鍵が導く大樹の帰還(2)――未来への二重の祈り

 リディスはフリートがラグナレクにかなり押されているのを見て、非常に焦っていた。

 相手は大剣を振り回しながら、光の線や重力球を再び放ち始めている。出力は先ほどの戦闘よりもまだ劣っているが、いずれ威力は戻るはずだ。

 フリートは純粋な剣技や接近戦なら、多くの人を圧倒できる力を持っている。自分と相手の間合いを的確に判断し、最も効率的な動きを見出みいだすことができるからだ。

 しかし、今回は彼の判断能力を遙かに上回る、予測できない多数の召喚術を持ち合わせているものが相手だ。いつも通りの動きをしろと言われても難し過ぎる。

 リディスは魔宝樹に攻撃が当たらないように障壁を作りつつ、フリートの援護をするためにスピアで突きを入れた。だが力を取り戻しつつあるラグナレクに対しては、あまりにもひ弱すぎた。

 激しく剣でスピアの切っ先を跳ね返され、その勢いで魔宝樹に背中から叩きつけられる。勢いよく衝突しそうになったが、直前で風を発生させたため威力はやや削ぐことができた。

 呻き声を上げながら、大樹に背中を付けて地面にずり落ちる。地面に足を付けると、すぐにスピアを握りなおして反撃にでようとした瞬間、ある光景を見て叫んでいた。

「フリート、後ろ!」

 リディスに気を取られていたフリートが、一瞬だけ顔をこちらに向けていた隙をラグナレクは逃さなかった。

 相手が彼の体を叩き斬ろうと移動し、剣を振り下ろしている。彼の剣先が下に向いている状態では、まともな防御は難しい。無駄だと思いながらも、リディスは走り出していた。

 最悪を予想した次の瞬間――真っ赤な鮮血ではなく、砕かれた大剣の欠片が飛び散った。

 突然のことに呆気に取られて速度を落としたリディスの腕が、誰かによって握られる。鋭い視線でその者に顔を向けると、割れた眼鏡をかけた青年が静かに笑みを浮かべていた。

「もう大丈夫、皆いるから。一人で何とかしようとか思わないで」

「ルーズニルさん……」

 飛び散った大剣の欠片はリディスにも降ってくるが、それはすべてルーズニルが風で吹き飛ばしてくれた。

 ラグナレクは自分が持っていた剣が壊され、僅かに瞳が揺らいでいた。すぐに奇襲した第三者を睨み付ける。

 フリートの目の前にはウォーハンマーを握りしめたトルが、そこから離れたところにメリッグとヘラが右手を広げて並んで立っていた。

「さすが、ヘラの攻撃力は桁が違うわね。合わせるだけでも一苦労よ」

「その言葉、嫌みにしか聞こえません。今の攻撃を仕切ったのはメリッグさんでしょう。剣の周りにある水蒸気を傷ついた剣の内部に入れ込んで、入った瞬間に先端を尖らせた氷に変化させて壊した……。僅かな時間で、どうやったらそんな器用な召喚ができるんですか」

「威力がないから、少し複雑な召喚を重ねるという工夫をしただけよ」

 ほんの少し前まで戦いを繰り広げていた二人が、言葉を交わしている。一歩踏み出せばお互いの胸に振れられる距離にいるにも関わらず、攻撃し合おうとはしなかった。

 奇襲した人物を見定めたラグナレクは、重力球を二人に向かって投げつける。二人は慌てもせずに、それを眺めていた。その重力球が衝突する直前、黒い尾によって跳ね返される。球はラグナレクの腹部にあたり、衝撃で弾き飛ばされていった。

「よくやった、ニーズホッグ!」

 ミスガルム城襲撃の時に苦戦を強いられた少年ニルーフが、黒竜の上に乗って浮遊している。彼は思った以上の成果が上げられたのか、口元がにやけていた。

 ラグナレクは苦悶の表情を見せつつも、三体の人型のモンスターを召喚した。それはフリートやメリッグ、ニルーフに向かって飛び立とうとする。だが動き出す直前に、三体の胴体が真っ二つに分かれたのだ。それらは黒い霧となって、ラグナレクの元に戻っていく。

「……っは。こんなに弱いものだったのか、モンスターってのはよ。運動にもならねえ」

 鳶色の髪のガルザはシミターを肩に担ぎながら、つまらなそうにしている。

 ヘラにニルーフ、そしてガルザといった同志たちの参戦を目の当たりにして、リディスは思わず呟いた。

「何があったの……?」

 驚きに満ちた言葉は風に乗って消えていく。

 ルーズニルは答えず、リディスをつれて樹に沿って移動し始めた。

 すぐに円を描いている青白い光が目に入った。その中心にはミディスラシールが両手を握りしめながら、魔宝樹に祈りを捧げている。呼応するかのように、樹も仄かな光を発し始めていた。

