愛する者を護る為に(5)
アーヴルと明日の段取りをつけた後、リディスやフリート、メリッグ、トルなど、カトリと直接対峙した人間は軒並みベッドの上で横になっていた。
毒蜂の被害にあったミディスラシールとロカセナも同様である。二人とも部屋につくなり糸が切れたかのように、倒れ込んでしまった。それほど気を張っていたようである。
一晩休息時間をくれたアーヴルに感謝しながら、リディスも治療を受けてから横になった。
カルロットから聞いた話によれば、リディスとミディスラシールを誘拐した男たちの目的は、ほぼこちら側の推測通りだったらしい。
ミスガルム城に反感を抱き、バナル帝国と友好関係を結ぼうとしているのが気に入らなかった一団は、ミディスラシールが町に来るのをどこからか嗅ぎ付けて、強行的な誘拐を試みたらしい。
リディスを狙ったのは、護衛が手薄な親しい友人を攫って人質にとることで、姫に抵抗をさせないためだった。偶然出会ったカトリが、リディスを執拗に追い求めていたのも一つの理由のようだ。
今回の事件、結果としては二人とも無事に救出された。しかし男たちが躊躇わずに殺しにかかったとすれば、どちらも死んでいたかもしれない。
特に蜂の毒は強力で、ロカセナの機転がなければ姫は死んでいただろうとスキールニルは言っていた。どんな機転だったのかとリディスたちは問うと、彼は視線を逸らした。
「本人に聞いてくれ」
その言葉を受けて、翌日目覚めた際に聞くと、ロカセナが笑顔でリディスの両肩に手を置いてきた。
「たいしたことじゃないから、気にすることでもないよ」
そして微笑みながら去っていった。
明らかに何かを隠している。追求したかったが、間もなくアーヴル皇子との会合が始まろうとしていた。
同席を許されたリディスは、誰かの手によって調達された水色を基調としたドレスに袖を通す。スピアを召喚する魔宝珠は腿に、鍵のペンダントは首から下げつつも目立たないようドレスの中に入れてから廊下に出た。
若干疲れが見えるミディスラシールとロカセナ、そしてフリートが待っている。少し遅れたことに詫びを入れて、一同は予備として借りていた屋敷に向かった。
会合の大部分は、ミディスラシールとアーヴルによって進んでいた。
さすがにミディスラシールは場慣れしており、すらすらと発言している。アーヴルは時々感心した表情をしつつも、彼女に負けないくらい積極的に発言して、有意義に会合を進ませていた。
同席しているリディスや他の貴族たちはいらないだろうと思うほど、二人で話している時間は長かった。
やがて持ってきた資料をすべて左から右へと積み終えると、ミディスラシールはアーヴルに向けて微笑んだ。
「これでお話したいことはすべて終わりました。どうもありがとうございます。アーヴル皇子のような聡明な方とお話しできて、光栄でしたわ」
「私もです、ミディスラシール姫。まだお若いのにここまではっきりと意見を言う女性も、そうそういないと思います」
「アーヴル皇子も二十代半ばではないですか。充分お若いですわよ」
二人で笑いつつ場を和ます。
予定していた話が終わり、安堵の表情をリディスは浮かべる。しかしミディスラシールが一瞬思い詰めたような表情をしたのが気になった。
彼女はすぐに笑みを浮かべて、周囲にいる人々に向かって声を投げかける。
「すみません、皆さん、ここで席を外して頂けますか? 二人でお話をしたいことがありますの。夜の晩餐会までには終わりますので」
アーヴルも賛同するかのように頷いた後に、ある人物に視線を向けた。
「ラズニールさんには同席してもらってもよろしいですか? あらぬ疑いをかけられたくないため、その保険として」
ロカセナは眉をぴくっと動かしてから、軽く首を縦に振った。
「私でよければ」
その言葉遣いが淡々としすぎていて、どことなく怖い。
リディスは表情を無理矢理作っているロカセナからフリートに視線を移すと、眉間にしわを寄せているのが見えた。おそらく不安げな気持ちを抱いているリディスと、同じ考えを抱いているのだろう。
二人で部屋から出るのを躊躇っていると、ミディスラシールが立ち上がってリディスたちを廊下に追い出していく。姫に声をかけようとしたが、その前にドアは音を立てて閉じられた。
