愛する者を護る為に(3)

 * * *



 着ていたドレスは戦闘開始早々無惨な形になり、途中でリディスはスカート部分を捲りあげて縛っていた。

 動きにくいドレスを着ているのもあるが、毒蜂に刺された影響が残っていたため、いつもより動けなかった。

 それをフリートは察しているのか、積極的にカトリの相手をしていた。決して得意な相手でないにも関わらず盾になろうとする姿を見ると、胸が熱くなる。

 カトリの足下に薄らと氷が張られた。それに気づいたカトリはその場を飛び上がる。その動きを見越し、二階へ続く階段の踊り場に上っていたトルが、それに向かってウォーハンマーを振り下ろした。

 トルに気付いたカトリは堅く鋭い右腕でハンマーを弾く。彼が怯んだ隙に、開いた左手を前に出した。その指先から五本の鋭い切っ先が伸びてくる。寸前でトルは避けるが、足を滑らせてしまい、踊り場から落下した。

 メリッグは舌打ちをしつつも、落下するトルの真下に幾重もの薄い氷を作り出す。氷が割れる甲高い音が何度かした後に、トルは背中から床に着地した。

 紺色の髪を払いながらメリッグはトルに駆け寄り、しゃがみ込む。

「大丈夫?」

「ああ、どうにか。ありがとな」

 トルは呻き声を発して起きあがった。

「起き上がれるくらい元気なら、氷の枚数を減らせばよかったわ。あの召喚かなり高度な技で、私の体にも負担がかかるから使いたくないのよ」

 メリッグは嫌みの言葉を漏らして立ち上がるなり、ふらついた。トルは慌てて彼女を支えて腰を下ろさせる。

 その様子を見たリディスは、手をぎゅっと握りしめた。メリッグですら、過度な加勢は期待できない。

 今はフリートがカトリと対峙しているが、完全に押されている。他の騎士たちは相手にならず、既に意識を失っている者が大多数だ。

 カトリはリディスのみに狙いを定めているため、その他大多数には目もくれていない。だがもし人間を殺すことも念頭に入れ始めれば、この状態では死者が出てくるはずだ。

 カトリの狙いはリディス。

 リディスは今、屋敷の中にいる。

 死傷者を減らすためには、ここで自分が――。

「姉妹揃って自分を犠牲にしたがるのは、いい加減やめて欲しいのだが?」

 はっきりと耳に届いてくる、凛とした女性の声。

 雨が強く降っている中、雷鳴が轟いた。部屋に備え付けられていた光宝珠の光は消えていたため、雷が鳴ると屋敷の中が一瞬明るくなる。

 同時に外に通じる大きな窓から踏み入れた、一人の女性の影が映し出された。その面影の主である騎士団長ルドリは悠々と屋敷の中に入ってくる。そして真っ直ぐカトリのもとに進んでいった。途中で波形の刃の剣フランベルジュを召喚している。

 雷が何度か続いて轟く。

「外から見ていたが、圧倒的に力が足りないな、お前ら。特にフリート、そんなちゃちな斬撃ではカルロットにすら一生勝てない」

 カトリは髪を払って、胡乱気な目つきでルドリを眺める。

「何よ、あんた。あたしの邪魔をしないでくれる?」

「邪魔をする気はなかったが、あまり長引かせたくはない戦闘だから、割り込ませてもらう。――悪く思うなよ。私の任務の最中に現れたのが、運の尽きだったと思え」

 ルドリは両手でフランベルジュを握りしめて、駆け出した。カトリとの距離は見る見るうちに縮まっていく。迫られた側は目を見開き、両腕を堅くして前方で交差する。ルドリはその腕に向かって剣を振り下ろした。

