34 扉を開ける者達
扉を開ける者達(1)――予言とは違う現を
フリートとロカセナが旅立っていく様子を見届けたミディスラシールは、再びスキールニルに背負ってもらうために、彼の肩に手をかけた。
だが、城へと続いている扉の間から微かに光が射し込んだのに気付くと、鋭い視線をそちらに向けた。スキールニルは軽く手を柄にやり、いつでも剣を抜けるようにする。
巨大な扉が音をたてて開く。そこから現れた人物を見て、スキールニルは若干警戒心を緩めたが、ミディスラシールは微動だにもせずに相手を見つめた。
金色の髪で壮年期をやや過ぎた男性と、漆黒の髪を結んでいる女性――一国の王と優秀な団長が土の魔宝珠がある部屋に入ってきたのだ。
「ミディスラシールとスキールニル? お前ら、どうしてここに」
ミスガルム国王が目を大きく見開いている。ミディスラシールはそれを見て、あからさまに肩をすくめた。
「わざとらしい言い方はやめてください。一部始終を見ていましたよね、二人が消えるところまで。今まさに開いたのであれば、扉の封印を解除した際に何らかの光の色が出るはずです。しかしそのような兆候はなかった。つまり既に封印は解けており、私たちの様子を覗き見していたと考えるのが妥当でしょう」
国王はちらりと団長のルドリに目をやった。彼女は手を後ろに組んで一歩下がり、回れ右をして背中を向けた。入り口は護るという意思表示だろう。
ミスガルム国王は穏やかな表情で、ミディスラシールのことを真正面から見据えてきた。
「いい目をしているな、ミディスラシール。どんな犠牲を払ってでも何かをやり遂げようとしている、強い信念を持った目だ。そういうのを私は求めていたよ」
「やり遂げたいという、強い信念は持っています。ですがそれは犠牲の上に成り立つものではありません」
ミディスラシールは痛みに堪えながら、ゆっくり一歩ずつ踏み出し始める。
「たしかに時として犠牲は付き物かもしれません。しかしそれが本当に必要な犠牲なのかどうかは、実行する前にじっくり見極めて、決めるべきだと思います。もしかしたら無駄死にになるかもしれませんから……」
リディスのことをどう扱えばいいか、姉であると同時に一国の姫であるミディスラシールには、正直言って結論は下せなかった。
だが視点を彼女だけでなく、その他にも渦巻くおおいなる時の流れを読んで未来を考えれば、何をすべきかは自ずと定まってくる。
それを踏まえた上で、姿勢を正して父親に真正面から言い放った。
「ミスガルム国王――私たちはこの手で、今こそ魔宝樹をこの大地に戻します」
いつかは誰かがやらなければならない行為。
在るべき循環を取り戻すためにすべきことなのだ。
それを聞いた国王は、眉間にしわを寄せて口を開いた。
「この状況下でまた扉を開くつもりか? せっかく封印してもらったのに、その行為を踏みにじる気か? 体制もほとんど整っていない中で行えば、お前が先程言った無駄な犠牲者がでるぞ。それでもいいのか?」
「犠牲者は出しません。初めから犠牲者ありきで考えるのは
ミスガルム国王は口元に笑みを浮かべた。
「わかってないな、ミディスラシール。最悪の状況を考慮して動くのが、上に立つ者の務めだ。理想論だけで動いたらどんな目にあうか……。今のお前の言葉は、独りよがりな妄想にしか聞こえない。それに私は承諾できん。しばらく大人しくしていなさい」
「――目の前で世界が崩壊していくのを、黙って眺めていろと言うのですか?」
半分に切断された土の魔宝珠に突如ヒビが走り、音を立てて崩れ落ち始める。精霊の気配が徐々に弱くなっていた。
ミスガルム国王は状況の悪化を見て、さらに険しい表情をする。ミディスラシールは彼のすぐ目の前に立った。久々にじっくりと顔を見ると、父親の白髪の量が多くなっていることに気づく。随分と心労をかけさせているようだ。そんな父親に静かに笑みを浮かべた。
「理想を掲げなければ、前例がないことはできません。たしかに結果が見えないことをするのは危ういですし、実行するのは怖いです」
今、父親と正面から向かい合うのも、かなりの勇気を必要としている。無言のうちに伝わる威圧感を前にして、喉に言葉が詰まりそうだった。それでも力を振り絞って、一つ一つの言葉をはっきり発していく。
