鍵が導く大樹の帰還(3)――道標は希望の種

 * * *



 ニルヘイム領の領主スルトはほっと一息をついて、椅子に深々と腰を下ろしていた。

 ヘイム町内で発生しかかっていた内乱をどうにか平定し、襲いかかるモンスターの群れを結界によりしのぎ終え、ようやく心を落ち着かせられる時間だった。部屋の中には護衛として雇っている傭兵もいるが、誰もが疲れきった表情で座り込んでいる。

 旧アスガルム領の中心で発生した黒い霧が、激しい光と同時に消え去ってからは、それまでの騒がしさが嘘のように静まり返っていた。

 静かに始まる終わりへの序章か、それとも本当に事が終わったのか。

 疑問に思いつつも今は体を休めていた。

「おそらくまだ終わりは迎えていないだろうな。薄暗い雲が未だに消えていない」

 スルトは目の前に置かれている自分の魔宝珠を眺めた。誰もが持つ心の支えであり、時として前に進むには必要なものである。

 そんな魔宝珠が突然光り出した。何かを召喚をしているわけでもないのに、光を発するなど異常である。

 スルトはそれに手を触れると、あまりの熱さに手をすぐに引っ込めた。困惑した状態で、その光を見つめていた。



 * * *



 一時の静寂の中で、スレイヤはフェルと壁に背を付けて寄り添いながら、風の魔宝珠がある部屋で眠っていた。

 長時間に及ぶ攻防、そして魔宝珠への祈りなどを繰り返し行っていた結果、体力が減少し過ぎたため、集中力が途切れて、途中で膝をついてしまったのだ。それを見たミーミル村の自警団員から休んでいろと言われて、今は休息の時を迎えている。幸いにも最も強敵だろうと思われるモンスターの気配は消えたため、安心して休めていた。

 しかし、それから数時間して再び殺気を感じ、今は目を開いている。

「永遠に朝なんてこないみたい」

 部屋の中に入る前に見た空は、厚い雲で覆われていた。感じる風は重苦しい。

 終わりがわからないまま、いつまでも防御し続けるのは、体力的にも精神的にも限界だった。

 だが教え子が頑張っている。それに応えるためにも、今は立ち上がらなければ。

 スレイヤがもぞもぞと動くと、フェルも目を開けた。二人は一緒に立ち上がり、魔宝珠を手にして再び武器を召喚しようとする。

 ふと、目の前にある風の魔宝珠が、煌めきを帯びているのに気づく。スレイヤは自分の魔宝珠から手を離して、一歩踏み出した。

風の精霊シルフ? 何か起きるの?」

 すぐ傍にいるだろう精霊に話しかけたが、返事はなかった。神経を尖らせると、精霊の気配が感じられないのに気づく。思わず不安げな表情を漏らすと、フェルが肩に手を乗せてきた。彼は自分の魔宝珠を差し出してくる。風の魔宝珠と同様に光を帯びているのだ。

「召喚ができない」

「え?」

「魔宝珠が俺の言うことを聞かないんだ」

 スレイヤは問い返すよりも前に、スピアを召喚する自分の魔宝珠を取り出した。見た瞬間、目を丸くする。宝珠から植物の芽のようなものが飛び出していたのだ。

 それはまるで意志を持っているかのようにスレイヤの手から飛び下り、地面に落ちた。そして二人が呆気に取られている間に、土に根を張り始める。実際の植物よりも何百倍もの速さで成長していく。

 当初は可愛らしい植物のように茎を伸ばしていた。程なくして木質の幹が現れ、それから枝がいくつも伸びていき、葉がたくさん付いていった。あっという間にスレイヤの背丈ほどの樹となる。

「魔宝珠から樹が生まれる? 何が起こっているの?」

 すぐ目の前にある光景に気を取られていたため、二人は目の前にある巨大な風の魔宝珠の異変に気づくのに僅かに遅れた。



 * * *



「おいおい、いったいどうなっているんだ!」

 エレリオは水の魔宝珠を前にして頭を抱えていた。

 静かになった外を眺めながら祠の入り口にいたが、少女の慌てた声を聞き、魔宝珠の前に出向いたのだ。その大きな宝珠は激しい光を発しているだけでなく、表面にいくつものヒビが広がっていた。

