鍵が導く大樹の帰還(4)――魔宝樹の鍵

 若き樹はかつてあった大樹の半分ほどの大きさまで成長したところで、動きを止めた。

 リディスたちはミディスラシールと合流して、大樹から少し距離を付けたところに退避している。

 息を整えていると、空を覆い尽くすほどの小さな光の球が四方八方から大量に現れた。厚い雲に覆われていた空は、いつしか目映いくらいの光で埋め尽くされる。それらは樹に引き寄せられ、内部に取り込まれていった。

 途端、さらに勢いを増して樹の成長は進み出す。リディスたちが立っていた足下にもヒビが走った。誰もが最悪の展開を覚悟していると、足場の地面がリディスたちを乗せながら浮き上がった。そしてその一角だけがくぼ地の端っこに移動し始める。

「ちょちょちょ、何だこりゃ!?」

 トルが声を出すが、舌でも噛んだのか、すぐに黙り込む。成長している根が追ってくるが、それよりも移動速度は上。あっという間にくぼ地の端に辿り着き、根が迫ってくる前に慌てて上によじ登った。

 リディスは振り返って周囲を見渡す。見るも無残に枯れていた樹は消え去り、くぼ地の中は新たな樹の根で覆われていた。その根の中心部では、枝を伸ばして若葉を付けている大樹が佇んでいる。成長がひと段落したのか、ようやく静寂が戻った。

「魔宝樹がこの大地に戻ってきた……」

 地面に座り込んでいるミディスラシールがぽつりと呟くと、あたかも肯定するかのように魔宝樹は全体を光らせた。

「今なら……還せる」

 リディスは魔宝樹の傍で動きを止めているラグナレクを睨み付ける。ポケットに入れていた魔宝珠を握ってショートスピアを召喚した。召喚する際に静電気のようなものが全身に走ったが、特に窮することなく召喚はできた。

 背中越しからミディスラシールに声をかける。

「ミディスラシール姫、還術の威力を底上げする術を、私のスピアにしてください。私が還します」

「リディス、いいわよ。私が精霊召喚で還術するから――」

「精霊、今いますか?」

 思ったことを言い放つと、ミディスラシールは難しい表情を浮かべた。

 ある一定の能力を持っている者ならわかるはずだ。今、精霊は魔宝樹に取り込まれた状態にあり、リディスたちの周囲にはほとんどいない……と。

 こちらが樹の成長から逃げる際、精霊召喚を一切しなかったのもそれが要因のはずだ。おそらく生まれたばかりの樹を立派な大樹にするために、精霊たちが力を貸している段階なのだろう。

 だからこの瞬間に召喚できるのは、魔宝樹から直接恩恵を受け、四大元素の中でも特別な欠片を持ち合わせているリディスしかいないのだ。

「精霊が完全に消えたわけではありませんから、私たちが持っている欠片に力を与える程度の間接的なものはしてくれるでしょう。それに二重にして効果を倍増させたいのなら、中心にいるアスガルム領民の血を引く者も二人必要じゃないですか。そしたらミディスラシール姫は動けませんよね?」

 図星を突かれた彼女は、反対する言葉も出さずに黙り込む。そして静かに微笑んでいるロカセナの傍に渋々と寄った。

「わかったわよ。他の者に致命的な影響は受けさせず、さらにはリディスにも負担がかからず、ただ刺せばいいようにこちらで力を操作するわ。だから安心して行きなさい。ただ……」

 目を細めてラグナレクを見た。

「あれが動き出したら、こちらではどうにもならないから、絶対に無茶しないで。無理だと思ったら、すぐに下がりなさい。これは命令……いえ、お願いよ」

「わかりました。危険だと判断したら下がりますね」

「リディスちゃん、すまないけど、あとはよろしく頼んだよ。気を付けて」

「ロカセナ、ありがとう。大丈夫よ、私には皆の力や精霊たちの加護が付いているから。絶対に皆の前に戻ってくる」

 ミディスラシールは頑なすぎる妹に対して溜息を吐きながら、メリッグやヘラたちに先程と同じように四方に移動するよう指示をした。全力で走ってきたため誰もが疲れきっていたが、鮮やかな緑に包まれている魔宝樹を目にすると、自然と足は動いていた。

 リディスはミディスラシールたちに背を向ける。すると後ろから左肩を大きな手で掴まれた。

 振り返らなくても、その人物はわかっている。右手で傷ついたその手をそっと握りしめた。


「見ていて欲しい。鍵としての最後の役目を。そして鍵である者が辿り着いた覚悟の果てを」

「止めても無駄だってわかっているから、見届けてやるよ。何かあったらすぐに駆けつける。だからお前は前だけ向いて走っていろ」

「本当にありがとう、フリート。私が走り続けられるのは、貴方のおかげよ」


 手を離すと、黒髪の騎士は無言のまま所定の位置に移動した。

 リディスはスピアの先端をラグナレクではなく魔宝樹に向ける。こちらが意識せずとも、僅かながら力が流れ込んできた。

 かつて加護を与えてくれた大樹が、当然のことのようにリディスに力を与えてくれる。まるで在るべき処に戻ってきた魔宝樹が、新しい道を進むのを願うかのように、力をくれているようだ。

 各領民の血を引く十人の力と、精霊の残滓を残している魔宝珠の欠片の力が、ミディスラシールを通じてリディスのスピアに流れ込んできた。無駄なく力を増幅してくれる彼女の作業を目の当たりにして舌を巻く。落ち着いたらやり方を教えてもらおうと思いながら、曇りのない緑色の瞳をラグナレクに向けた。

