35 鍵が導く大樹の帰還

鍵が導く大樹の帰還(1)――変革を切り出す者

 一番初めに異変に気づいたのは、ミディスラシールを慕う土の精霊ノームだった。ミディスラシールは精霊の落ち着きがないのに気づき、視線を魔法陣からくぼ地の中心の空へと向けた。

 今、自分たちがいるのはくぼ地の脇である、抉られていない部分。平らな地形で陣を描きたいという理由もあったが、魔宝樹が戻ってきた場合、消えた内部に留まっているのは危険と判断したためだった。

「お姫様、精霊たちがうるさいわね」

 古代文字の翻訳という大役を終えたメリッグが隣に並んでくる。彼女も優秀な精霊使いだ。微妙な空気の違いに気づいてもおかしくはない。

 もう少しで夜明けという時間帯、周囲は静まり返っている。

 フリートたちと別れてから、ミディスラシールたちは物事を迅速に進ませていた。半日もかけずに、詠唱文の古代文字の翻訳を完了、威力を高めるための魔法陣も描き終えていた。

 さらに一通り詠唱はし終えていたため、あとは欠片を受け取り、封印もしくは還術の締めの文章を読むだけである。

 四大元素の欠片に重きを置いているため、もともと複雑な陣ではない。それでも思った以上に早く事を終えられたことで、一同に一時的な休息を与えることができていた。

「空気が震えているね。風の向きが若干だけど変わっている。風の精霊シルフもざわめいているよ」

 ルーズニルが僅かな違いを読みとって口に出す。

「そろそろ来るんじゃねえか?」

 頭の裏に両手を回しながらトルは呟く。大きな欠伸をしていると、メリッグから軽蔑の意味が含められた視線が送られた。それを彼は平然と受け流す。ミディスラシールは苦笑いをしながらその様子を眺めていた。

 ふと、微かに吹いていた風が止んだ。

 地面が小刻みに揺れ始める。その揺れは徐々に大きくなり、体を休めていた者も気づき始めた。

 騎士たちはそれぞれ武器を召喚し、警戒心を強める。ミディスラシールも杖を握りしめて、くぼ地のすぐ傍にまで歩み寄った。


 異変は次の瞬間に起こりだす。


 暗い雲で覆われた空から、光が射し込んでくる。夜明け前にも関わらず光は昼間かと錯覚してしまうほど眩しかった。

 やがて焦げ茶色で、先端が尖った細長いうねったものが見えてくる。それは多数現れ、上に行くほど太くなっていった。

 新手のモンスターかと思い鋭い視線を向けたが、トルがぽつりと呟いた内容を聞いて、目を和らげた。

「木の根っこか……?」

 その言葉を受けて改めて見ると、焦げ茶色の長細いものの先から、土がぱらぱらと落ちているのが見えた。根っこに絡まっていた土のようだ。

 根より上にある幹が見えてきた。枝も見えてくるが、そこについている枯れ葉を見ると、酷く顔を歪ませた。

 あまりにも変わり果てた樹の姿に、絶望のようなものが見え隠れする。樹の全体像が見えると、それはそのまま下に降りていった。


「あれが魔宝樹。創世の時代から大地に佇んでいると言われている樹――」


 初めて見る魔宝樹を、固唾を飲んでじっくり見つめていた。

 だが光の線が樹を貫こうとしたのを見て、我に戻った。幸いにもそれは目に見えない障壁によって消失する。

「リディス、俺が相手をするから、お前は樹を護れ! ロカセナは急いで報告を!」

 聞き慣れた青年の声が遠くから聞こえてくる。ミディスラシールは確かめるよりも先に、脇に待たせていた大鷲フギンを樹に向かって飛び立たす。

 樹の脇では光の中から飛び出て、地上にゆっくり降りているフリート、ロカセナ、そしてリディスの姿があった。三人は全身黒ずくめの人型モンスターのラグナレクを睨み付けている。

