愛する者を護る為に(4)

 美しく滑らかな土――いや石の壁が出現した。その直後、硬質なもの同士が衝突しあう音がした。

「また邪魔!? いい加減にしてよ!」

 カトリが苛立った声を発している中、リディスは土の壁を見ながら後退し、部屋の入り口に軽く視線を向けた。金色の髪の女性が銀髪の青年と支え合いながら立っている。二人とも顔色は良くないが、目は死んでいなかった。

 さらに後ろには、息を切らして部屋に入ってきたルーズニルたちの姿もあった。

「――結界すら張らずにモンスターに挑むなんて、どれだけ無茶な攻撃を仕掛けているの。たしかに結界を張っていたら、意識が散漫して攻撃の威力は落ちる。けれど、すべての力を攻撃に回していたら、反撃された時点で死ぬわよ」

 気丈な声ではっきり言って、ミディスラシールはにこりと微笑んだ。ロカセナもつられて表情を緩ます。

 二人の無事を確認すると、リディスたちは胸を撫で下ろした。

 戦闘中もミディスラシールの安否が気になっていたため、集中し切れなかった。だが彼女を見たことで、それに関して気に病むこともなくなり、自然と力が漲ってくる。

「すみません、ミディスラシール姫。一ついいですか? どの程度までなら召喚できますか?」

「一回ならいつも通りの召喚はできるわ。回数を重ねるのなら、威力はいつもより落ちる」

 腕を戻したカトリが寄ってくるのを、リディスは土の壁の脇から見る。それから視線を逸らさずに言った。

「一回だけお願いできますか、カルロット隊長みたいなことを」

 ミディスラシールは眉を軽く上げてから首を振った。

「いいわよ。任せなさい。――フリート、リディスを援護しなさい。ロカセナ、もう少し前に進むわよ」

「あたしの邪魔をしないで!」

 カトリは土の壁の横に移動して、入り口に向かって左腕を伸ばした。鋭く尖った先端がミディスラシールに迫る。

 それをロカセナがサーベルで弾き、さらには隠し持っていたナイフを投げて追撃した。

 ひ弱な攻撃であるが、リディスにとっては有り難い時間稼ぎとなった。

 ナイフが投げられると、リディスは駆け出した。怪我や疲労が積み重なり、速度も落ちている状態で走る。カトリが右腕でナイフを弾き落としている間に、懐に入り込もうとした。

 だがさすがに敵もそこまで甘くはない。攻撃をやり過ごした両腕が、リディスの両脇から迫ってきた。カトリの口元は大きくにやけている。両脇から串刺しにする算段だろう。

 リディスは後ろにいるフリートに軽く目配せをする。

 そして右足を大きく踏み込み、前に向かって跳躍した。それに合わせるかのように、ルーズニルによって風が召喚されて高く舞い上がる。リディスは軽々とカトリの頭上を飛び越えて、床に足を付けた。

 後ろにいたフリートはカトリの両腕を受け止め、あらん限りの力を使って突き飛ばしている。


「魔宝珠は樹の元へ、魂は天の元へ――」


 振り向きながら早口で詠唱文を紡ぐ。

 スピアの先端が堅くなり、さらには鋭さが増した。通常時に使っている金属とはまったく違う、非常に堅い鉱物に変化する。


「生まれしすべてのものよ、在るべき処へ――」


 最後の言葉を発する直前、雲の合間から射し込んだ光がカトリを照らし出した。一瞬目を眩ます人型のモンスター。

 リディスは握り手に力を入れて、スピアを前に突き出した。


「還れ!」


 カトリの後ろ首にリディスのショートスピアが突き刺さる。強固な金属に変化した切っ先が、堅い皮膚の中に入っていく。表情が歪みそうになるのを耐えながら、深く刺し込んだ。

