相見える光と闇(2)――再会と再開

 かつてレーラズの樹がそびえ立ち、アスガルム領民が暮らしていた地に行くために、フリートたちは常に辺りを警戒しながら進んでいた。

 扉の奥から出現するモンスターたちは、先に進んでいる騎士たちが手際よく還している。リディスを中心としたモンスターの気配に敏感な者たちが事前に感知することで、慌てずに対処できていた。

 ミディスラシールも馬に乗って目を光らせていた。左手のみで器用に手綱を握りながら馬を歩かしている。平静を装ってはいるが、右手をかばっているのに気付くと、やるせない思いになった。


 昼過ぎに森に入ったフリートたちは、陽が傾き始めている時間帯になっても、未だに森は抜けられなかった。戦闘が度々あるだけでなく、用心を重ねてあまり速く進んでいないことも要因に含まれたが、思った以上に距離が長いのだ。

 今まで召喚物である武器を長時間持ち歩くことが少なかったリディスは、休めるときには常に腰を下ろしていた。空気が全体的に重く、肩にのし掛かってくるような雰囲気のせいもあるだろう。

 このままでは満月が昇り始める前に、扉の下には行けないかもしれない。

 そう思った矢先、思わず目を瞑ってしまうほどの眩しい光がフリートたちの視界に飛び込んできた。右手で軽く目を覆うと、その隙間から赤い陽が射し込んでくる。


 赤く、燃えるような色。

 同時に血を思い出すような、印象的な色。


 その夕陽を背景にして、一人の青年が背を向け、マントをはためかせながら立っていた。銀髪が赤く染められている。腰には鞘に入ったサーベルがしっかりと収まっていた。

 くぼ地の端に立っていた青年は、森を抜けたフリートたちの存在を感知すると、ゆっくり振り向く。

 端正な顔立ちで、微笑めば多くの女性が足を止めてしまうと評判だった青年。だが今はその面影などなく、無表情の状態でフリートたちを眺めていた。

 そして一人の女性と視線が合うと、ほんの僅かだが眉を動かした。彼女が馬から降りて前に出る。

「お久しぶり、ロカセナ」

「お久しぶりです、ミディスラシール姫。そして皆さん、お揃いのようで。正直こんなに大勢で来られるとは思っていませんでしたよ」

 丁寧に言葉を綴るロカセナは、月食の夜、一瞬だけ取り乱したような雰囲気をっていなかった。彼はフリートが口を一文字にしてじっと見ているのにも気にせず、会話を進めていく。

「リディスちゃんを差し出すだけなら、ガルザやヘラに託せばそれで終わりのはずですが? ……ああ、ガルザとヘラは使いものにならなくなったから、代わりに連れてきてくれたんですね。ありがとうございます」

 視線を下げていたヘラが目を剥く。飛び出しそうになったが、縄を握っていた騎士によって押さえ込まれた。その様子を冷めた目で見ているロカセナだが、角度によっては微笑んでいるようにも見えた。

 ミディスラシールは腕を伸ばして、左手を差し出す。

「ロカセナ、私から一つ提案があるの。その提案に乗らないかしら?」

「どのようなものでしょうか」

 前方にある扉をちらりと見ながら、ミディスラシールはロカセナを真っ直ぐ見た。

「レーラズの樹をこの地に戻したいのは、私たちも同じよ。それと同時に出現するモンスターを、ロカセナたちは封印したいと考えている。私たちはそうではなく、在るべき処に還したいと思っている。そのためには多くの人の力が必要よ。だから――」

 一拍おいて、力強く言い放った。


「一緒に力を合わせて、還さない?」


 フリートはミディスラシールが共闘の話を持ち出したのを、鼓動を速くしながら聞いていた。

 昨晩彼女にその案を持ち込んだのは、自分である。突然の申し出に困惑するかと思ったが、快く賛同してくれたのだ。

 傍から見ればとんでもない提案である。王国に多大な被害を与えた者と手を組むという話。もし手を組んだ相手が反旗を翻せば、再び王国が危機に陥る可能性もある。またその一方で、そのような可能性を秘めながら決断をしたミディスラシールに対して、反感を抱く人間が出てきてもおかしくはない。

 フリートはおそるおそる騎士たちの様子を伺った。目を丸くしたり、明らかに驚いてはいるが、誰も取り乱してはいない。むしろ力強い瞳で姫のことを見つめていた。


 彼女の導く未来が、自分たちにとってもより良い未来だと信じて――。


 今度はロカセナの様子をじっと見た。この提案に乗るか否かで、彼の立場は大きく変わってくる。

 ロカセナは左手を腰に当てて、肩をすくめる。その状態のまましばらく沈黙が続いていると、横槍が入った。

「――ミディスラシール姫、鍵による封印を用いずにラグナレクを還術するなど、本当にできるとお思いで?」

 老人の声が入り込む。意識は自然とそちらに向いた。

 森の奥から出てきた帽子を被った老人は、フリートたちから突きつけられる視線をものともせずに、ロカセナの傍まで歩いていく。眼鏡の奥に潜む瞳の色は見えず、口元は笑みを浮かべたままである。