 あまりの堅さに跳ね返される――そう思ったが、その予想は覆され、ルドリの剣によって腕は真二つに切断された。

 カトリが驚愕の表情を浮かべる。切断された断面は黒く、やや熱が込められたのか赤く光っていた。

「団長が得意とする、斬られたら回復が難しいフランベルジュと火の精霊サラマンダーを重ね合わせた剣技――。これに斬られたら、間違いなく相手は終わる」

 リディスの傍に寄っていたフリートが悔しそうな表情で説明をしてくれる。

 あれだけ楽しそうに戦闘をしていたカトリが、今では必死になってルドリから逃げようとしていた。

「この程度か、お前は」

 カトリは壁に背中が当たると、冷めた表情で見下ろしている団長を脅えながら見上げていた。

「消えろ」

 フランベルジュを振り上げて、刃を向けて振り下げた。

 その瞬間カトリの口元が大きくにやける。リディスは僅かに漏れた殺気を感じ、フリートの腕を引っ張ってその場から離れた。

 剣がカトリを切断する直前、腕が一瞬で生えきる。左腕は拳を作ってルドリの腹に、右腕は先端を伸ばしてリディスがさっきいた場所に向かって伸びていた。

 ルドリは苦悶の表情を浮かべながら、攻撃を受けた衝撃を利用して、その場から離れる。

「復元能力が速すぎだな」

 後退しながら着地したルドリは、床に向かって唾を吐き捨てる。その唾には血が混じっていた。

 ルドリの様子を見たカトリは、声を上げて高らかと笑い出す。

「知っているよ、人間たちがあたしたちをどう還すか! 致命傷を一発で負わすか、こっちの体力を少しずつ削って動けなくするかのどちらかでしょ。でも私にはどちらの方法も使えない。だってそこらのモンスターよりも能力は遥かに上だもの!」

 人間たちを見下しながら、カトリは歯を見せて笑っていた。


 ラグナレクとの戦闘後、もしモンスターが進化する可能性があるのなら、三つの方向に分かれるだろうとミーミル村の知識人ヴォルが言っていた。

 一つ目は戦闘能力が全体的に向上すること。

 二つ目は知恵が付くようになること。

 そして三つ目が肉体的に成長し、ほぼ不死身状態になることだ。


 不運にも目の前にいるモンスターは、その三つすべてを兼ね備えていることになる。攻撃の規模はラグナレクよりも小さいが、非常に厄介な相手であるのは変わりなかった。

「固い相手を一発で還さなければならない……か。久々に面白いやつがでてきたな」

 ルドリがにやけながらカトリを睨みつけている。

 団長の表情を見たフリートは、リディスの耳元に口を寄せた。

「悔しいが、ここは団長に任せよう。俺たちがまともに相手をしてかなう相手ではない」

「そうね……。今は還すことを優先するべき。私たちは邪魔にならない程度に逃げ――」

「ねえ鍵、逃げるなんて馬鹿なこと言わないで。あとそっちの女、次に攻撃を仕掛けてきたら、奥に逃げ込んだ人たちを殺す。この屋敷の柱でも全部壊せば、そいつらも死ぬでしょう?」

 フランベルジュに火の精霊の力を込めていたルドリの眉間にしわが寄った。

「詳しいことは知らないけど、なんか偉い人が来ているって聞いた。その人が死んだら、結構困るんじゃない?」

「そういうところまで頭が回るとは、モンスターのくせにやるじゃないか。だがこの屋敷を一瞬で潰すなど、そんな芸当がお前にはできるのか?」

 瞬間、床に太い亀裂が一本走った。床だけでなく土台まで突き抜け、地面さえ薄らと見える。カトリは長くなった指を掲げた。

「今の指一本だけ。全本位に伸ばせば、屋敷なんて一瞬よ」

「まるで破壊兵器だな」

 ルドリが忌々しく吐き捨てると、フランベルジュを鞘にしまい込んだ。その行動に従うかのように、周囲に漂っていた火の精霊の気配も消えた。身内にはとても厳しい彼女だが、さすがに他国の王族の身に危険が迫るようなことはしないようだ。

 カトリは共に行動していた男たちから、アーヴル皇子のことを聞いたのだろう。得た情報を用いて駆け引きまでもできるとは、本当にモンスターなのかと疑ってしまいそうである。

 カトリは団長が手を出してこないのを見てから、リディスたちの方に鼻歌交じりで歩み寄りだした。

「さてと鍵、楽しみながら殺してあげる」

 フリートがリディスの盾になろうと背中を押しつけてくるが、それをはねのけて前に出た。

「おい、リディス!」

「カトリは私が還す。これは三年前から今まで続いている世界への、私なりのけじめのつけ方よ。すべてを受け止めて、彼女を還す」

「思い通りに動けないのに何を言ってやがる。俺が攻めて還しにいった方が確率的にうまくいく。――その細いスピアだけで、一突きで還せるのか?」

 フリートの的確な指摘をされて口を閉じる。このスピアだけで還せる相手とは思えない。

 かつては精霊の加護を受けたことで、カトリと同様の種であるアトリをどうにか還した。だがラグナレクを還す時、それを実行するのと引き換えにリディスは加護を失い、スピアを扱うただの還術士に戻ってしまった。

「何か作戦は?」

「……できれば精霊の加護がほしい。カトリを貫通できるくらい、スピアの先端を硬くする加護を」

 無理だと思いつつも、リディスは本音をフリートに零した。

 精霊は火、水、風、土の四種類があり、リディスが今最も加護を欲している精霊は土の精霊ノームである。

 メリッグの召喚術はたしかに優れているが、それは水の精霊ウンディーネの加護によるもの。いくら固い氷を召喚しても砕かれる可能性は高い。トルとフリートもそれぞれ火と土の精霊の加護を受けているが、強さとしては非常に物足りなかった。