 そして静かに闘志を燃やしながら、リディスはくぼ地の中に張り巡らされている根へと軽やかに降り立った。目映い光を照らし出すスピアを持って、太い根の上を走り出す。

 足がもつれることなく駆けられているのは、樹の加護のおかげだろう。創世の時代から見守り続けている大樹は、踏み締める度にか弱き生物を支えてくれていた。

 大樹にひたすら感謝をしながら、ラグナレクに駆け寄った。さきほどから動いた気配はないが、このまますんなりと終わるとは考えにくい。獲物を待ち伏せている蜘蛛のように、息を殺して静かに構えている可能性が高かった。

 皆の力を取り込んだスピアは、還術するための一回しか突けない。つまり余計な攻防ができないことを意味している。攻撃されたら逃げに徹するしかない。

 唾を飲みこみつつ、ラグナレクの様子を凝視した。真下にくると、身も竦むような殺気がリディスに襲いかかる。

 ラグナレクの目がかっと大きく見開く。すると頭上から巨大な重力球が放たれた。

 リディスはとっさに来た方向に戻ろうとする。だが行動を起こす前に精霊によって護られた。

 薄い水の膜に全身が包み込まれる。さらに鋭い氷の刃がいくつも発生し、重力球の中に飛び込んでいった。呆気なく吸収されてしまうが、数瞬後内部から水が漏れ始める。やがてぱんぱんに膨れ上がると、重力球が内部から爆発した。大量の水がその場に降り注いだ。

 予想外の壊され方に動揺したのか、ラグナレクの動きが止まる。それと同時にリディスが持っていた水の精霊ウンディーネが宿る欠片が砕け散った。

 リディスは相手から少し離れて、空に向かって伸びている根に足を乗せる。そこを一気に駆け出した。

 するとラグナレクは手のひらを広げ、ドラゴンの形をした一匹の大きなモンスターを召喚した。そのモンスターは口を大きく開くと、炎を吐き出す。

 リディスは火の精霊サラマンダーが宿っている欠片に触れると、吐き出された炎の倍にもなる炎を召喚した。

 それは相手側の炎を吸収し、その勢いのままモンスターを包み込んだ。モンスターは即座に黒い霧となって魔宝樹の中に取り込まれていく。役目を果たした火の欠片も静かに砕けた。

 体力が減少したラグナレクの表情が歪むが、すぐさま攻撃の仕方を光の線に切り替えた。意図も簡単に地面を抉る威力だったが、放たれた光はリディスの前にそびえ立った堅い土の壁によって阻まれる。

 怯んでいる隙にリディスは根を駆け上がり、踏み切って空に体を浮かべさせた。土の壁が消えると同時に欠片も砕け散った。

 風の力を借りながら、ラグナレクの目の前を飛ぶ。

 多数の手法で攻撃しても傷つけられない相手を前にして、ラグナレクは驚きの表情を浮かべていた。


「在るべき処である、人々の心の中に還ろう。それがあなたにとって在るべき姿なのだから。……私はあなたを飼い慣らして共に生き続ける。たとえ辛くても、苦しくても、いつまでも一緒よ」


 リディスはラグナレクに向けて静かに微笑んだ。

 スピアの先端に力を込める。

 独りよがりでも、投げやりでもない、多くの人の想いを背負った固い決心と共に。

 今まで出会ってきたすべての人を思い出し、これから出会う未来の人に想いを馳せ、リディスは魔宝樹に誓って慣れ親しんだ言葉を口ずさんだ。


「魔宝珠は大樹の元へ、人々の魂は天の元へ――」


 魔宝樹を通じて入ってくる、人々の想いが詰まった光がスピアの先端からさらに輝きを増す。

 フリートたちだけでなく、この大地に生を受けるものたちの思いが伝わってきた。


「――生まれしすべてものよ、在るべき処へ」


 過去と現代、そして未来に続く扉を開けるための鍵となろう。

 魔法の宝珠がなる樹が、再び存在する時代の幕開けとなる扉を開く鍵となろう。


 未来を生きる人々を護るため、そして未来へ通じる扉を開けてくれた青年たちをはじめとして、多くの人と生き続けるために――リディス・ユングリガは還術士として、同時に魔宝樹の鍵として、スピアをラグナレクの胸に突き刺した。


「――還れ!」


 先端がラグナレクに触れた瞬間、それは鮮やかな色の光に包まれる。そこから黒い霧が滲み出て、魔宝樹に次々と吸い込まれていった。樹は吸い込むと、それを中にゆっくり落とし込む。そして葉を作り、枝を伸ばす栄養として消化していった。

 リディスの目の前では、長年生あるものたちを苦しめ続けていたモンスターが、雄叫びを上げながら最期の時を迎えていた。

 おそらくラグナレクをここで還したとしても、いつかは似たような巨悪なモンスターがこの大地に戻ってくるだろう。それは生きものたちが負の感情を抱き続ければ、必ずあり得ることだ。

 しかし再度危機に直面した際には、魔宝樹が再び新たな芽を開いたように、人々の心の中でも覚悟や決意が新たに芽生えることで、それらの出来事を乗り越えられるはずである。

 だからリディスは安心して、還術をしたのだ。


 ラグナレクの最期の表情は、薄らと笑みを浮かべているようだった。

 再度戻って来るという意味もあるのか、それとも安らかに還ることができてほっとしているのか。何を意味しているかは、今のリディスにはわからなかった。

 やがてすべて黒い霧となり、魔宝樹に吸い込まれて浄化されていった。


 厚い雲で覆われた暗き空は少しずつ晴れ、その間から昇り始めた陽の光が射し込んでくる。

 魔宝樹にとっても、リディスたちにとっても、長い夜が終わり、ようやく青空が広がる朝がやってきた。


 始まりが終わり、新たな一歩を踏み出す歴史的な朝が――。




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