ロカセナはなかなか外に出ようとしないリディスとフリートを見て、思わず微笑んでいた。二人とも考えることが同じなのか、似たような表情をしている。似た者同士だなと思いつつ、ロカセナは微笑を浮かべている皇子を見た。
彼はいったい何を考えているのだろうか。
ロカセナをミディスラシールの護衛と見なしているのだろうか。スキールニルがいるにも関わらず、そのように思われるのは複雑だった。
ロカセナはあくまでも姫と元騎士との関係だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「さてアーヴル皇子、よろしいでしょうか」
ミディスラシールはロカセナの存在など無視して、話を切り出す。
「今回私はバナル帝国から話を受けた際、二つの目的を聞きました。一つは先ほどまで行っていた意見交換を主とした会合。そして二つ目は私とアーヴル皇子の――」
「縁談話ですか?」
まるで狙ったかのようにアーヴルは言葉を入れ込む。ミディスラシールがごくりと唾を飲み込んだ。
「え、ええ。その通りです」
頬を微かに赤らめながら、俯きがちになる。彼女の様子を見て、ロカセナの鼓動は急激に速くなった。平静な表情をしたまま、この場を切り抜けられるだろうか。
アーヴルは首を軽く傾げて、口を開く。
「ミディスラシール姫は当初その話を打ち明けられた時、どう思いましたか?」
「どうとは……?」
アーヴルは肩をすくめて、首を横に振った。
「私はなんと馬鹿な話を持ち出しているのかと思いましたよ」
「……え?」
「だってそうでしょう。会ったこともない人間に対して縁談話を持ち込むなど、とんでもないことではありませんか? しかも遙か昔とはいえ敵対しあっていた関係、初めから警戒意識を持っている国同士でそのような話がまとまるとは思えません。――そう、私は思っていました」
過去形の言い方をされ、ロカセナは首を捻る。
アーヴルはミディスラシールの緑色の瞳を真っ直ぐ見据えてきた。
「相手に惚れてしまったら、そのような考えなど消えてしまいましたよ」
ミディスラシールの目が大きく見開く。ロカセナは視線を若干そらした。
アーヴルはテーブルの上で手を組んで、そこに視線を落とす。
「ですが私はそこまで独占欲が強い男ではありません。無理だと気づいたら潔く身は引きます。また、もし相手が私の地位を考慮し、無理して一緒になろうと言われても遠慮します。――私は断られたことを出しにして、政治の世界の取引には使いません」
再びアーヴルの視線が上がる。その目つきはさらに穏やかなものだった。
「ミディスラシール姫、貴女個人の正直な返答で構いません。――私は異性として、貴方に強く惹かれました。よろしかったら結婚を前提に、お付き合い頂けないでしょうか?」
まさしく直球と言っていい内容だった。ロカセナは静かに唾を飲み込んで、ミディスラシールが口を開くのを待つ。彼女は思案気な表情をした後に、ゆっくり頭を下げた。
「……申し訳ありません」
堅い表情で返答をしたが、言われたアーヴルは憑き物が落ちたかのように、ほっとした表情をしていた。
「いえ、はっきりと言ってくださり、ありがとうございます。差支えなければ、理由を伺ってもいいですか?」
穏やかな表情のアーヴルにつられて、ミディスラシールも四肢の緊張を緩ませた。
「……叶うのならば、私も相手もお互いに大切に想っている人と共に生きたいからです。アーヴル皇子がこれから私のことを大切に接してくれるかもしれませんが、今はそこまでではないと思うのです」
「たしかに出会って間もない貴女のことを、最も大切な人とは言い切れないでしょう。しかし初めはそのようなものではないですか? 貴女には他にもっと強い理由があるように思われます」
微笑みつつも容赦のない言葉を仕掛けてくる。ミディスラシールから本音を聞き出したがっているようだ。
彼女は首元を軽く触れてから、手を再び膝の上に乗せた。
「……他に好きな人がいます。私にとって支えであり、大切な人が。立場上叶わない恋だと思い、諦めていました。ですが気を使いすぎてしまい、何も行動を起こせていなかったと気付きました。私はあまりに自分の気持ちを偽りすぎたようです」
「偽るのにも限界があります。時には自分勝手に振る舞っていいと思いますよ。――その恋は果たして実るのですか?」