「しかし、それを行う私の背中を押してくれる人がたくさんいます」
国王の跡継ぎや姫としてではなく、一人の人間として見て、共に同じ道を歩んでくれる人がいる。
そんな彼ら、彼女らと共に、覚悟を決めて成し遂げたいのだ。
「皆と一緒であれば、私はできると思っています。予言とは違う
予言は絶対ではない。違う未来になることも多くある。
だが人々は変化を恐れるかのように、予言から逸れることもしたがらなかった。
それでは何も変わらないと知りながらも……。
だが先程までいた黒髪と銀髪の青年たちは違う。リディスを鍵としてラグナレクを封印する予言とは違う現実を作り出すために、二人は前に踏み出している。ミディスラシールが
その頼もしい彼らの背中を見て、自分も無謀であるが、為すべきことを最後まで遂行すると決めたのだ。
樹がこの大地に戻ってくるという予言は聞いたことがない。
だがきっと行えると信じて――。
ミディスラシールは口を一文字にしたまま、国王を見上げた。目を細めていた彼だが、やがて小さく笑みを浮かべる。
「……こちらから散々言葉をかけても、結局は自分の意志を貫き通すのか。やはりお前たちはノルエールの娘だな」
「え?」
突然母の名前を出されて、ミディスラシールは目を瞬かせる。国王は無言のまま一歩後ろに下がった。
「国王……?」
「ここでは私は何も見なかった、ルドリも見ていない。……あとはお前たちがやりたいようにしなさい」
黙認すると宣言し、行動を促している言葉を聞いて、目を丸くした。いつも娘の行動には少なからずとも口を挟んでいた父。局面に立って、何も言わないのは驚きだった。
「何を突っ立っている。早く行きなさい。やるべきことがまだあるのだろう」
「は、はい」
思考が止まっていたミディスラシールは慌てて帰路に着こうとする。だが背を向ける前に体を一度止めた。そしてやや視線を下げながら、国王をちらりと見た。
「……何かあったら、あとはよろしくお願いします」
姫という立場から最低限伝えなければならない言葉だった。
それだけ言うと、近くに寄っていたスキールニルに再び背負ってもらう。そしてルドリにも軽く一礼をして、ミディスラシールたちは足早にその場から離れていった。
「……そんな顔をするのなら、無理にでも止めればよかったではないですか」
ルドリが呆れた表情で国王の背中を眺めている。ミディスラシールの気配がなくなった途端、国王は肩を小さくしていたのだ。
ルドリの言うとおり、止めたかったのが本音である。予言とは違う道を歩もうとしている娘の未来はまったく読めない。彼女だけの明日を考えるのならば、止めるべきだとは思っていた。
しかし、時としてリスクを伴うことをせねばならない時がある。
かつて自分も非常に危険な試みをし、結果としては大失敗に終わったが、その経験は良くも悪くも今の人格形成に役立ち、それがなければ王国の繁栄はなかったと思われる。
その時と同じ状況だとは思わないが、娘の言うとおり、今こそ新しい道を切り開いて、進むべき時なのかもしれない。
効力を失い始めている魔宝珠は、人間たちがそのような行動をとることを静かに促している。
その魔宝珠に一度触れるために、ミスガルム国王は自分の娘が歩いた道を踏み締めながら近づいた。
* * *
姫と別れた後、二人の青年は光の道を黙々と歩いていた。ただし速度は遅くして、ロカセナの様子を気遣いながら進んでいる。余計な気遣いをするなと言わんばかりに彼は睨みつけてくるが、フリートはそれを受け流して進んでいた。
不思議なものだ。あれだけ敵対し、命の奪い合いにまで発展しかけたのに、以前と同じように銀髪の青年は横にいる。フリートが敵意を向けていなかったのも大きいだろうが、一度は裏切った彼が戻ってこようと思ったのは、相当な覚悟が必要だったはずだ。
「……これが終わったら、僕は君たちの前から消えるから」
ぼそりと呟かれた内容にフリートは耳を疑った。振り向くと、青年が薄らと笑っている。
「消えなければならない運命だろう。散々多くの人たちを傷つけてきた。姫もリディスちゃんも死ぬなと言っているけれど、人を殺した僕に死以外の罪の償い方はない」
呆然と立ち尽くしていると、ロカセナはフリートの横を通り過ぎながら言葉を落としていく。