「お姫様、どうやら扉を開けっ放しにして、樹だけでなく、ラグナレクと共に彼らは戻ってきたみたいよ。不幸中の幸いか、相手は先ほどまでの強さは戻っていないようね」

 メリッグは言葉を発しながら、ミディスラシールたちの周りに薄い結界を張っていく。ラグナレクの意識はリディスたちに向かれているが、いつ飛び火してくるかわからない。

「加勢にでるべきじゃねえか?」

 ウォーハンマーを召喚しているトルは、くぼ地の内部に踏み入れようとしている。それを見たメリッグは即座に首を横に振った。

「駄目よ。術の威力を上げるために私たちは必要な人材。重傷でも負ったら、今までの苦労が水の泡になるわよ。今はロカセナの戻りを待ちなさい。耐えることも必要だと何度言ったかしら?」

「けど、フリートも俺たちと同じ立場じゃ……」

「彼がリディスの傍を離れられると思っているの? つべこべ言わないで黙っていなさい」

 何か言いたそうなトルだったが、剣が激しく交じり合う音が響くと、意識はそちらに戻っていった。

 フリートのバスタードソードとラグナレクが持っていた大剣が衝突した音らしい。激しい攻防がくぼ地の中心で繰り広げられ始めた。その間に樹は大きな音をたてて地面に降り立つ。


 大鷲フギンは戦況を見極めながら、しゃがみ込んでいるロカセナの傍に近寄る。彼はフギンを見て、樹の根本に着地したリディスを一瞥してから、大鷲に乗りこんだ。

 フギンは軽く助走して浮かび上がり、ミディスラシールたちの元に飛んでくる。その大鷲の上でロカセナは背後を気にしつつも、柔らかな羽毛にその体を埋めていた。

 フリートが果敢にラグナレクと立ち向かい、リディスが援護している間に、攻撃を受けることなく大鷲はミディスラシールたちの前に降り立った。着地すると、ロカセナは転がり落ちるようにして地面に降りる。

 激しく衰弱している彼の左脇腹を見て、眉をひそめた。何重にも布が当てられている部分から、血が滲み出ている。彼は片膝を地面につけ、無理に笑顔を作りながら、軽く頭を下げた。

「ただいま戻りました、ミディスラシール姫。ロカセナ・ラズニール、フリート・シグムンド、そしてリディス・ユングリガの三人は無事に帰還することができました。これも姫様たちのお力添えがあったからこそです。さらには鷲を遣わせていただき、誠にありがとうございます」

 ミディスラシールは泣きたいのを堪えて、彼の傍に膝を付けた。

「挨拶はいいので、報告をお願いします」

 ロカセナは頷き、フリートから受け取った欠片が入った袋を差し出した。

「早速報告させて頂きます。まず、こちらがリディス・ユングリガが持っていた欠片です。お渡しします。ラグナレクと対峙した際、何度か力を借りましたが、個々の攻撃の威力を増幅させることができました」

「そう、よかった……」

「次に見て分かるとおり、魔宝樹をこの地に戻すことができました。あちらの世界で魔宝樹を見た時、枯死が進行し、このままでは腐りきるのも時間の問題だと判断しました。それを踏まえて一時的に留まった負の感情を解放させる――つまりラグナレクの呪縛から樹を解き放つことにしました。ただし代償としては見て分かるとおり、再びラグナレクはこの地に戻ってきてしまいました……」

「樹を戻すためにはラグナレクも来るのも承知の上だったわ。気に病まないで。こっちも準備はできている。あとは皆の力だけ……」

「その儀式を行う上で、一つ提案があります」

 小刻みに呼吸をしながら、ロカセナはミディスラシールに真っ直ぐ視線を向けた。

「今から言うのはリディス・ユングリガの提案です。――樹を媒体にして、還術か封印を行いませんか?」

 ラグナレクとの戦いを見つめていた多くの者たちが、一斉にロカセナの方に振り返った。誰もが思いつかなかった発想を耳に挟み、ある者は目を大きく見開き、ある者は訝しげな表情を浮かべている。

 ミディスラシールもすぐには理解できずに、呆然としていた。

「この欠片たちのように……樹の力を借りようということかしら?」

 ロカセナは深々と頷いた。本気のようだ。

 あまりに突飛な発言で、思考が追いつかない。ミディスラシールは一度息を吐き出して、冷静に思考を巡らせ始めた。


 まず脳裏によぎったのは、あの枯れている樹を利用して、効果はあるのかということだ。葉は完全に散っていないため、全盛期ではないが僅かに力が残っているかもしれない。

 次によぎったのは、どのようにして樹の力を使うのかということ。四大元素の元である魔宝珠をリディスが触れると、何らかの事象が起こると聞いている。つまり樹に触れることができれば、事を起こせるかもしれない。