意地悪く聞いてくる。ミディスラシールはめげずに、満面の笑みで返した。
「障害はいくつもありますが、必ず実らせてみせます」
はっきり言い切ると、アーヴルは寂しい表情をした後ににこりと笑った。
「実らせてください。貴女と彼の幸せな未来のために」
話が済むと、アーヴルは先に部屋から出て行った。
ミディスラシールはその背中を見届けてから、予告もなく机の上に突っ伏した。堕落した姿を見て、ロカセナは慌てる。
「姫、ここは城の自室ではありませんよ。いつどこで誰が見ているかわかりません……」
「ここは二階だし、部屋のドアはすべて閉まっているわ。誰も見ないわよ。……まったくロカセナまでスキールニルみたいにお節介な言葉を投げかけるのね」
「そういうつもりでは……」
久々に見るミディスラシールの甘えに、ロカセナはやれやれと肩をすくめた。
かつて屋上で話をしていた時、当初は姫として威厳を保ちながら言葉を発していたが、だんだんと打ち解けるにつれて口調が軽くなっていった。いつしか二人きりの時では、このような態度をとるようになったのだ。
姫という身分に縛られて自由な行動ができず、精神的に負荷がかかっているのはわかる。ただし体勢を崩すにしても、さすがに時と場合は考えてほしい。
どうしたものかと考えていると、ミディスラシールがちらりとロカセナのことを見てきた。
「ねえロカセナ、これからどうするの?」
「どうするとは?」
「ずっと……大樹を守り続けるの?」
向けられた瞳は微かに揺れていた。姫としてではなく、一人の女性がロカセナのことを見つめている。
視線を逸らして頬を人差し指でかいた。
いい加減に素直な気持ちを吐くべきかもしれない。
周りから散々心配され、お膳立てもしてもらっている。たとえ次に出す言葉によって困難なことに直面したとしても、彼女の傍にいられる可能性が高まるのなら、きっと乗り越えられるはずだ。
ロカセナはピンク色の石がついたペンダントをポケットから取り出して、ミディスラシールの傍に置いた。
「――騎士団に戻ろうかと思っています」
「騎士団に?」
「カルロット隊長に言われました。僕にやる気があれば、過去の功績を考慮して受け入れてやると。……裏切った場所に自ら戻るなんて、本当に馬鹿げていると思います」
苦笑したが、ミディスラシールはペンダントを手に取り、顔を上げて首を横に振った。
「私はそうは思わない。人は誰でも間違った道に逸れる場合がある。たとえ一度逸れたとしても、またその道に戻ってもいいんじゃない?」
「そう言ってくださると、僕の心の持ちようも軽くなります。ありがとうございます」
右手を胸にあてて、頭を下げた。そして静かに笑みを浮かべる。
「――本当に優しくて聡明な姫様、やはり僕は貴女のことを傍で護りたいです。たとえ多くの人に反対されようとも」
ロカセナは優しい声を発しながら、穏やかに言葉を紡いでいく。
「騎士団に再入団すれば、その後の実績次第では近衛騎士になるのも不可能ではありません。相当な努力が必要となりますが、是非ともなりたいです。そしていつかは貴女の隣で――」
ミディスラシールの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。ロカセナは手を差し伸ばしてそれを拭い、目を丸くしている彼女に向かって微笑んだ。
「貴女の幸せを護り続けたいです、姫」
「――ずっと待っているわ、私の一番大切な人よ。共に歩む、その日まで」
辛うじて押さえていた理性が、ミディスラシールの言葉によって弾き飛んだ。
左手を彼女の頭の後ろにやり、右手で軽く顎を持ち上げて、柔らかな唇の上にそっと自分の唇を乗せた。
周囲に音はなく、静寂が漂っている。
部屋の中で優しく口づけをしながら、お互いの愛情を確かめ合った。
やがて離すと、目と鼻の先でロカセナは囁いた。
「必ず隣に行きます。それまで少し待っていてください」
ミディスラシールはしっかり頷き返した。
「ええ。ただし私がおばあさんになるまでには隣に来てね」
二人はくすっと笑って、お互いに抱きしめあった。
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