番外編8 あなたと初めて踊る夜は
あなたと初めて踊る夜は(1)
どうしてこのような格好をして、フリートと並んでいるのだろうか。
慣れない服を着ているため動きにくいだけでなく、気恥ずかしさで体が萎縮してしまいそうだ。
おそらくリディスくらいの年齢の娘なら、笑顔でこの服を着て、目の前にある扉を開けるだろう。
華やかな舞台に出て、多くの人の注目を浴びることを喜ばしく思うだろう。
だがリディスはそんな注目などされずに、ひっそりと参加したかった。
足が進まないでいると、そっとフリートが手を差し出してきた。彼の表情も固く、頬が赤い。
「ここで突っ立っていても何も始まらない。覚悟を決めて行くぞ」
リディスは首を縦に振って、彼の手を取った。
「わかった。行きましょう」
そして二人は扉を開いて、中をくぐった。
* * *
事の発端は数日前に遡る。ミスガルム城から手紙を運びつつ、情報交換をするために、アスガルム領に訪れた時のことだ。
諸事情の関係で、時折リディスとフリートがその役割を担っていた。今回は第三部隊長のカルロットが、時間ができたから是非とも話をしたいと言って同行している。おそらくその台詞の半分は嘘で、机の上に溜まっている書類から逃げたかったために来たのだろう。
以前はよく副隊長のセリオーヌが同行していたが、現在は出産後の育児真っ盛りのため、休職という形をとっていた。
「他の奴も一緒に行きたがっていたが、まだあいつと会うのに過剰に反応する奴がいるからな……」
カルロットが馬を走らせながらぼやいた人物は、かつて罪を犯し、今は大樹の護り人の護衛兼情報交換役となっている青年だ。リディスとフリートにとっては大切な仲間であり、友人である。
彼は自分がしたことを悔やみ、充分に反省しているが、こちらに与えた傷が深かったため、未だに彼と折り合いがつかない人がいた。そのため城内では迂闊に彼の名前すら出せなかった。
ドラシル半島に恩恵を与えている魔宝樹の傍に行くと、穏やかな表情をした銀髪の青年が小屋の中から出てきた。彼はカルロットを見て目を丸くしている。そして小走りで駆け寄ってきた。
「カルロット隊長、どうしたんですか!?」
カルロットは青年に近づくと、彼の頭をくしゃりと撫でた。
「元気そうだな、ロカセナ。今回はセリオーヌの代わりに俺が来た。あと、ちょっくら大樹の加護っていうのを感じようかと思ってな」
「副隊長、出産なさったんですよね。おめでとうございます。この前フリートから聞きました。しばらく職場復帰はできないんですよね?」
ロカセナは先頭に立って、大樹の周りに沿って歩き出す。
「ああ。おかげで俺の部隊は大混乱だ」
きっぱり言い切ると、後ろにいた黒髪の青年が頭をかいていた。
「混乱はしていましたが、大混乱まではしていませんよ。どうにか仕事も割り振って、回っているじゃないですか。そういう調整やまとめ役は部隊の一番上に立つ者の仕事です。どうして副隊長にそれを任せていたんですか!」
「今もお前のおかげでどうにかなっているだろ。ある立場の人間がいなくなったら、自然と他の奴らでどうにかしようとするから、意外と組織っていうのは大丈夫なんだよ。いつも色々とありがとな」
「たまに真面目なことを言っていい上司ぶりを演じても、俺は隊長が書類の山から逃げ出すのを黙認しませんからね!」
フリートの必死の呼びかけに対し、カルロットは耳も傾けずに、背を向けて歩いていた。その姿を見て、フリートは盛大に溜息を吐く。言っても無駄とはわかっているが、言わずにはいられないようだ。
ロカセナに連れられて大樹の近くにある集落に向かうと、ちょうどイズナが花壇の前にいる時だった。
彼女が両手を組んで目を閉じると、銀色の長い髪が軽く浮かび上がった。すると彼女の目の前にある何もない空間から水が湧き上がり、それが地面を濡らし始めた。ある程度地面を濡らすと、彼女は目をあけて、両手をといた。それと同時に水は消え去る。
一連の動作を終えたのを見届けると、ロカセナはイズナに近づいた。気配を察した彼女が振り返ってくる。
「こんにちは、ロカセナ君。あら、リディスさんにフリート君も、こんにちは。そして……カルロット隊長ですよね、お久しぶりです。どうかされましたか?」
イズナはきょとんとした表情でカルロットを見上げている。線が細いイズナと、背が高くて体格がいいカルロットが並ぶと、まるで小動物と大動物のようだ。