 カトリの雄叫び声が部屋の中に響く。黒い霧が漏れ出てくる。

「また人を殺すの、鍵……!」

「あなたは人ではない。人が元であるけれど、所詮は虚構の存在よ。だから在るべき処に戻りなさい」

「あたしを還しても、他のモンスターが人間たちを襲い続ける。お前たちが消えない限り永遠にね! どうせ何をしても――」

「それなら一生還し続ける。ただそれだけよ」

 カトリは目を丸くした後に盛大に笑い出す。その全身が黒い霧となっていくのを見ながら、ぽつりと呟いた。

「さようなら――」

 別れの言葉を述べると、体はすべて消えて黒い霧となる。そしてリディスがスピアで空を切ると、霧散した。

 殺気は消え、部屋の中に静けさが戻る。

 呼吸が上がっていたリディスはモンスターの気配が無くなったのを実感すると、スピアの召喚を解き、崩れるようにしてその場に座り込んだ。

 リディス以外の者もほとんど疲労困憊の状態で腰を下ろしている。フリートは前屈みになりながらも、リディスに寄ってきた。そして傍で片膝を立てる。

「終わったな」

「どうにか……ね」

 フリートの顔を見ると緊張の糸が切れたのか、頭がくらっとした。後ろに倒れそうになったが、フリートが肩を抱いて受け止めてくれる。彼の腕の中で安心して四肢の緊張を緩ましていると、フリートがある一点を見て、眉をひそませた。

「お前、手……」

 フリートに指摘されたリディスは、自身の両手を見て思わず苦笑してしまった。

 必死だったため気づかなかったが、手が擦り切れて真っ赤である。

 ミディスラシールにスピアの先端を別の物質に変換してもらった際、いつもより重量感があった。それを勢いよく回転したり、振り落とさないようにきつく握っていたため、無意識のうちに手に負荷がかかっていたようだ。

 溜息を吐いたフリートは、持っていたハンカチでリディスの右手を縛り上げる。

「一応女なんだろう。跡でも残ったらどうするんだ。気を付けろよ、そこら辺も」

「わかっているって」

「お前みたいに無茶ばっかりする女、そこら辺の男じゃ絶対に相手にできねぇな」

 リディスがきょとんとしてフリートを見ると、即座に視線を逸らされる。彼の頬が仄かに赤いように見えた。

 一息ついていると、部屋の中にカルロットや騎士たちが入り込んできた。隊長は怪我人を一カ所に集め、部屋の現状復帰をするよう、騎士たちに次々と指示を出していった。

 リディスはフリートと一緒に、壁に寄り掛かっているミディスラシールとロカセナの元に寄った。どことなく清々しい表情をしているミディスラシールが出迎えてくれる。

「その服と怪我でよく還したわね」

「皆さんの援護があったからですよ、ありがとうございます」

「お礼なら彼に言って。私がここまで元気になったのは、体を張ってくれたロカセナのおかげだから」

 ミディスラシールがロカセナの肩に軽く頭を預けた。にこにこしていた銀髪の青年の表情がやや固まり、横目で彼女を眺める。

「僕に寄りかかるより、横になった方がいいと思います。まだ毒は残っているでしょうから」

「貴方だって人のこと言えないでしょう。私の毒を吸い取ってくれたんだから」

 ミディスラシールの発言を受けたロカセナは、若干顔をひきつらせた。リディスは思わず首を傾げる。

「吸い取る? 毒をどうやって?」

「言葉通りの意味よ。私のきず――」

「姫、いい加減に休んで下さい! 体力が消耗している時に召喚したんですから、相当負荷がかかっているはずでしょう!」

 ロカセナが慌てて口を挟んでくる。リディスが目を瞬かせていると、横からメリッグが首を伸ばしてきた。

「あら、お久しぶり。どうやら見ないうちに仲が深まったようね、お姫様たち」

「メリッグさん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

「戻ってきた途端、こんなのに巻き込まれていたら、いくら命があっても足りないわ。――さて金髪のお二人さん、部屋の端にいる人にはどう説明するつもり?」

 リディスとミディスラシールは首をくねらせて部屋の端に視線を向ける。そこにいたやや明るい灰色の髪の青年を見て、二人で視線を合わせた。リディスが渋々頷くと、二人で頭を抱えむ。

 どこまで見ていたかわからないが、リディスとミディスラシールが一緒にいるところは、間違いなく見ている。下手したら姫という単語も聞いている可能性があった。

 ミディスラシールは深々と息を吐く。

「こうなったらしょうがない、腹括るわ。事情を説明しに行くわよ。こんな惨状になったら誤魔化しきれるものじゃない」

「わかりました。少しでも穏便にすむよう努力しましょう」

 ミディスラシールは先に立ち上がったロカセナの手を取って立ち上がり、アーヴル皇子に向かって歩き出した。リディスは自力で立ち上がりつつも、フリートに支えられながら彼女たちの後をついて行く。


 部屋の端で呆然と惨状を眺めているアーヴルに、満身創痍の四人がお互いに支え合いながら近づいた。彼は四人に気づくと、目を大きく見開く。そしてリディスの元に駆け寄ってきた。