 自分たちを守り続ける要の宝珠が、今まさに割れようとしている――。

 不穏な空気が漂う中、エレリオはどうにかその場を納めようと水の魔宝珠に近づいた。

 その時、その魔宝珠だけでなく、自分や皆が持っている魔宝珠も光り始める。ポケットに入れたもの、ペンダントや腕輪など装飾品の一部として扱っていた宝珠が、色とりどりの光を発し出したのだ。

「これは四大元素の魔宝珠だけではない現象か? すべての宝珠に同じようなことが起きているのか?」

 エレリオは自分の宝珠を掴むと、手で持てないほどの熱さを感じた。熱さのあまり思わず手を離す。

 宝珠を地面に落とした瞬間、そこから芽が生え、一気に自分たちの背丈ほどの樹へと成長した。

 警戒しながら、うっすらと靄がかかっているその樹をじっくり見る。実際の樹ではなく、幻に近いものだとわかる。手で触れようと腕を伸ばした。

 瞬間、エレリオたちにとって最も起こって欲しくないことが起きた。

 水の魔宝珠が音を立てて、粉々に砕け散ってしまったのだ。

 愕然とする中、その中心部から小さな石が現れる。目を細めてじっと見ようとする前に、それは青白い光と共に天井を突き破り、あっという間に消え去ってしまった。



 * * *



 大陸で最も賢く、有能と言われているミスガルム国王でさえも、目の前で起こっている現象の理由を説明することはできなかった。

 真っ二つに割れたミスガルム城の小さなバルコニーの上で、ルドリやアルヴィースと共に不可思議な現象を立ち尽くして眺めていた。

 ミスガルム国王たちが個人で所有している魔宝珠が光り始め、それが地面につくと、まるで種子のように幻の芽を出し、僅かな時間で樹に成長したのだ。城内や城下町でもその現象は起きているようで、至る所で緑色の葉を見ることができた。


「宝珠は樹の種子であった」


 ミディスラシールから報告された一文を呟く。その言葉通り、宝珠から幻の樹が生み出された。

 これから何が起こるか予想が付かなかった。だが不思議と恐怖はない。眼前に広がる鮮やかな緑が、高ぶっていた心を自然と抑えてくれたからだ。

 ミスガルム国王は、首からかけていた一つのロケットを取り出し、中身を開いた。美しい金髪の女性が若き頃のミスガルム国王と共に描かれている絵がある。それをなぞりながら愛おしそうに見た。

「ノルエ、お前と共にこの美しい光景を見たかった」

 心を落ち着かせる緑が城下町一面に覆われている。先ほどまでモンスターたちと攻防していたことも忘れそうだった。

 穏やかな心のまま鑑賞していると、天高く伸びる薄茶色の光が背後から現れた。あの場所の下にあるのは、巨大な土の魔宝珠。樹にもっとも近い存在であるそれにも異変が起きるのは当然だった。

