 ならば脳吸い鳥はどうだ? 


 いかにもな名前に加え、こんなに物騒な話が沢山ある。

 さらに、共通した話では知性を持つが理性はないとされている。

 決定的だ。危険すぎる。


「青凪さん、合言葉を決めておきましょう」

「合言葉? なぜだい?」


 怪談にありがちでもっとも危険な事項。それは〝 誰かの声を真似る 〟ということだ。これをされてしまったら滅多なことでは判断がつかないし自分から罠にかかりにいくようなものになる。


「声を真似られたら危険だし、本人確認のための合言葉を決めておこうってことですよ」

「なるほどなぁ」


 青凪さんが感心したように頷き 「どうしようか」 と呟いてからなにか思いついたように顔を明るくした。


「ふむ、じゃあこうしよう。〝 七不思議の七番目は 〟と言ったら〝 おしらせさん 〟だ」


 七不思議。いかにも彼女が好きそうな分野だ。


「なんですか? それ」

「そこの資料にも書いてあると思うけど、我が校の七不思議さ。赤いちゃんちゃんことかずるずるさんとか都市伝説と混じって色々とあるけれど、七番目のおしらせさんは何十年も前から変わっていないらしい。他の学校合わせて八番目を知ったり、七番目を二つ知ると異界に連れて行かれる、なんてくだらないお話もあるけど、まあ今は関係ないね」

「個人的に思い入れがある…… ってことですね」

「まあそんなところだよ」


 そう言って資料を渡される。

 そこには彼女の言った話と、七つ全てが揃った学校の怪談が載っていた。


「おしらせさん、ですね」

「ああ。さあ、もう行こう。あまり長居するのは……」



 そのときだった。


「ああああああああ!」


 絶叫するような、苦しむような悲鳴が聴こえてきたのは。

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