 ミディスラシールは差し出した手を引っ込めて、現れた老人を睨みつけた。

「貴方のご意見は聞いていません、ゼオドア・フレスルグ」

「まあそう言わずに。今まで共に行動をしてきた、私とロカセナの仲です。私の意見も彼の耳に入れておきたいと思いましてね」

「果たしてそうでしょうか。私は貴方の意見が、ロカセナにとって参考になるとは思えません。貴方と彼は樹を戻すという目的以外は、まったく違うと思いますから」

「勝手に決めつけないで欲しいものですね」

「ええ。ですから是非とも貴方がいない場で、私はロカセナから彼の意見を聞きたいのです」

 ミディスラシールは断固として主張するが、ゼオドアも引き下がりはしなかった。

「つまり今、私が彼の傍から離れろということですか? それはあまりに不躾(ぶしつけ)な申し出ではないでしょうか。モンスターが溢れるこの地において、無防備な彼を一人残してはいけません」

「ロカセナの身については、こちらでお守りします。レーラズの樹を戻す上で重要な人物ですから」

「そうですよね、貴女にとっても大切な人ですから、見捨てるはずがないですよね」

 ミディスラシールの眉間にややしわが寄る。ロカセナの目も細くなった。

 彼女が一息吐いて再び発言しようとした矢先、ゼオドアがリディスに視線をやり、口元をつり上げた。

「ミディスラシール姫、せっかくの機会ですからお聞きしたいことがあります。ラグナレクを封印するのにリディスラシールの命が必要なのはわかっていますよね。姫として、彼女は犠牲になるべきだと思っているでしょう。――にも関わらず、還術や共闘など、彼女を生かそうという動きに出ている。彼女とは血が繋がっているとはいえ、最近まで話をしたこともなかった人物。そして愛する母親を樹の下に張り付けた張本人。私としては貴女が彼女を生かしておきたいという感情が生まれるのは、理解しがたいのですが?」

 心を抉られるような話題の渦中にいるリディスは、俯きながら半歩後ろに下がった。青くなっている顔で、ミディスラシールの横顔を見ている。

 フリートははらわたが煮えくり返る想いで、ゼオドアを鋭い目で見た。

 本人がいる前で出す話だろうか。双方ともに動揺するのは目に見えている。それを考慮したうえで揺さぶりをかけてきたようだ。これから力を合わさなければならない時に、二人の間に心の溝を生むような状況になるのは避けたい。

 視線を下に向け、傷ついている右手を軽く握りしめた、ミディスラシール。

 その様子をごくりと唾を呑んで見守るリディス。

 そしてあざ笑うかのようにほくそ笑む、ゼオドア。彼は両腕を大きく広げながら口を開く。

「さあ本音をここで吐き出しましょう。誰も攻めはしませんよ。様々な感情を抱くのが、人間という生き物なのですから」

 やがて沈黙を貫いていたミディスラシールの口が開かれる。

「――たしかに母がリディスの代わりに身を捧げたと知った時は、物心が付いてから会ったことがない妹を激しく恨みました」

「ほう」

「鍵は彼女が果たすべき役割なのだから、勝手にやればいいとも思っていました」

「それなら――」

 握りしめていた右手を開き、そっと胸の上に置いて、凛とした声を正面に発した。

「しかしこの子と出会い、話してみて考えは少しずつ変わってきました。堅物の青年や自分の想いを隠している女性など、たくさんの人々が心を許した娘に興味も沸きました。そして姫や姉としてではなく、一人の人間としてリディス・ユングリガともっと話をしたい、彼女はこの世界に生き続けるべき人間だと感じたのです。――だから彼女が生きられる可能性があるのなら、たとえ茨の道であっても私は進みたい!」

 人差し指を真っ直ぐ伸ばして、ゼオドアを突き刺した。


「決まっている運命であっても、打ち破れるのが人間という存在なのです!」


 迷いのない、はっきりとした声が響いていく。

 大地に、空に、そして人々の心へ――。


 圧巻の演説に一同は心を打たれていた。ミディスラシールの胸の内を吐き出した嘘偽りのない内容に、感嘆するばかりだ。強張っていた皆の表情が、いい意味で引き締まっていく。

 リディスは一歩横に出ると、ミディスラシールに少しだけ足を向けた。それに気づいた彼女は顔を向け、口パクだけで何かを伝える。『私に任せて』、そう言っているように見えた。