 そして最後によぎったのは、樹の傍で無事に事を起こせるかということ。地面に描かれた魔法陣は、ミディスラシールが手を加えれば移動はできる。しかし還術か封印をする際は、どうしても無防備な状態になる。最後の詠唱文だけとはいえ、何もできない状態で至近距離であのラグナレクと対峙するのは躊躇われた。


「……姫様が躊躇っているのはわかりますよ。樹に触れるためには、あそこまで行かなければなりませんから」

 ロカセナは目を細めて、絶望の使者に押されている相棒と彼を援護している娘を見た。

「ラグナレクの力は徐々に戻ってきています。先ほどのような力もそのうち戻るでしょう。そのようなところに団体様がいったら、攻撃対象になるのは目に見えています」

 その内容を聞いた誰もが視線を逸らしていく。悔しいが自分の身が第一である。

 ロカセナはぐっと前に乗り出した。

「だから――万が一のことを考えて、二重に事を起こしたいんです」

 ロカセナは首を伸ばして、目をきょろきょろさせる。そしてある木の根本で呆然と戦況を眺めている一組を確認すると、ミディスラシールに視線を戻した。

「四大元素の欠片に力を入れる者たちを、二組用意したいと考えています。トル、メリッグさん、ルーズニルさん、フリートの組。そしてヘラ、ガルザ、ニルーフと騎士から一人ミスガルム領出身の者を出してほしいのです。中心には鍵であるリディスちゃんにも力を借りて、僕とミディスラシール姫で事を起こす。もしラグナレクが攻めてきたら、フリートたちの組で攻撃してもらう。それで時間を稼ぐのです」

 ミディスラシールは拘束されている三人の同志をちらりと見た。誰もが憔悴しきっているが、大怪我はしておらず、まだ動けそうだ。内に秘めている能力は、おそらくトルやルーズニルを超えるだろう。その力を借りれば、ラグナレクを対処できる可能性は高くなるし、二組いれば成功率は上がる。

 しかし、それを行うためには問題があった。彼らが力を貸してくれるかどうかだ。

「……ヘラたちには僕が説得します」

 ミディスラシールの心配事を察したロカセナが先に口を開く。

「説得できるの? だって敵に力を貸すってことよ。この大陸に思い入れのない人たちに、そう簡単に……」

「敵とか味方とか、この状況では意味がない言葉ですよ。僕たちに突きつけられているのは、生きるか死ぬかの二択です」

 ロカセナが呻き声を発しながら立ち上がる。ミディスラシールは手を貸そうとしたが、その前にトルが寄り、銀髪の青年の手を取ると自分の肩に掛けさせた。引きずられる形で移動し始める。