 視線を東や南、さらには北にも向ければ、似たような光が現れ、厚く覆われた雲を突き抜けている。

 その中心から小さな石が浮かび上がり、ある一定の位置までくると、アスガルム領地に向けて勢いよく飛んでいった。

 さらに個々の幻の樹も緑色の球状の光となり、先ほど飛んでいった石の後を追うかのように、皆の目の前から消えていった。


 輝きを失った自分たちの魔宝珠を残して――。



 * * *



 リディスはポケットから光り輝く小さな宝珠を取り出し、フリートと共に目を丸くして見つめていた。

「これは何だ?」

「二回目にルセリ祠に行った時に拾った小さな宝珠……」

「あの時、お前が体調を悪くした?」

 状況が掴めず、二人で眺めていると横から声が投げかけられた。

「リディスちゃん!」

 ロカセナがルーズニルの肩を借りながら寄ってきた。彼の手元からも、同じように激しい光が発せられている。

 ルーズニルはロカセナをリディスたちの傍に座らせると、ラグナレクの様子を見てくると言い、その場から走って行った。

 ロカセナが光を発している手を広げる。リディスが持っていた小さな宝珠と同じものがそこにあった。

「ロカセナ、これは……?」

「僕が聞きたいよ。これは昔、母からもらったものだ。同じものを兄が持っていたが……。リディスちゃん、それはどこかで拾ったの?」

「ルセリ祠で……」

 そう呟くとロカセナは目を見開いた。やがて目を伏せて宝珠を握りしめる。

「兄さん、鍵のすぐ傍にいたのに、何をやっていたんだ……。それとも気づいていて、意図的に避けたのか? それならそうと、教えてくれれば良かったのに……」

 ロカセナが手を緩めると、宝珠が地面に落ちる。それは転がり、リディスのすぐ傍にまできた。

 またリディスは自分が持っていた小さな宝珠が急に熱を帯びたため、反射的に手から離した。それとロカセナが持っていた宝珠が衝突した。

 途端、二つの宝珠は合わさり、そこから小さな芽が出てくる。それは三人の前で見る見るうちに成長していった。やがて皆の背丈より少し大きい樹に成長する。

 まだ瑞々しさも感じられる若き樹。それは三人だけでなく、ラグナレクと攻防していた者たちにも惹かれる美しさであった。

 ラグナレクはその樹を見るなり、周囲の者の攻撃を振り切って、飛ぶように向かってくる。

 しかし、ある一定の所で動きを止めた。まるで樹に魅了されたように、動きが固まっている。

 樹の様子に気になりつつも、ラグナレクへの警戒は怠らないよう、カルロットを始めとする騎士たちは武器を構えていた。

 リディスは腰を上げて、若々しい緑の葉を付けている樹に近づいていく。

 だが、近づく前に、どこからともなく飛んできた四つの光がリディスの脇や目の前を通り過ぎた。

 驚きながら視線を周囲に向けると、若き樹の周りに四つの小さな石が浮遊していたのだ。それぞれ四大元素を思い出させるような色合いをしている。

 リディスがその宝珠たちの存在を確認すると、それらは樹の中へ吸い込まれていった。その直後、大地が揺れ始める。

 突然のことに困惑していると、ロカセナを背負ったフリートが手を拱いていた。

「リディス、早くこっちに来い!」

 なぜだと理由を聞く前に、身を持って体験することになる。

 傍で生まれた樹がさらに成長を始め、リディスの足下に太い根を伸ばしてきたのだ。

 このままでは成長に巻き込まれると判断し、揺れている大地の上を懸命に駆けだす。だが揺れる中ではまともに走れるはずもなく、すぐさま躓いた。

 腹の下から奇妙な音が聞こえてくる。この下から根でも突き出てくるのか。

 慌てて起きあがろうとしたが、上手く体勢が整えられない。ばたついていると、突然ふわりと浮かび上がった。優しい風を与えてくれる風の精霊シルフの気配が感じられる。リディスは脳内で風の精霊に指示を出すことで、その場から離れた。

 離れた直後、リディスがいた場所から鋭い根が飛び出す。それはすぐに地中深くに潜っていった。あのままいたら、あれに突き刺さっていたはずである。間一髪で避けられたと気付き、冷や汗が流れた。

 慣れない長時間の浮遊に緊張しながらも、やがてリディスはしかめっ面をしたフリートの傍に降り立った。

「ありがとう……」

 記憶を取り戻した直後から助けを借りていた石に、リディスは感謝の言葉を呟いた。

 三人はその場に少しだけ留まっていたが、揺れや地鳴りは一向に収まる気配はない。外側へ移動しようかと思った矢先、リディスたちが持っていた魔宝珠も輝き始めた。それらは地面に落ちると、そこから芽が飛び出て、あっという間に幻の樹へと成長する。

 さらにその樹は小さな光の球に変化し、輝きを失った魔宝珠だけを残して、成長が続く樹のもとに行ってしまった。

 リディスたちは目を丸くしながら宝珠を拾い上げる。状況が掴めず為すがままになっていた。

 地鳴りがすぐ傍にまで聞こえてくる。フリートは離れたところにいるミディスラシールやメリッグたちに視線を送ると、互いに頷き合った。そして樹の成長に巻き込まれないよう、一同はその場から離れた。

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