 一度は有利だった言葉の応酬から、形勢逆転されたゼオドアは軽く舌打ちをする。そしてミディスラシールから視線を変え、別の話題の真っ只中にいる青年に話を投げた。

「ロカセナ、私はここにいては邪魔ですかね?」

 彼は表情を変えずに淡々と答えた。

「別に僕は構いませんよ。いても、いなくても意見は変わりません」

 ロカセナの薄茶色の瞳が、黒髪の青年と彼の後ろにいる金髪の娘にちらりと向けられる。

 それは覚悟を決めたものが持ち合わせる、力強い瞳だった。

「――ミディスラシール姫」

 ロカセナはサーベルをゆっくり抜いた。

「すみません、貴女の言葉に賛同することはできません。予言通り鍵を用いてモンスターを再封印するのが、もっとも確実に今後数十年を安泰して過ごせる方法です。たしかに今は厳しい状況にありますが、樹がこの地に戻れば状況は変わるでしょう。次に危機が訪れた時に、またじっくりと還術については考えるのがいいと思います」

「それはただ単に結論を先送りにしているだけでしょう? アスガルム領民としてそれでいいの!?」

「先送りにするのがいいとは思っていません。ですが冷静になって考えてください。現状を見れば、僕たちの今の力で化け物を還すことは厳しいと思います。……リディスちゃんは生き続けていれば、多くの人間に大きな影響を与える人物になるでしょう。しかしそれとこれとは別です。この大陸や人間がいなければ、それは無意味なことです。――だから僕は彼女を鍵として使います。意見が合わないのなら、剣を振るまでです」

 それはリディスにとっては残酷な現実ではあるが、真実でもあった。

 フリートの後ろにいた彼女がスピアの召喚を解いている。握りしめていた若草色の魔宝珠から手を離そうとしていた。

 自分よりも遙かに小柄で華奢な娘は、自分にかせられた運命に従おうとしていた。


 大陸の未来を護るためには、予言通りに物事を進ませることが、最もいいことなのかもしれない。

 だが大切な人の犠牲の上にある世界など、愛している人がいしずえとなった未来など――フリートは生きたくない。


 おもむろにリディスの頭をそっと触った。丸くした目が向けられる。

 これから行うことに対して、後世はどう思うだろうか。愚かで自分勝手な人間がいたと思うのだろうか。そう思われたとしても、自分の気持ちを偽るよりはいい。

 頭から手を離し、バスタードソードを抜くと、ミディスラシールの制止の声も聞かずに、ロカセナに向かって歩き出す。ゼオドアはそそくさと彼の傍から離れた。

「どうやら大人しくリディスちゃんを引き渡してはもらえないようだね。じゃあ、あの時の決着を付けようか。お前が死ねば、リディスちゃんがこの地に留まり続けたいという想いも薄れるだろう」

 一歩、一歩近づき、フリートは呼吸を整えながらはっきりとした声で言い返す。

「ああ、決着を付けよう。あの時の借りを返してやる」

「僕を殺すという覚悟は決まった? 僕はフリートを殺すつもりで行くよ」

「俺はお前を殺さず、平伏せさせる。それがあれから出した答えだ」

「そんな生温い覚悟をしたことを後悔させてやる。愚かなフリート……さあ、行くよ」

 サーベルの剣先を上げ、フリートの鼻に突き刺した。

 フリートは近づくにつれて徐々に速度を上げ、やがて走り始める。

 にやりと笑ったロカセナは後ろを気にしつつ、くぼ地の中に足を踏み入れた。

 フリートも助走を付けて中に飛び込んだ。加速した重力と共に、全身全霊でロカセナめがけて剣を振り降ろす。彼は口を閉じた状態で、サーベルを横にしてしっかり受け止めた。

「奇襲にしてはお粗末すぎるよ。僕の本気を見せてやる」

 力を込めて、ロカセナはフリートの剣を弾いた。それを慌てることなく受け流し、地面に降り立とうとする。

 だが降り立つ直前、脳内に人間が人間を殺めるという、激しくも残酷な映像が入り込んできた。

 着地が乱れた隙に、ロカセナは一線振り抜く。フリートはとっさに上半身を逸らす。前髪が数本切られた。

 切っ先を下げていたバスタードソードを振り上げると、ロカセナはすぐに間合いをとって後ろに下がる。その間に互いに呼吸を整えた。

 ロカセナの剣の腕はフリートより劣っているが、それ以外の面で力を補っているため、戦闘能力的には彼の方が上だと考えられる。それを自覚しているのが、前回とは大きく違う点だ。

 自ら攻撃をして勝機を見出すことが多いフリートにとって、攻められ続けられるのは非常にやりにくい。

 かといって、こちら側から無闇に攻めることもできない。ロカセナは昔から反撃を得意としている。彼の対人試合は、たいてい相手からの攻撃を跳ね返すことで勝利していた。

 さて、どう攻めるか。

 過去に彼と行った模擬試合や、共に挑んだ戦闘での様子を思い浮かべながら、じっと様子を伺った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る