「あ、ありがとう……。でも引きずられるのは、あまり嬉しくないかな」

「じゃあ、お姫様抱っこでもするか?」

「せめて背負うとか言ってくれ」

 溜息を吐いたロカセナはトルに連れられて、同志たちの前に辿り着いた。死んだ魚のような目をした三人を、驚きもせず見る。その場に腰を下ろすと、三人の顔をじっくり見た。

「……今一度、力を貸して欲しい。お願いだ」

「……っは、軽々と城側に寝返ったお前に何を貸すんだ。このまま滅亡するのを眺めているさ」

 拘束された両手を見せつけながらガルザは答える。

「もう何をしても無駄じゃない? ロカセナたちがやろうとしているのは、可能性をひたすら積み重ねたもの。成功する確率なんて、これっぽちもないじゃない」

 ヘラが深々と嘆息を吐く。

「僕、もう疲れたよ。何もしたくない」

 黒竜に寄り添ったニルーフが呟く。

 三者とも生きようという想いがないようだ。これでは力を貸してくれと言っても無駄だろう。

 ミディスラシールは騎士たちに、メリッグたちの組のみで樹の近くに行くから、全力で援護を行うよう指示を出そうとする。

 だがロカセナが次に発した言葉を聞いて、セリオーヌに伸ばそうとした手を止めていた。

「三人は魔宝樹がある世界を見てみたいとは思わないのかい?」

 弱々しくも笑みを浮かべてロカセナは言う。まるで彼の本心を自らに問いているようにも感じられた。

 ガルザはその言葉を聞いて、軽く鼻で笑う。

「樹があってもなくても変わらねえだろう」

「果たしてそうなのかな。体験していないのに、言い切るのはどうかと思う」

「そもそも当たり前のように昔からあった樹でしょう。あっても特に気にも留めない存在。つまりあってもたいして変わらないものなのよ!」

「なら、当たり前のものがなかった時代に生きてきた僕たちにとっては、本当に気にならない存在なのかい?」

 開こうとしていたガルザとヘラの口が閉じられる。

 同志たちの目的は、樹をこの地に戻すこと。意識していたからこそ、事を起こしていたようなものだ。

「力を貸すとか貸さないとか、ラグナレクを見た瞬間、僕はどうでもいいと思ってしまったよ。所詮、人間同士の争いなんて、あれの攻撃を見れば微々たるものだからね。……人々の負の感情は、浄化せずに未だにあのモンスターの中に留まっている。僕たちの周りで犠牲になった大切な人たちの想いも、あの中に入っているのかもしれない。それを解放させたいとも思わないのか?」

 ガルザ、ヘラ、ニルーフは視線をラグナレクに移す。彼らの目に力が戻り始めている。

「その負の感情を持つモンスターに殺されたとなれば、君たちは大切な人に殺されたということになる。やりきれない想いでいっぱいにはならないかい?」

 ロカセナの言葉は同志たちだけでなく、躊躇っていた騎士たちの心にまで伝わっていく。

 ラグナレクはいわばすべての人間の負の感情が集まったものだ。彼の言葉に偽りはない。

「僕たち人間たちは、ラグナレクを対処しなければならない義務がある。それは生きている者の義務なんだ。命を落とし、負の感情だけが未だにこの地に留まっている人たちを解放するために、やるべきことなんだ」

 樹の方で激しい光が放たれる。力が戻りつつあるラグナレクが、光の線を多数召喚し始めていた。

 リディスが必死に樹の前で結界を張るが、完全には避けきれず、何か所か根や幹を貫かれていた。

 ロカセナはその様子を一瞥してから、沈痛な面持ちのまま深々と頭を下げる。


「――力を貸して欲しい。皆が一歩踏み出すだけで、変革を起こして未来は変われる。僕がお前たちや他の皆と一緒に未来を歩くためにも、お願いだ……!」


 ようやく辿り着いた、ロカセナ・ラズニールが選び出した道。

 ミディスラシールは胸が熱くなっていた。樹を戻して正しき循環を取り戻すという、己の目的達成だけでなく、生ある者や亡くなった者すべての幸せも考えた言葉が、心の奥へと深く突き刺さったのだ。

「……もし僕たちが力を貸したら、本とかに名前は載るのかな?」

 ぽつりと呟かれたのは、少年のかわいげのある内容。均衡の糸が破れ、二人の男女も次々と言葉を漏らす。

「なんだか突っぱねるのも馬鹿らしくなっちゃったわ。どうせ私たちの処遇の権利はそっちにあるんだから、めいを受ければ従うわよ。もしかしたら多少は刑が軽くなるかもしれないし」

「俺は強い剣士と戦って死にたいんだよ。でたらめな強さを持った、モンスターに殺されてたまるか」

 ロカセナが顔を上げると、三人の同志たちは立ち上がっていた。皆口を尖らしているが、目元は緩んでいる。

 彼の願いが三人に伝わったのか、それとも打算的な考えで立っているかはわからない。だがロカセナには共に立ち上がった同志たちが賛同してくたのが嬉しかったらしく、ほっとした表情を浮かべていた。

 一同は樹の近くで攻防を繰り広げている、二人と一体のモンスターを見据える。

 ミディスラシールは魔法陣の傍に寄り、開いた手を地面に押し当てた。うっすらと青白い光が文字に沿いながら発していく。それを見てから一国の姫として立ち上がった。


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