 土の精霊の加護を存分に受けている彼女がこの場にいれば、これほど心強いものはなかったが――。

「……この場にいない人のことを思い浮かべても、時間の無駄ね」

 苦笑して、リディスはスピアを握り直した。

「カトリの復元能力には驚いたけど、瞬時に行われるものではない。視界を少しでも奪った後に、背後に回り込んで急所の一つを狙う」

「お前、よく堂々と物騒なことを話せるな」

 フリートが心配そうな顔をしている。それを和らげるために表情を少し緩めた。

「三年前に悟ったのよ。この世界は決して綺麗事だけでは生きていけない。還術士を続けるのならそれは尚更だって。モンスターの正体を知ったあの時、スピアを置こうかとも思った。でも置かなかったのはフリートが止めてくれたからよ」


『スピアに還術印を施してもらった瞬間から、お前は還術士になった。モンスターの脅威から生きている人間たちを護るための人間になったんだよ!』


 それはリディスの心が折れそうになった時に、彼から出された言葉だ。

 あの時は混乱しすぎていて、冷静にその言葉を受け止めきれなかった。しかし徐々にその意味合いを理解し、今ではその言葉を噛みしめながら還していた。


 また魔宝樹の下でラグナレクと攻防をした時、改めてわかったことがあった。

 還術というのは人間たちが身を護るための防衛手段である。同時にモンスターとなってしまった人間たちの負の心を、解き放つための手段でもあるのだ。

 だから相手が人型であろうが、言葉を話そうが、やるべきことは以前と同じだった。

 人間たちがいるからゆえに生まれるモンスターを、人間たちの手で還すことを。

「……私は外の世界を知らない昔の自分じゃない。善も悪もすべて受け止める。皆を護る為なら、私は自分の手を汚すのを厭わないわ」

 その言葉を聞いたフリートは寂しそうな顔をしていた。リディスはくすっと笑うと、彼の背中を軽く拳で触れた。


「背中を護りあうってことは、同じ目線でいるってことでしょ。私に汚れた部分を見せたくないなんて、それはあまりに虫が良すぎることよ」


 フリートの視界から避けるように移動して、リディスはカトリの動きに集中した。

 このドレスで走っても、すぐにカトリに迫られて、先手を取られてしまうだろう。攻防を同時にこなすのは難しい。それならば防御に徹してからの反撃が一番いいはずだ。

 じりじりとカトリに近寄ると、リディスの横を黒髪の青年が颯爽と駆け抜けていった。

 にやにやしていたカトリがあからさまに嫌そうな顔をフリートに向け、伸びた右腕を激しく彼に叩きつけた。フリートはそれを剣で受け止める。一瞬止まったが、徐々に押され始めてしまう。

 その隙にリディスは相手の死角に入ろうと試みた。

「そんな動きばればれ!」

 左腕を鋭く尖らせて、リディスに向かって伸ばす。リディスは立ち止まり、ぎりぎりまで待ち、触れる寸前で体を捻らせて避けた。

 伸ばされた左腕はすぐには止まらず、部屋の奥まで伸びていった。それを見届けることなく、リディスは軽く反動をつけてから、カトリとの間を詰め寄る。

 カトリは表情を引き締め、左腕を真上にあげた。見る見るうちに腕は縮まっていく。

 リディスが間合いを詰め終わるのが先か、カトリが腕を元に戻すのが先か。

 走っていると、カトリの眉間にしわが寄った。途端、腕の縮まる速度が遅くなる。

 背後から微かにだが冷気を感じた。

 体力的に辛い中、援護に回ってくれるメリッグに感謝しながら、リディスは軽やかに床を飛んだ。そして歯を食いしばりながら、カトリの右目を貫いた。

 甲高い叫び声が部屋の中に響く。すぐさま引き抜き、後ろへ周り、体を回転させながらカトリの後ろ首に照準を定めた。詠唱文を極力省いて、還術を試みる。

「生まれしすべてのものよ、在るべき処へ――」

「ねえ、在るべき処ってどこ?」

 殺気のこもったカトリの声が、耳に飛び込んでくる。

 カトリの両腕はまだ伸びきったままだが、リディスに向けて左足を大きく上げていた。絶妙な体勢を保ったまま、左足が伸びてくる。先端は鋭く尖っていた。

「お前が在るべき処に行け」

 攻撃の態勢に入っていたため、防御に移れなかった。切っ先が目の前に迫る。

 カトリの後ろでは、血の気の引いたフリートが見えた。

「リディス!」

 自分の甘さに悔やみながら覚悟した瞬間、目の前に土の塊が床から飛び出した。

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