 円の傍にはスキールニルなど騎士たちも何人かおり、誰もが剣を抜いてラグナレクの動きを注視していた。

「――これから魔宝樹の力を借りて、二重の陣を張って威力を増大し、ラグナレクと対峙しようと思う」

 青白い光を前にして、ルーズニルは口を開いた。光の円上には細かな古代文字が浮き上がっている。

「魔宝樹を媒体にするのは私の提案ですけど……二重の陣とは?」

「僕たちが実行しようとしたことと、リディスちゃんたちの考えを合わせたということだよ……」

 ロカセナがセリオーヌの肩を借りて寄ってくる。左脇腹に当てられた布に染み出ている赤い血が痛々しい。

「ヘラたちにも力を貸してもらうことにした。成功するためには、用心のために二重で行った方がいいだろう?」

 微笑みながらロカセナは光の円の中に入った。そしてミディスラシールの脇に座らせられる。項垂れながら肩を上下にして呼吸をし続けていた。苦しそうだが、彼女の傍にいる彼の表情はどこか穏やかだった。

 それから何度かラグナレクに攻撃を当てていたメリッグとヘラの組も円の中に入り、樹と姫の間に移動した。メリッグが水の魔宝珠の欠片を握りしめて、ラグナレクの動向に目を光らせている。

 ルーズニルはすぐ隣に来ていたセリオーヌにリディスを引き渡すと、彼もまた円の中に入り、ニルーフと共に姫の右横に立った。ニルーフがいる円のすぐ外では、ニーズホッグが牙を光らせている。ルーズニルの手には緑色の鮮やかな色の宝珠の欠片が握りしめられていた。

 フリートの攻撃を援護していたトルも、慌てて円の中に滑り込む。既に切り上げ呆れた顔をしているガルザと共に姫の後ろへ移動した。


「四種類の精霊が宿った欠片と、領ごとに加護を受けた者が集う、二重の祈り……」


 青白い光は徐々に明るくなっていく。ミディスラシールは目を開けると、魔宝樹に近付いていった。

「リディス、力を少し貸してもらえる? ただのきっかけを与えるだけでいいから。絶対に死なせはしない」

 セリオーヌの問いに、リディスは断る理由もなく頷いた。

「はい、もちろん」

 セリオーヌに導かれてリディスも魔法陣の中に入ると、ロカセナのすぐ後ろで立っているよう促された。双剣の女騎士は彼の左に姿勢を正す。

 ほぼ同時にフリートも中に入り、セリオーヌの横に来た。呼吸は荒く、今にも崩れ落ちそうだが、剣を地面に突き刺し、それを支えとして立っていた。

 多数の人間に、何度も攻撃を受けたラグナレクは動きを鈍らせながらも、果敢に攻めているカルロットに剣を向けていた。


「世界創世の時代から見守り続けている大樹よ、我らに力をお貸しくださいませ――」


 ミディスラシールが枯れている魔宝樹に手を触れる。すると青白い光が樹に乗り移った。幹から枝へ、さらには葉や根の先端まで、樹を構成するすべての部位に光が広がった。

 それを確認したミディスラシールは踵を返し、足を引きずりながら円の中心まで歩いていった。リディスと視線が合うと、微笑まれる。全身はぼろぼろで、術を発動する体力などほとんどないかもしれない。

 だがそのようなことをまったく感じさせないほど、その笑顔は魅力的で輝いて見えた。

「お帰り、リディス。大丈夫よ、皆が力を与えてくれるから……」

 誰かに頼るのではなく、一人で事を終わらそうとしたリディスには痛すぎる言葉だった。

 周囲の人を信用していなかったわけではない。迷惑をかけたくないという思いから辿り着いた考えは、自分の命を投げ捨てる覚悟だった。


 けれどこの大地に住まう多くの人が集う未来を考えれば、一人の力など、たかが知れているものだ――。


 ミディスラシールが円の中心に戻ると、得も言えぬ殺気が一同に襲いかかった。

 それを感じるや否や、メリッグとルーズニルは欠片を隣にいる同志たちに押しつけて、殺気を感じた方向に腕を伸ばして手を開く。メリッグは氷でできたナイフを召喚し、投げ飛ばした。それをルーズニルが風を操ることで加速させ、光の線を発しようとしていたラグナレクの右肩を貫いた。殺気が僅かに薄れる。