「ラグナレクを封印か還術をする際、僕は命を使い果たそうと思う。僕の力を余計に流用するようにして。それを止めないでくれ、お前も、周りの人も。……フリートもわかるだろう?」
銀髪の青年の哀愁漂う横顔が向けられる。
「愛する人が傷つき、死の淵に足を踏み入れようとするのなら、それを押し退けて自分が踏み入れたいって」
「……それは否定しない」
リディスが自分を犠牲にしようとしているのを、フリートは必死に止めようとしていた。ラグナレクが命を奪いにきたのならば、命を張ってでも止めるつもりだった。だからロカセナの言葉は痛いほどにわかる。
しかし彼の雰囲気から漏れている、投げやりな様子からの言葉では肯定しにくかった。
口を閉じているとロカセナは視線を戻して歩き始める。慌てて横に追いつくと、フリートたちを包み込んでいた目映い光は消え去った。
くしゃりと音をたてて何かを踏む。視線を下ろすと、枯れ果てた草木が一面に広がっている。土の魔宝珠があった地よりも範囲は遥かに広い。
「酷いな……」
空は暗雲で覆われ、草花は枯れ果て、生き物の気配はまったくない。少し離れたところにある魔宝樹も遠目からの判断だが、緑の葉はどこにもなく、茶色に染められた葉が申し訳なさそうに枝に付いている。
もはや伝承で言われている、緑の葉で覆われた壮大な樹、という言葉は当てはまらなかった。
「精霊の気配もまったくないな。
フリートが緋色の魔宝珠を握りしめて想いを込めると、簡単にバスタードソードを召喚できた。以前この地に来たときは召喚ができないと言われていたのに、今はできた。これはかつて来た地とは違うと判断していいのかもしれない。
「ロカセナ、まずは樹の近くに行くか?」
「そうだね。リディスちゃんの救出は優先順位としては二番目だから、最初に樹の様子を見てこよう」
まるで自分は冷静さを失っていない、というかのように淡々と言い返す。フリートは黙ったまま枯れた草花の上を歩き出した。
魔宝樹に向かって無言のまま進んでいく。緊張のあまりか、近づくにつれて喉が乾き始めていた。
意気揚々と歩きだしたが、魔宝樹の虚しすぎる状態を見ていると、歩く速度も遅くなりつつあった。それはロカセナも同じようで、眉間にしわを寄せながら歩調を遅めている。
樹まであと少しというところで、フリートは無意識のうちに足を止めていた。全身の毛が逆立つ。これ以上進んではいけないという、体からの拒絶だった。
ロカセナは顔を強ばらせて立ち止まると、目を細めて樹を凝視した。そして小さく舌打ちをする。
「……魔宝樹だけを戻すという甘い考えはなくなったね」
樹の根本には人間の形をした黒ずくめのモンスターが、腹部をスピアで貫通されて、樹に突き刺さっていた。ぐったりと項垂れており、殺気は薄らいでいるが、完全には消えていない。一時的に昏睡状態にでも陥っているようだ。
振り出しに戻ったようにも見えたが、樹が枯れているのを考慮すると、状況は悪化していると認識するべきだろう。
フリートは視線を樹から離し、金髪の娘を探し始めた。どこかにいるはずである。フリートたちの肉体にまだ異変は起こっていないのだから、僅かな時間差で来た彼女の肉体が既に消失したとは考えにくい。
だが、なかなか彼女の姿は見当たらなかった。耳を澄まし、目を細め、息を押し殺しながら探していると、視線がある方向で止まった。樹の先にいる、うつ伏せ状態の金髪の娘が目に入ったのだ。
「リディス!」
声に出すなり駆け寄ろうとしたが、ロカセナが手で制止をかける。目を釣り上げて抗議をしようとしたが、それ以上に彼の表情は険しかった。
「行ってもいい。けど少しはあちらの様子も気にかけてくれ」
ロカセナは首を使って、その方向を促す。フリートもその先を見て、ようやく我に戻って警戒を強めた。彼が止めなければ、ラグナレクの目の前を堂々と通るところであった。もし相手が動ける状態であれば、背後から攻撃を受けかねない。
「時間はかかるけど、後ろから回ろう。樹全体の状態も見ておきたいから」
「そうだな。樹の様子を見ながら、リディスの傍に寄ろう」
フリートはバスタードソードを鞘に戻して、ラグナレクがいる真逆の方に進んで、魔宝樹に近づいていった。
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