隊長は右手を胸に当てて、笑みを浮かべて軽く頭を下げる。
「ご無沙汰しております、イズナ嬢。今日はセリオーヌの代わりにお礼と、そして今後の私どもとの交流についてお話があり、参りました。まずはこの度は結構なものを頂戴し、ありがとうございます」
「いえ、むしろあれくらいの物しか渡せず、すみません。時間があれば、もっと装飾を凝らした物をお渡しできたのですが……」
「レーラズの樹の加護を強く受けた魔宝珠以上に、有り難い物はありません」
「そう言っていただけると、嬉しいです。お子さまに幸あらんことを願っています」
先日、リディスがロカセナにセリオーヌが出産したことを伝えると、イズナが出産祝いにと、急いで魔宝珠に加護を込めてくれたのだ。小瓶の中に入れたその宝珠は、装飾はされていなかったが、瓶に触れているだけでも充分加護を感じることができる代物だった。
装飾など、あとでいくらでもできる。このような貴重な物をもらえること自体、素晴らしいことなのだ。
イズナはカルロットと後ろにいるリディスたちを見てから、自分の家を軽く見た。
「皆様、詳しいお話については中でゆっくりしましょう。お時間はありますか?」
「数日間は城をあけると言ってきましたので、その点は大丈夫です」
「わかりました。……あの、隊長さんとお話をしたがっていた人が何人かいますので、その方たちも連れてきていいでしょうか?」
「構いませんよ。せっかくの機会ですから、自分も色々な人と話をしたいです」
「ありがとうございます。では先に中に入って、待っていてください」
イズナがドアに触れていると、集落の方から一人の中年の女性が駆けてきた。
「イズナ様!」
「どうかされましたか?」
イズナが振り返り、前に出ると、息を整えながら彼女は寄ってきた。
「すみません、お取り込み中」
イズナはちらりとカルロットを見る。彼は手で促すと、イズナは頷き返した。
「大丈夫です。何かあったのですか?」
「実は娘が二週間以上、帰ってきていないのです」
「どこに行かれたのですか?」
「ミスガルム領にある港町のラルカ町です。娘が友人にあるパーティに誘われて行ったのですが、その開催日から一週間以上たっても帰ってこないのです。寄り道をしたことを考慮しても、遅すぎると思います。伝書鳩を飛ばしましたが、まだ返事はありません。さらにある日を境にして、娘の加護をほとんど感じられなくなってしまったのです。私の力が弱いからかもしれませんが……」
「それで私に加護を察してほしいのですね。わかりました」
女性は頷くと、娘の上着を差し出した。
精霊の加護に非常に敏感な者であれば、探したい人物が使っていた物に触れることで、その人に加護を与えている精霊の道筋をある程度追うことができる。ただしかなり難しい技量を要するため、ほんの一握りの者しかできなかった。
イズナはそっと触れて、目を瞑る。彼女の周囲に精霊が寄ってきているのか、周囲の空間に歪みが生じていた。やがて彼女は目を開けると、難しい顔をして口元に軽く触れる。
「……加護は感じますが、とても弱いですね。普通に生活していれば、こんなに弱くなることはありません」
「それはどういうことでしょうか……」
「あくまで可能性の一つですが、何らかの理由で動けなくなっているかもしれません」
「それは事件に巻き込まれた場合があるってことですか?」
イズナが躊躇いながらも頷くと、母親の顔が見る見るうちに青ざめていく。ふらつきそうになるところを、後ろからカルロットが支えた。
「すみません……」
「奥さん、もし知っていれば教えて頂けないでしょうか。娘さんが行ったパーティの名前を」
「たしか『大樹を囲む会』というものだったかと」
カルロットは眉をひそませる。フリートも似たような反応をしていた。
「娘さんはどこで知り合ったお友達と行ったのですか?」
「ミスガルム王国です。何も知らない自分に色々と案内をしてくれた、親切な人だと言っていました」
「……まさか王都にまで手が伸びていたとはな。こりゃとっとと対策しねぇと、やばいかもしれん」
カルロットは頭をかいた後に、フリートに視線を向けた。そして隣にいるリディス、ロカセナへと移動する。
「リディスとロカセナ、ちょっと俺らの仕事に付き合ってくれ」
「お仕事ですか?」
「僕もですか?」
ロカセナが指で自分をさすと、カルロットは何度か頷いた。