 その隙を逃さず、ミディスラシールは高らかと声を発した。


「大地に佇む魔宝樹の力を借り、我は荒れ狂う負の感情を浄化させよう。ラグナレクよ、在るべき処へ――」


 言い切る直前に、ミディスラシールは言葉を切った。顔が見る見るうちに強ばっていく。

 皆の視線は、動きを止めて傷の回復を待っているラグナレクから、ミディスラシールが見つめている魔宝樹へ向かれる。それを見るなり誰もが息を飲んでいた。

 枯死がさらに進んでいたのだ。

 葉はすべて大地に落ち、枝は萎れ、ぐったりしている。もはや大樹の威厳の欠片もない。

 魔宝樹を利用しようと言ったリディスにとって、もっとも衝撃的な光景が広がっていた。

 やはり限界だったのかと思いながら目を凝らすと、ラグナレクに斬られた幹から黒い霧が出ているのに気づく。リディスは舌打ちをし、魔法陣の中から飛び出して、黒い霧の部分をスピアで突き刺した。

「還れ」

 それは意図も簡単に光となって消えてしまった。実体化したモンスターであれば弱い部類に入るものだ。

 リディスが見ている限り、直接樹が傷付けられたのは十回ほど。その攻撃を受けたたった一カ所だけに、黒い霧が忍ばされていたようだ。一番始めに傷つけられた時、特に変化はなかったため、多少傷つけられても影響はないと判断していたが、考えが甘かった。

 還したにも関わらず、樹の枯死は進行していく。これでは魔宝樹の力を利用するなど不可能である。

 もちろんこの樹が今後大地を見守り続けるのも難しいことだろう。


 今、そして未来への扉も、このまま閉ざされてしまうのか――。


「魔宝樹は元気な姿を見せてくれないの? 私たちをずっと見守り続ける存在なのに死んでしまうの?」

 悲痛な声を漏らしながら地面に手を当ててしゃがみ込む。スピアの召喚は解かれ、若草色の魔宝珠に戻っている。すると突然、その魔宝珠を首元から下げていた部分が切れて、地面に転がり落ちた。

「魔宝珠が……」

 拾い上げようとしたが、宝珠が光り出しているのを見て、手を止めた。

「なぜこの状況で光るの。宝珠の生みの親である樹は死にかかっているのよ……?」

 宝珠は樹と切っても切り離せない関係。

 もし樹の命が尽きようとしているのならば、同じく宝珠も尽きるはず――。

 そこでリディスの思考は一度止まり、過去に言われたことを思い出す。

 そもそも珠と樹は同じ存在だとイズナは言っていた。珠を種子と見なせば、それが成長していつかは樹になるという風に捉えられるからだ。

 かつて魔宝珠は、ある一定の頻度で使われたものや役目を終えたものは、樹の周りに置いて大樹に還していたという。その宝珠はいつしか消え去り、魔宝樹の一部になったと推察されていた。

 それならば――。

 ごくりと唾を飲み込んだ瞬間、誰かに体を突き飛ばされた。容赦なく飛ばされたので、起き上がり、思考が戻るには数瞬要した。

 視線を真正面に向けると、大樹の根元に痛々しいくらいの深い傷ができていた。

 上空には冷めた目で見下ろす、絶望の使者。

 ラグナレクの光の線が、リディスがいた場所から樹にめがけて放たれたのだ。それをフリートが全身全霊で突き飛ばしたことで、命辛々逃れたらしい。

「死ぬ気か、阿呆!」

 リディスの魔宝珠を拾い上げたフリートが駆け寄ってくる。

 ラグナレクの攻撃を止めるために、トルやメリッグ、ルーズニル、そして同志や騎士たちが、先ほどの陣形を大きく崩して動き出していた。

「姫とロカセナがもう一度扉を開けて、樹ごと再封印する。本当は還術するつもりだったらしいが、樹がこの状態じゃ、無理だって……」

「……ねえ、フリート」

「何だよ、そろそろ大人しくしていないと、黙ってもらうぞ」

「逆転できるかもしれない、この状況を」

「はあ?」

 予想通り呆けた声で返される。リディスは手渡された自分の魔宝珠を見ながら、握りしめた。


「新しい魔宝樹を生み出すの。自力で未来を作るのよ」


 リディスの言葉と共に、胸ポケットに大切にしまっていたある小さな宝珠が激しく光を発し始めた。


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