「大丈夫でしたか、ミディスラシール姫!」

 思わず視線を横に向けてしまった。アーヴルは一歩離れた位置で立ち止まると、リディスとミディスラシールの二人を見比べた。金色の長い髪、緑色の意志が強そうな瞳、凛とした雰囲気など、よく似ているだろう。

「ミディスラシール姫、こちらの方は……?」

 アーヴルはリディスを見ながら、ミディスラシールを手で示す。姫は前に出て、深く頭を下げた。

「大変申し訳ありませんでした、アーヴル皇子」

「どうして貴女が謝るのですか?」

 ミディスラシールは躊躇いながら頭を上げた。

「私がミディスラシールです。彼女の本当の名はリディス。私の――遠い親戚です」

 ミディスラシールの打ち開け話に、アーヴルは戸惑いの表情を浮かべた。

「貴女がミディスラシール姫なら、どうしてリディスさんが貴女に……」

「実は先程襲われた賊の一部に連れ去られていまして、身動きが取れない状態にありました。アーヴル皇子には余計な心配をかけたくないと思い、急遽代理を立たせて、名を偽ってもらいました。この責任はすべて私にあります。彼女は悪くはありません。お怒りになるのなら、私一個人にしてください」

 リディスは声を出そうとしたが、ミディスラシールから感じる無言の圧力によって口を開けられなかった。彼女の表情は堅く、口をぎゅっと閉じて、再び頭を下げる。

 すべての罰やお叱り、今回の件を盾にして突きつけられる条件も、すべて自分だけで受け止めると言っているような様子だった。

 アーヴルはミディスラシールをじっと見て、ちらりとリディス、フリート、そしてロカセナを見てから、表情を緩めた。

「頭を上げてください、ミディスラシール姫。私は貴女と真正面からお話をしたいです」

 言葉に従って、ミディスラシールは彼に視線をあわせた。

「とても綺麗な緑色の瞳ですね」

「ありがとうございます……」

「貴女も本当にお美しいですね。思わず一目惚れしてしまいそうです。外見も気高い雰囲気も」

 柔らかな微笑みを向けられ、ミディスラシールは軽く目を見開いた。すぐ傍にいたロカセナがほんの僅かに右手を握りしめている。

 アーヴルは四人だけでなく部屋全体を見渡してから、右の手のひらを上に向けた。

「仕切り直しといきませんか? 私の滞在期間はまだ一日と少し残っています。皆様怪我をされたり、お疲れのようですから、駆け足となりますが明日会合を開きませんか? 私としては少しでも元気な姿の皆様と色々とお話をしたいです」

「お怒りにならないのですか? 私は大変失礼なことをしたんですよ? 代役を立てるという……」

 ミディスラシールはアーヴルの対応に驚きの声を上げる。彼は首を横に振った。

「私は見聞を広めるために城の関係者とお話をしたく、こちらに来ました。ミディスラシール姫の名前を出してお会いしたいと申し出てはいませんよ。歳が近い方だといいとは言いましたが……。ですからリディスさんでも充分私が望んでいた人物なのですよ。それなのにどうして怒る必要があるのですか?」

 アーヴル皇子の相手にミディスラシール姫が適当だと答えたのは、ミスガルム国王だ。バナル帝国側から要求があったなど、どこの話を探ってもまったく出てこなかった。

 状況を理解したミディスラシールは、ようやく笑みを浮かべて頭を下げた。

「寛大なお言葉をありがとうございます。そうですね、また明日にでもたくさんお話いたしましょう。私も少々疲れておりまして……」

「見ていればわかります。銀髪の彼がいなければ、立っていることすら難しいでしょう。今日はどうぞお休みください」

 アーヴルは一歩下がると、フリートとロカセナを交互に見た。

「お二人もどうぞ休んでくささい。行動的な女性を支えていると、何かと気遣いが多いでしょうから」

「……皇子はそのようなご経験でもあるのですか?」

 ロカセナが軽く首を傾げて質問を入れ込んでくる。アーヴルは首を縦に振った。

「はい。私の姉が非常に行動的で、小さい頃はよく振り回されていました。そのおかげか今では私も怖いもの知らずの人間になっています」

 苦笑して言ったのを見たリディスとミディスラシール、そしてフリートはつられてくすりと笑った。

 ロカセナも表面上はにこにこしていたが、明らかに作り笑顔だとリディスは薄々察していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る