「ああ。フリートとリディスだけでもいいが、潜入した際、裏で動ける三人目もいたほうがいい」
カルロットは歩きだし、イズナの隣に移動して、母親を見据えた。
「奥さんの娘さんは、もしかしたら面倒な団体に捕まっているかもしれない」
「な……!」
母親は目を大きく見開く。その顔を少しでも和らげようと、カルロットは表情を緩めた。
「ただし捕まっていたとしても、下手なことをしていなければ最悪の展開はないでしょう」
「カルロット隊長、それはどういう団体なのでしょうか?」
イズナが真剣な面持ちで聞いてくる。カルロットはすぐさま口を開いた。
「自分たちが知っている限り、とても宗教心が強い団体です。娘さんをその宗徒に仕立てあげて、教えを広めたいのかもしれません」
「教えはどのようなものですか。無害であるならば、あまり騒ぐのは得策では――」
「レーラズの樹は皆のものだ。だから葉、枝、そして幹まで切り刻んで皆に分け与えよう、というものですよ」
カルロットが淡々と言い放った。母親とイズナは体をびくりと震わす。あまりに物騒な内容だった。
イズナはぎゅっと拳を握りしめて、言い放った。
「そんな酷いこと、黙認できるはずがありません! 今すぐにでもその会を――」
「そう焦らないでくださいよ、イズナさん。体調がよくなって動けるようになったとはいえ、貴女がそれに関して積極的に動くべきではありません。こちらで対処しますよ。自分たちは半島の治安を護る部隊ですから」
そう言ってから、カルロットは再び視線を三人に戻した。フリートは腕を組んでいる。
「……隊長、話の断片から推測すると、こういうことですか? 俺たち三人がその会に入り込んで、主催者を吊し上げる証拠を集めつつ、捕まっている人たちを助け出す……と」
「察しがよくて助かるぜ。そういうことだ。部隊を大々的に突入させたいところだが、まだ大樹を切り刻むという、直接的な被害はない。今は考えを植え込んでいるところだ。それがいけないとは言いきれない。信仰は自由だからな。ただ、たいていそういう団体には裏の顔があるはずだ。そのネタを引っ張り出して、団体を潰したい。そうすれば被害は広まらずに、捕まっていた人たちも助け出せる」
腕を組んだフリートは、軽く首をひねった。
「そんな大役、俺たちがやっていいんですか? しかも相手が何人いるかわからない中、三人だけなんて……」
「娘さんのことを考えると早い方がいい。お前ら三人なら並の騎士の二班分の働きはできるだろう? 会場の外にいつでも侵入できる部隊は準備させておくから、潜入自体はお前たちだけでやれ」
「また無茶なことを……」
「お前は昔散々無茶なことをしただろう。それに比べたらかなりましだぞ。おい、やるかやらないのか、どうするんだ?」
フリートがリディスに視線を向けてくる。視線が合うと、彼は首を小さく横に振っていた。お前は騎士でもないから、危険なことを無理して引き受けることはない、とでも言っているようだ。
たしかに騎士ではないし、カルロットの
リディスは一歩前に出て、カルロットを真っ直ぐ見た。
「やります」
きっぱり言い切ると、フリートが左手を額に当てて頭を抱える。やがて戻すと、リディスの右肩に左手を乗せてきた。
「こいつが行って俺が行かないわけにはいかないでしょう。わかりました、行きますよ」
「よろしく頼むな。――ロカセナはどうする?」
「僕としては、むしろ行ってもいいんですかって感じですが。どうなんでしょう、イズナ様、カルロット隊長?」
ロカセナは頬をかきながら尋ねてきた。カルロットは彼に向かって、真顔で言い切る。
「うるさい連中たちが問題にしてきたら、たまたま居合わせたと言って、適当に誤魔化せ」
「予想通りの適当過ぎるお言葉を、ありがとうございます」
苦笑いしながらロカセナは頭を下げる。イズナを見ると、彼女は力強く頷き返した。
「野放しにすれば、将来的には樹にとって大問題になりかねないことです。是非とも二人の援護をして、彼女の娘を助け出してください」
「承知しました。ではその命を受けて、僕は一時的にここから離れさせて頂きます」
ロカセナは振り返り、リディスとフリートを見た。
「さて、作戦をたててから、町に行こうか。遅くても明日の朝にはここを出よう」
二人は首肯して、行動を開始した。
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